#57 山のパンとはなんぞ
相変わらず粗末な寝具しかない宿坊で、園芸部一同はガチガチのゴキゴキになりながら寝た。翌朝目を覚ますと、柔らかい陽の光が村を照らしているのがはめ殺しの窓から見えた。
「いい天気」有菜は一言、そう呟いた。
宿坊を出ると簡単な朝食が用意してあった。シンプルなヘヘレのサラダと、なにやらモコモコした塊である。なんだろうこれ、と有菜は顔を近づけて、なんとなく香ばしい匂いを感じるが、匂いとしてはパンではない。
「やあ、おはよう。女神さまの泉の水を飲んでおいで」
クライヴが笑顔で言う。有菜は腕時計を確認する――やはり時計の針はあきらかにゆっくり動いている。他の園芸部の面々と、泉の水を一口すすった。
翔太と春臣は泉の水を飲むのは初めてで、ふたりともそのおいしさに驚いていた。
「こんなにうまいならなんで教えてくれないんすか」と、翔太が口を尖らせる。
「ごめんごめん、言うの忘れてた」沙野が笑う。春臣はまるで利き酒師のように泉の水を味わっている。
「出汁でもないし、砂糖でもないし……」
「まあそういう難しいことはいいから。朝ごはんにしようよ」
というわけで礼拝所に戻る。テーブルの上の、謎のモコモコを眺めて、みんなでなんだこれ、の顔をする。
「これ、なんですか? パンではないですよね」
「それはきのうウーと一緒に採ってきた『山のパン』だよ。おいしいから食べてごらん」
山のパン。正体不明のものを食べるのは勇気がいる。やっぱりナマコやウニを初めて食べた人は偉大だなあ、と思いながら、有菜は山のパンとやらにかぶりついた。
じゅわっ、と、甘いような苦いような、複雑な味わいの汁が口に広がる。なんだろう、不思議な食べ物だ。
「キノコですな」
春臣がそう言った。言われてみればたしかにキノコの歯応えだ。え、生のキノコって中るんじゃないの。不安な顔でクライヴを見上げる。
「山のパンは秋の終わりに森で採れる。今年はいつになくたくさん採れたんだ。生で食べるだけじゃなくて、乾かしてスープの材料にしたりするんだよ。こんなにたくさん採れたのは何年振りだろう、ってくらい採れたんだよ」
「女神さまのご慈悲ということですか?」
沙野が質問すると、クライヴは頷いた。しかしお慈悲がキノコでは栄養失調になるのではなかろうか、と有菜は考えて、
「キノコって栄養があんまりないんじゃなかったでしたっけ」と尋ねてみる。
「うーん、山のパンは山のパンだからねえ。昔から冬によく食べるものだし、栄養とかって考えたことなかったなあ」
「去年は見なかったよね、有菜ちゃん」
「うん、去年は見なかった」
「去年は山のパンのハズレの年だったからねえ」
「当たりの年とハズレの年があるんですか」
「今年は女神さまが豊かにほどこしてくださったんだ。去年はウーとジキで冬が越せたけど、今年はちょっと厳しいからたくさん山のパンをくださったんじゃないかな」
そういうものなのか。よく分からない。
「国内のこういう農村の守護神官から上がってくる報告書を見ると、国内のどこでも山のパンが大量に採れているみたいなんだ。だとしたら女神さまのお慈悲以外のなにものでもない」
なるほど。この世界には本当に女神が存在するのだ。人間の作り出した概念でなく、間違いなく女神や、それに連なる神々がいるということのようだ。
「我々もお礼を伝えましょうぞ」
春臣がそう提案する。そういうわけで、泉に手を浸して感謝の思いを伝えてから、一同は現実世界に帰還した。
幸い現実世界では真っ暗ながらとりあえず帰っても怒られない時間だった。ジャージから制服に着替えて、それぞれ帰ることにする。しかし制服だけだとかなり寒い。
「なんでみんなコート着ないんでござるか?」
春臣はそう言ってちょっと野暮ったいダッフルコートを着ている。
「いやふつう制服の上にコート着ねえだろ」
翔太がそう突っ込む。春臣は、
「そんな校則はないでござるよ。ほれ、ここに『冬はコートやジャンパーなどの上着を着てもよい。ただし華美なものは不可とする』って書いてあるでござる」
と、生徒手帳の校則のページを開いてみせた。
「そーゆー問題じゃないと思うよ、春臣くん」
沙野がひきつり笑いをした。
家に帰ってきて、ホカホカのシチューを食べたあと、有菜は風呂場でいろいろと考えていた。悪い癖なのだがどうしてもやってしまう。
あの世界には神というものが確かに存在する。そしてその神は、現実の神社に祀られているような神様とは違って、実際にご利益を授けてくださる。
そういう世界で、どんな方法でやれば、効率よく農業ができるのか。どうすればあの世界そのものを潤せるのか。
ちょっと考えたことが大げさすぎたかなあ、と有菜は猿回しの猿のごとく反省し、しかし湯あたりしかけたので風呂を出た。
次の日も授業をやり過ごし、部活の時間になった。太嘉安先生がビオラとハボタンの苗をたくさん用意してくれていたので、みんなでせっせと植え付ける。
「あたしの考えたこと、ちょっといち高校生が立ち向かうには大きすぎたかもしれない」
有菜は反省したことを口に出した。
「そんなことないと思うっす。要するに全国大会っすよ。俺たち園芸部は、異世界っていう全国大会に出てるだけっす。うまくいってもトロフィーはもらえないっすけど」
翔太がそう、体育会系っぽい表現で有菜をフォローしてくれた。有菜は小さくため息をついた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます