#86 アンケートとマカダミアナッツチョコレート

 とにかく不幸の手紙と同じシステムで、世界中に魔物の許しと女神と悪鬼の和解を願う手紙が広まっているらしい。うまくいけばそう遠くなく、国中の守護神官や神殿騎士が泉に許しを乞うだろう、とクライヴは言う。

 バサバサ、と音がした。礼拝所を出ると、マリシャがドラゴンの背中から降りてくるところだった。

「お前たちの提案なのか?」

「なにがですか?」

 有菜は虎の子の板チョコを取り出す。マリシャはごくりとツバを呑んでから、板チョコを押し戻した。マリシャがチョコレートに釣られないというのはよほどのことだ。

「クライヴ!」

「やあマリシャ。どうしたんだい?」

「終末を招く気か、と長老会がいきり立っているぞ!」

「……なぜ長老会の知るところになったんだい? 私はティグリス老師に、秘密で、と書いて送ったはずだが」

「神殿騎士たちがみな噂を聞いて、和解に向けて動き出せば、当然長老会が紛れ込ませていた間者にも伝わる、ということだ」

 長老会、さすが抜かりがない。有菜はむしろ感心した。

「終末じゃないよ。大革命だ」

「同じだ! この世の仕組みが変わるのだからな!」

「まあそんなカッカしない。チョコ食べなよ」

「……チョコレートには屈しないぞ」

「おお! ビキニアーマーくっころ女騎士さんでござるな!」

「なんだそれは」

「なんでもないです。春臣くん、女騎士のイメージがなんだかおかしいよ」

「そうでござるか? 女騎士ってこんな感じじゃないんでござるか?」

 沙野と春臣の女騎士の話はともかく、マリシャは結局板チョコをもぐもぐ食べて鼻血を出しながら、

「長老会は教典のあの箇所を終末と定義している。終末が来てこの世界がなくなるのでは、という恐れも、神殿騎士の間に広がっている」と、難しい顔をした。

「私はあの箇所を、大革命だと思ったんだが。違うのかい? いまも教典の解釈は進んでいるんだろう?」

「そこが難しいのだが……あの箇所は終末、というのが一般的な見解なのは知っているだろう」

「ああ。でも教典は大昔に書かれた書物だ。書いた予言者の真意までは分からない。もしかしたら、単純に大革命についてそう書かざるを得なかったのかもしれないし、あるいは滅びるかもしれないし。やってみなきゃ分からないよ」

「クライヴ、滅びるかもしれないのにやってみなきゃ分からないとは博打が過ぎるぞ」

「大革命と定義するのが妥当だと私は思うけどなあ。ちょっとアンケートを取ってみようか」

「あんけーと?」

「うん。昔のエンゲーブが教えてくれた。みんなー! ちょっと集まって!」

 クライヴが村人たちに声をかける。村人たちはわらわらと礼拝所の前に集合した。

「はい、じゃあ、魔物と和解し、悪鬼と女神さまが和解したら、世界は滅びると思う人は手を挙げて」

 どうなる。一同息をのんで見つめる。

 誰も手を挙げなかった。

「これは農民が教典について無知だからだろう」

「いや? 最前線で働くひとたちの嘘偽りない意見じゃないのかい? そんなに心配しなくていいんだよ」

「……納得しかねるな」

 マリシャは板チョコをばりっとかじった。


 とにかくマリシャは納得してくれなかった。クライヴを都に連れて行って異端審問にかけると主張する。どうしたものか、と一同考えていると、沙野がはっと思い出して何かを取り出した。

「これどうぞ」

 出てきたのはマカダミアナッツチョコレートだった。マリシャはチョコレートを一瞥して、それから一粒口に放り込んだ。

「この程度のことで、クライヴを異端審問にかけるという決定は覆らな……うま……未知の歯応え」

 おいしかったらしくマリシャはモグモグとマカダミアナッツチョコレートを食べている。

「教典の他の箇所と照らし合わせれば、これは単純に大革命を指している、って、レイナレフくんも言っていた。だから大丈夫」

 クライヴがそう説明して、マリシャはマカダミアナッツチョコレートを飲み込んだ。

「知性派のレイナレフが……あれがそういうならよほど深いところまで研究した結果なのだろうな……」

「それに魔物の多くは人間を虐殺したいわけじゃない、って、邪なる耳の手記に出てくる魔物たちも言っていた。これで十分じゃないかい?」

「一度持ち帰ってみるか。長老会に相談せねばならん。それからマレビトたち!」

 マリシャはびしり、と園芸部一同に視線を向けた。

「いちごチョコなるものがあるというのは本当か? クライヴから前に食べたと聞いたのだが。甘酸っぱいチョコレートらしいな」

 園芸部一同は、コントのようにずっこけた。次にきたら持ってきます、と約束すると、ようやくマリシャは帰っていった。


 これで長老会が納得するかは分からない。自分たちが来ていないうちにクライヴが異端審問にかけられたらどうしよう、と園芸部がざわついていると、クライヴはにやっと笑って、

「私をお縄にしようったってそう簡単にはいかないよ。こう見えても武勇伝がいっぱいあるタイプの神官だからね」

 と、ちょっと怖いことを言った。

 夜呼びが飛び交い始めた。一同は、現実に帰ってきた。

「無事になんとかなるといいね」

 有菜はそう言い、空を見上げた。現実も、ちょっとずつ日が短くなりはじめていた。

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