#81 目を逸らそうとしてきた事実

 有菜は時計の秒針の回る速さにゾクっとした。あちらではどれだけ時間が経ったのか。分からない、しかし恐ろしい。

 とりあえず不安感を無視してクオンキを収穫する。ソノさんが一個、ちょっと傷のついたクオンキをくれた。かじると甘味と酸味とエグ味、自然そのものという味がする。

 石井さんがこれを目指した理由があらためてよく分かった。


 エケテの村も夏は終わりに近づいているようだった。子供たちも午後から畑仕事をしている。午前中は手習いを受けにいっていたようだ。

 文字の読める人が増えるのはいいことだ、と有菜は思った。自分が数学の公式を覚えられないのを棚に上げて、ではあったが。

 思えばクライヴは都とはいえ救貧院育ちなのに、読み書きができる。長いことこの村の人たちは救貧院育ちの人以下の知識しか持っていなかったことになる。

 都と農村の違いにうーむとなる。むしろクライヴは救貧院で育って神殿騎士になったからこそ、文字の読み書きと魔法を覚えたのだろうか。

 有菜はスマホを見た。電池が残り少ない。ドキドキしてきたがこの世界にはコンセントも充電器もない。

 やっぱり自分はこの世界にいるべきではないのでないか、と思い悩む。きっとそれは事実だ。ずっと目を逸らそうとしてきた事実だ。

 しかし有菜は、納得するためにここに来たのだ。

 夕方になった。園芸部は来る気配もない。もしかしてもうテスト期間が始まってしまったのだろうか。帰ったほうがいいのだろうか。切り株に腰掛けてしょげていると、ルーイがお茶を勧めてきた。エキ・ロクのお茶だ。

「あたしってここにいたら迷惑?」

「とんでもない。働き手が増えてありがたいって村のみんなは思ってるよ」

 本当だろうか。社交辞令というやつではなかろうか。しかしルーイは真面目な顔だ。

「ただ、エンゲーブのひとたちはあっちの世界に帰る家があって、それが心配していないかが心配かな」

「あたしんち家族仲あんまりよくないからなあ」

「でもきっと、家族が突然いなくなったらビックリすると思うよ」

 それはその通りなのだった。

 空を見上げる。夜呼びが飛んでいる。有菜は礼拝所に戻った。

「きょうも帰らないのかい?」

「初志貫徹ってやつです」

「なるほど。あくまでこの世界が豊かになったところが見たい、ということだね」

 クライヴは笑顔で、オーク肉のソーセージを出してきて、火にかけた。あぶって食べるつもりのようだ。

「――じゃあ、明日レイナレフくんと、都に向かってみるといい。レイナレフくんは長老会に用事があって、それで都に向かうそうだ」

 クライヴは有菜にソーセージを差し出した。製法に工夫があったのか、以前は強かった魔物味がだいぶマイルドになって食べやすくなっていた。


 次の日ゴチゴチで起きてくると、レイナレフが馬で礼拝所の前まで来ていた。

「クライヴ師、本当にエンゲーブのひとを都に連れて行って大丈夫なんですか?」

「大丈夫。彼女の覚悟は堅いからね」

「分かりました。乗れますか?」

 どうにかレイナレフの後ろに乗る。

「行きましょう」

 レイナレフは馬の脇腹を蹴り上げた。馬は軽快に走り出し、深い森を突っ切って広い野原に飛び出した。

 以前はただの荒れ地だったところが、メジの畑になっている。田んぼ、という感じ。たくさんのメジが風に揺れている。

「これもエンゲーブが持ち込んだ技術のおかげです」

「そうなんですか」

 見渡せば田んぼの合間合間に農業用ハウスがひょこひょこと建っている。明らかな進歩だ。

 都が見えてきた。門をくぐって入ると、以前とはだいぶ違う活気に満ち溢れていた。

 お金持ちもそうでない人も、なんだか肌ツヤがよくなった。おそらくちゃんと食べているということだ。

 長老会に用があるレイナレフと待ち合わせ場所を決めて、有菜は城下町を散策することにした。見れば肉屋にはオーク肉のソーセージが並び、軽食を売る店には火炎草の酸辣湯麺が売られている。

 本屋にはどうやら魔物のただしい調理法を書いてあるらしい本もあり、開いてみると文字が読めなくても理解できるように、絵でオーク肉ソーセージやそのほか正解の食べ方が載っていた。

 納得するしかないのかもしれない。

 有菜は本を棚に戻し、レイナレフとの待ち合わせ場所に向かった。レイナレフはまだ来ていない。


 有菜は、急に心細くなった。

 異世界にきて初めて抱いた感情だった。


 待っている間、街中をヒョコヒョコと歩いている大きなカラスみたいな鳥を観察することにした。ときおり発する鳴き声から察するに夜呼びのようだ。こういう鳥だったのか。もっと禍々しい化け物だと思っていた。

「やあお待たせしました。長老会に絞られてきました」

「長老会にはなんのご用だったんですか?」

「クークの村……私の勤めているところですね。エケテの村の隣村。その村にかけられた年貢が重すぎる、という話をしに行っていたんです」

「年貢ですか」

「ええ。クークの村では食べ物になる作物がなかなか育たないので、食べるぶんを確保できても年貢として納めるぶんが足りなくて。これからクホの神布とおなじく、ワフウの布も年貢と認めてもらえるように取り計らってきました。献上品としてはすでに都に入っていたので、思ったよりあっさりいきましたよ」

「そうだったんですか……」

「さて、とりあえず神殿に向かいましょう。宿にしたいと連絡したんです。アリナさんの部屋についてはクライヴ師が連絡してくれているはずです」

 神殿って、悪鬼像があるあの神殿か。そう尋ねるとレイナレフは笑顔で、

「女神さまのご威光が打ち勝ったはずですよ」と、穏やかに答えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る