#78 異世界に農協爆誕す

 沙野は、農業試験場の話に続けて、

「たぶんわたしたちの世代で食糧生産を倍にするのは難しいと思うんです。だから農業試験場をつくって、よりよい農業を目指すべきではないかと」

 と、真面目な口調で言った。

「無理なのかな」と、有菜。

「具体的にできることがなんにもないからね」

 その通りなのであった。

「じゃあ農協みたいのを作るのはどうかな」

 有菜の提案にクライヴはよくわからない顔をして、

「ノーキョー……農業協同組合みたいな言葉を略したのかな?」と訊ねてきた。

「そうですそれです。農業試験場でとれたデータを農家に教えたり、作物の買いとりをしたり、苗や農薬を販売したり、収入を公平に分配したり、銀行の業務をしたりするような」

「そうか、そういう組合をつくるという手があったか。いままで村単位で農業をしていたから、大きな組織にするのは考えなかったことだ」

 クライヴはパピルスにペンを滑らせて、鳥につけて放った。この提案を長老会は飲んでくれるだろうか。

 自分たちの世代で食糧生産倍増を目指すのは難しいことだと、実は有菜も薄々思っていた。園芸部が来なくても新たなテクノロジーを生み出し、農業を推し進める異世界を目指すしかない。

 その日はそこで夜呼びが飛び始めた。一同、現実世界に帰還した。


 異世界の食料問題は現実から目を逸らすには最高なんだよな、と有菜は思う。しかし有菜は受験生だ、ちゃんと現実をみて勉強しなくてはならない。

 予備校の合宿で受けた模試の出来が微妙だったわけだが、高校の先生たちはこれで問題なしと言ってくる。どちらを信じればいいのだろうか。

 有菜たちの高校はウェーイばかりなので、先生たちもちゃんとしたところに進学する生徒というのに慣れていないに違いない。沙野から聞いた話では海外の大学を受験するやり方すら把握していなかったそうだ。有菜の目指す農業大学はそこまでではないにしろ、大学に行く生徒への対応はそう上手いとは思えない。

 だったら信じるべきは予備校の模試である。やっぱりちゃんと勉強するしかないんだよな〜! と、有菜は参考書の山に突っ伏した。


 そうやっているうちに夏休みが終わってしまった。進路を確定して、行く大学をちゃんと決めねばならない。自分の脳みその出来も鑑みて、「ここがいいかな」という大学を選んだ。

 大学生になった自分なんて想像がつかない。

 それでも前に進まねばならない。


 キュウリのシーズンが終わり、キュウリのネットを片付けた。これから晩生のトマトの収穫である。

 本当ならもうじき茹でピーができたはずなのだが、流されてしまったものは仕方がない。

「……茹でピー……」

 翔太が恨めしげにそうぼやくのを聞きながら、てきぱきと作業を進める。気がつけばまた異世界にいた。


「ノーキョー、満場一致で設置が決定されたって」

 クライヴはニコニコとそう話した。それはすごいことだ。農業試験場ももうすぐ出来るらしい。

「農協ができたらこの世界の農業も変わるんでしょうねえ」

 有菜がしみじみそう言うと、クライヴは、

「そうだね、魔物をなるべく殺さない農業、いや文明を目指す、というのが理念になるんだと思う。いまは悪鬼像が光で抑えられているけれど、あれは魔物を殺しすぎてバランスが狂うことを警告する意味がある、って長老会が公式見解を発表した」と語る。

「魔物をなるべく殺さない文明、ですか」

「うん。たとえば炭鉱の奥に棲んでいる上位種のゴブリンや、村落のまわりに生えているトレントは、倒さないことには文明が進まないでしょ? それ以外のところで魔物を殺さないことを徹底すれば、悪鬼像を封じ続けることができるんじゃないかって。レンズだって所詮は場当たり的な対症療法に過ぎない」

 なるほど。確かにそれは一理ある。


「もうすぐアリナさんとサヤさんはこっちに来られなくなるのかな?」

 みんなで現実世界の菓子を広げながら、そんな話をする。

「いや、まだ受験までは時間があるので」

「でもあっちの世界の『ジュケン』とかいうやつって、その後の人生を左右するわけで、いつまでもこっちにかかずらわっていちゃいけないよ」

 クライヴはチョコレートをかじりながら、2人に無理をするな、と伝えてきた。

「でもやり残したことがないようにしないと、スッキリしないので。スッキリしないまま大学に行っても気になってモヤモヤし続けるだけなので」

 有菜がそう言うと沙野が頷く。

「そうかい? いままででいちばん頼りになる園芸部だ」

「とりあえず農協と農業試験場ですね」

「うん。長老たちに割り振られた土地ごとに農協の支部を置くことになった。ここはティグリス老師の土地だから農協ティグリス支部となるね」

「農協ってそんなに有難いものなの?」

 ルーイにそう訊ねられた。

「有難いっていうか、あっちでは当たり前にあって、プロの農家を支えているものだから」

「そっかあ。うちの暮らしもマシになるのかねえ」

「あんた、そういう消極的なところが悪いところだって言ってんのよ」

 ソノさんがルーイを叱りつける。どうやら婚礼の日は猫を被っていたらしく、ソノさんはものすごく強いおかみさんになっていた。

 ソノさんは酸っぱいグミを選んでモグモグしている。これはもしや。

「まさかソノさん、お母さんになるんでござるか?」

 春臣がマイルドな言い方で訊ねると、ソノさんは穏やかに微笑んで頷いた。

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