#87 祈り

 とある雨の日。そもそもこの世界と異世界は、なんで園芸部の花壇を境に繋がっているのだったか。有菜は部室で、鳩サブレの缶を開けてノートを取り出した。

 もともと園芸部の活動場所の近くに生えていた木のうろが、異世界と繋がっていて、その木が腐って切り倒して今に至る、ということらしい。これは確か入部直後に聞いた。

 有菜が難しい顔でノートを見ていると、太嘉安先生がやってきて、

「あの世界をどうにかしたいと思っているというのは聞いたよ」と有菜に言った。

「魔物も取りこぼさない世界を目指すというのは、馬鹿げたことでしょうか?」

「いや? 素晴らしいことだと思う。できるかどうかは別として……魔物もあの世界の一部だからね」

 太嘉安先生はまた料理部に押し付けられたらしいクッキーを取り出した。有菜も御相伴にあずかる。なにやらナッツやチョコチップやドライフルーツがジャリジャリ入っていて、硬くて噛みにくい。沖縄土産のクッキーを元にレシピを考えたらしいが、この学校の料理部はまだレシピを開発するレベルではないと思う。

 そこまで考えて、自分たちも異世界の食糧事情をどうにかできる立場ではないのかもな、と思って黙りこむ。

 有菜は花壇計画をみんなと考えたあと、まっすぐ家に帰った。家出事件以来、なるべく早めに家に帰るようにしているのだ。

 なんだか変に眠たい。有菜はリビングのソファに寝転がり、そのまま寝てしまった。


「よう」

 悪鬼だ。どうやらまた明晰夢を見ているらしい。

「魔物を取りこぼさない方法、やっと分かったみたいじゃな」

「悪鬼さんと女神さまを和解させて、女神さまに魔物の許しを乞う。それでいいんですよね」

「上出来じゃないか。ただ体面を気にする姉がそれをするかどうか。わしとしては和解できるんなら嬉しいがな……あれでも血を分けた姉弟じゃからな」

 悪鬼は遠い目をしていた。有菜はそこで目が覚めた。


 次の日は明るい陽気だった。有菜は見た夢の話をして、園芸部一同それで納得したようだった。草むしりがだいたい片付いたころ、一同は異世界に移動していた。

「やあ、エンゲーブのみんな。君たちに手伝ってほしいことがあるんだ」

「手伝ってほしいこと、ですか」

 クライヴに声をかけられ、沙野が訝しむと、クライヴは笑顔で、

「これから女神さまへの祈祷を始める。村人総出だ。これはこの国のすべての村や町で行われる。女神さまに悪鬼との和解をお願いするんだ。悪鬼も本当は許してほしいんだろうし」

 悪鬼が意固地になっていて女神も体面上悪鬼を許せない、というのはこの間聞いた通りだが、悪鬼も許してほしいのだろうし女神も許したいというのは間違いないことだ。民草が願ったことであれば女神も許さざるを得ないだろう。

「でもそれって終末来ちゃうんスよね」

「ふたつの世界が解き放たれる、というのは、終末のことではない、って長老会が見解を発表した。でも何が起こるかは正直よくわかっていない。さあ、時間だ。みんな集まって」

 みんなで泉の前に集合する。村の人たちも一緒だ。

「我らを照らす女神よ。悪鬼と和解し、魔物を許したまえ」

 クライヴがそう祈りの言葉を唱えると、村人たちもそれを唱えた。直後、泉がゴボリと泡立った。


 ――空が、震えている。


 たくさんの光が空に向かって昇っていく。確かにこれは終末的な光景だ。そして光は太陽を突き刺し、太陽は一瞬輝きを失った。

 もしかして、本当に終末だったのかもしれない、と有菜は思ったが、この世界で死ねるのなら本望だなあ、と少し考えた。

 直後、目を開けるのも辛いくらいに太陽が輝いて、泉が激しく沸き始めた。

「我々の願いが……通じたのか?」

 クライヴが呆然と顔を上げた。他の村人は、みな目を手で覆ったり、日陰に隠れたりしている。園芸部一同も、目を隠すのでせいいっぱいだった。


 その日は、遅い時間になっても太陽が沈まず――どうやらこの世界は天動説的世界で、太陽が真上に留まっているらしい――、一同はよく分からないまま現実に帰還した。

 現実に帰ってきて、きょうの出来事を報告したい、と土方さんに連絡して、一同は例によって石井さんの小屋に集合した。

 石井さんはトマトジュースの瓶を並べながら、

「魔物も取りこぼさない世界ねえ……無理があると思うぞ?」

 と、石井さんらしい素直なセリフを発した。石井さんは続ける。

「俺だって害虫が湧けば薬をぶっかけるし、鳥につつかれたら鳥よけを置く。無理だって、そんなの」

「でもあっちの世界とこっちの世界は違うじゃない。私も病気じゃなかったらもっとあっちの世界の研究をしたかった」

 綾乃さんが東京土産の芋ようかんを切り始めた。トマトジュースと芋ようかんってどういうマリアージュなんだろう。

「よっす」

 土方さんが現れた。相変わらず焼け焦げだらけの作業着を着ている。

「なんかこいつらやべーことしたっぽいぞ」

「やべーこと? 詳しく聞かせろ」

 園芸部の面々は、先輩方に起きたことを説明した。土方さんは難しい顔をして、

「あっちの人たちが終末だと思うことをしたのか」と言った。有菜は、

「終末でないというのが長老会の見解だそうです」と返事をした。

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