#79 有菜は妥協できない
じりじりと、タイムリミットが近づいている。
コンテストなどがない文化部は二学期の中間テスト後に三年生引退である。もうすでに、夏のあいだに運動部では三年生が引退しているし、文化部も引退した、という話をちょくちょく聞く。
有菜は焦っていた。
とてもシンプルに、焦っていた。
異世界で納得できる成果を挙げたい。そうしないと受験どころじゃない。
しかし相手は人間には逆らえない自然である。どうすればいいやらわからない。
異世界のことで頭がパンクしそうだ。これはよろしくない状態である。
メッセージアプリのOB会も動きがない。頼りにならない先輩どもめ。そんなことを考えていると唐突に石井さんからメッセージがきた。
「今年もケチャップ出来たから味見に来い」
完全なる命令口調であった。
みんなで石井さんの作業小屋に集まる。石井さんは全員分オムライスを出してきた。ケチャップで「農筋」と書いてある。
「お嫁ちゃんが作ってくれた。食え」
綾乃さんが作ってくれたらしい。一同ぱくぱくそれを食べる。
やっぱり強烈な味わいのケチャップだ。スーパーのケチャップには真似のできない、破壊力バツグンの味である。
「どう? おいしい?」
綾乃さんがかわいいエプロンを着て現れた。
「おいひーれす」と有菜は答えた。
「それはよかった。なにか改善点はないか?」
「いや完璧っすよ石井さん。こんなうまいオムライス初めて食ったっす」
翔太が笑顔でそう答える。
「で、我々をここに呼び集めたのには理由があるんでござろう?」
春臣がそう言うと、石井さんは頷いた。
「有菜が異世界に心奪われすぎ問題な」
ぎくり、と有菜は驚いた。だれが報告したのだろう。
「ごめん有菜ちゃん! わたし!」
沙野が申し訳ない顔をした。
「お、おう……」
「土方とも相談して、有菜が異世界に入れこまないで済む方法を考えることにした。受験生だろ? 一生を左右する大学受験だぞ?」
「うう……」
「でも具体案ってないんだよ。俺らには心配するしかできない。有菜、ちゃんと現実も頑張れ」
「げ、現実だって頑張ってますよ! 模試の成績だってそんなひどくないし、今のところ進学問題なしのお墨付きも」
「あの高校のセンコーどもは受験を甘く見ている」
やっぱりか……。有菜はため息をついた。
とにかくオムライスをやっつけて、問題は本格的に有菜のことになった。
「だ、だってさあ……あっちの世界が潤ってないと、死んでも死にきれないよ」
「そのために農協と農業試験場作ったんでしょ?」
綾乃さんが強い口調で言う。有菜は、
「実際にあっちの世界のひとがお腹いっぱい食べてるとこを見ないと納得できないです!」
と、怒鳴る一歩手前くらいの声で言った。
「気持ちは分かる。痛いほど分かる。でも諦めが肝心だ」
「諦めたくないです!」
有菜の頑固すぎるセリフに、一同ポカンとする。有菜は変なことを言ってしまった、と慌てるも、まわりの表情はみな真面目だ。
「どーすっかねえ……あやちゃん、どう思う?」
どうやら石井さんは綾乃さんを「あやちゃん」と呼んでいるらしい。
「それは……確かに気持ちは分かるけど、受験を優先しないとだめだと思う」
「あの」と、春臣。
「あっちの世界は、もう充分発展した、でいいのではござらんか? 有菜先輩……あるいは、なにか具体的な目標を設定するとか」
春臣の言ったことはとても建設的だ、と有菜は思った。具体的な目標というものは大事だ。
「たとえばエケテの村に水車小屋が建つとかはどうっすか? それでメジを挽いているとこを見られたら満足できないっすかね?」
翔太の提案。確かにそれは納得できる。
「えっあの村に水車小屋できんの?!」
「いまは魔物の出現で保留中でござる」
「そうなのか、でもそれはすげえや。いいんじゃないか、水車小屋」
「……わかりました。水車小屋が出来たら、納得しようと思います」
有菜はそれに同意した。そのためにはやらねばならないことがたくさんある。それがこなせるくらい進めば、そりゃあ満足するしかない。
石井さんの小屋から解散して家に帰りながら、有菜はずっとぐるぐる考えていた。
異世界より現実の受験を優先しなくてはならないのは分かる。水車小屋の稼働で納得しなくてはいけないのも分かる。
それだとしても、自分はあの世界を知らなすぎる。有菜はどうにかして、あの世界が豊かになるところを見たかった。
――たとえば。
あちらの世界に行ったまま、引退の日を迎えたら、あちらの世界の住民になれないだろうか。
そんなことを考えて身震いする。あちらの世界が、どうしても諦められない。どうすればいいのだろう。有菜はぎゅっと拳を握った。
自分はあちらの世界に相容れないものかもしれない。言ってしまえばよそからきた人、マレビトだ。引退すれば無関係になる人だ。
でも、あちらの世界が豊かになるのを、有菜はどうしても見たかった。そうしなければ、自分が納得しないことを、有菜は知っていた。
有菜は帰り道、ぽつんと立ち止まる。
そして、学校への道を走り出す。
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