#76 沙野と春臣

 高校最後の夏休みがやってきた。入試の天王山、というやつだ。

 夏休みの最初の3日を予備校の合宿で過ごし、ずいぶん久しぶりだなあと思いながら有菜は学校に向かった。翔太と春臣がせっせと草むしりをしている。

「あっち、どうだった?」

「あっちはレンズの魔法の重ねがけで、悪鬼像はちょっと戻ったらしいっす」

 まだ油断してはならないということだ。

「野菜とかはどう?」

「無事に育っているようでござる。それから豚さんが隣村に来たでござるぞ」

 豚か。それはすごいことだ。繁殖して子豚を肉にするのだと思うとなんだかせつないのだが、食べ物はすべて生きているものの命をいただいている。牛乳だって元は血だ。

 沙野は夏休みの間、語学留学に行っているらしい。そりゃあ海外の大学を目指したらそうもなるだろう。根本的に脳みその出来が違うんだよなあ、と有菜はため息をついた。

「なんで沙野ちゃん、このバカ高から海外目指しちゃったかな〜!!!!」

「本人から話を聞いたんでござるが、沙野先輩は自分とほぼ同じだったみたいでござる」

「春臣くんと? なにが?」

「中学のころ、保健室登校だったらしいんでござるよ。自分はバスケ部を引退してから張り合いがなくなって保健室にたまるようになったクチなんでござるが、沙野先輩はガチでいじめられていたらしくて。教室に行けなくて通知表に評価のない項目もあって、定時制も考えたらしいでござる」

 意外だった。

 沙野のことだから中学でもバリバリのガリ勉だったとばかり思っていたが、授業についていけている自信がなくてこの学校を選んだのだ。

「だから沙野先輩、有菜先輩に助けてもらえてめちゃめちゃ嬉しかったらしいでござる」

 そうなのか。なんとなく面映い。

「自分も似たような理由でこの高校を選んで、結果ウェーイにいじめられた人間でござる。翔太氏に助けてもらえてよかったでござるよ」

 そうだったのか。確かに沙野も春臣も、ちょっと変わってるもんな、と有菜は思った。


 さて、異世界に移動した。やっぱりエケテの村は涼しい。

 クオンキの実が収穫の最盛期を迎えていた。真っ赤によく熟れている。おいしそうだ。

 クオンキの畑で、ソノさんがせっせと働いていた。声をかけると、ソノさんは笑顔で手を振った。

 本当に動き出す悪鬼像なんていう災厄が迫っているとは思えないのどかさだ。ただ村のぐるりを、かつて有菜と沙野が教えた電柵で囲んである。以前ゴブリンに突破されたわけだが、ある程度は魔物を防げるのだろうか。

「おや、エンゲーブが来てくれた。ちょうどクオンキとエキ・ロクの汁を絞ってみたから飲んでみてくれないかい」

 クライヴが声をかけてきたので、遠慮なくクオンキの汁を飲ませてもらう。石井さんのトマトジュースよりエグいし、エキ・ロクの個性的な味もするが、野生の味がしておいしい。

「これをこの村の名産品にしようと思うんだ。健康飲料と名前をつけて鉱泉の蒸し風呂で売る。この村を保養地にしたらいいと思わないかい?」

 箱根みたいな感じだろうか。有菜は子供のころ、夏、祖父母に箱根の旅館に連れて行ってもらったことがある。朝起きてカーテンを開けると真っ白い霧に覆われていたのを思い出す。

「それ、素敵ですね」

「ととのいそうでござるな」

「エキ・ロクって薬草なんすよね。都の、悪鬼像と戦って頑張ってる神殿騎士さんに贈れば喜ばれるんじゃないすか?」

 翔太のいかにも体育会系のコメントに、クライヴが頷いた。

「それは素晴らしいアイディアだ。不眠不休で、小太陽の魔法まで使っているそうだし、なんとか届けられないか考えてみよう」

 小太陽の魔法というのはいわゆる核融合というやつなんだろうか。なんだかとんでもなく苦戦しているような気がする。


 夜呼びが飛び始めたので現実に戻ってきた。現実はまだ昼だ。太嘉安先生がスポーツドリンクを差し入れしてくれた。

 あちらの様子を説明すると、

「開き直るしかない感じかな。人間、開き直ると強くなるものだよ。実際科学のおかげで、悪鬼が動き出しても食べていける余裕があるわけだし」

 と、太嘉安先生は頷いた。

 部活終わりに、一同昼ごはんを一緒に食べようとフードコートに流れ込んだ。ラーメンだのうどんだのをてんでに買って席に着く。

「沙野先輩はどうしてるんでござろうか」

「連絡がないってことは元気なんじゃないの?」

「有菜先輩はポジティブっすね」

 みんなで麺類をずるずるして、有菜はふつうの味のダシを少し飲んでから、

「異世界をなんとかしないと受験に響きそうなんだよねえ」とため息をついた。

「自分らにお任せあれ、でござるぞ」

「そっすよ。俺らも異世界頑張るんで、入試頑張ってください」

「ありがと。優しいねえ」

「で、合宿の成果はどうだったでござるか?」

「最後に模試があったんだけどねー……なんとかなりそうレベルなんだよね」

「それはまずいでござるぞ有菜先輩。ちゃんと勉強しないと」

「うん分かってる……でもあたし小学生のころ夏休み前とかの荷物の持ち帰りのペース配分がクソクソヘタクソでさあ。それが高校生になっても続いてる感じ」

「わかりみが深いっす」

 フードコートで食事を終えて、一同は解散した。有菜は図書館で少し勉強してから家に帰った。

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