#20 異世界人とトマトジュース

 石井さんのトマトジュースを飲んでいると、気がつけば異世界だった。石井さんだけ置いてきてしまったらしい。足元にはトマトジュースの箱。

「やあタガヤス。元気かい」

 クライヴがそう話しかけてきた。太嘉安先生は、

「ああ。クライヴも元気そうでよかった」と、笑顔になる。

「エンゲーブのふたりがいろいろアイディアをくれてね、こちらの畑が楽になったよ」

「アイディア?」

「ゴブリン対策にトリモチを使うとか、濁った泉に炭を沈めるとか」

「……泉が濁った?」

「いまはすっかり綺麗だよ。炭がなくても生水のまま飲める」

 クライヴの言葉に、太嘉安先生は考えこんで、

「やはり我々がしょっちゅうこちらを訪れるのが理由で、女神さまの機嫌を損ねたかい?」

 と、真面目な口調で訊ねる。

「マレビトが女神さまのご機嫌を損ねる、なんて俗信だよ。聖典のどこにもそんなことは書いていない」

「それならいいんだが……ちょうど5年前、部員がたくさんいた年だったろう、流行り病は」

「ああ……たまたまだろうと思うよ。ところでこれはなんだい?」

 クライヴがトマトジュースの箱を、白い瞳を眇めて見た。

「これは石井くんが育てた、あちらのクオンキみたいな野菜のジュースだよ。飲んでみるかい?」

「それならぜひ。いやあ、あちらの文明で作られた瓶はみんなきれいに同じ形だ」

 そう言うと、クライヴは魔法で瓶の王冠を弾いて開封し、ぐびぐびトマトジュースを飲んだ。ぷは、と口を離す。

「ああ、これはおいしい。採れたてでよく熟した甘いクオンキみたいな味だ」

 異世界人すら認めるクオリティのトマトジュースってなんだかすごいな……と、有菜は思った。

 さて、石井さんのトマトジュースを飲んでから、なにやら村で働いているのが女の人ばかりなのに気づいて、有菜はそこをクライヴに訊ねた。

「ああ、きょうは男衆がみんなエウレリアを都に売りに行ってるんだ。私は守護神官で、一人でこの村の男衆全員分の戦力になるから、女の人たちを守るために残ってるんだ」

「都?!」

 なぜか太嘉安先生がびっくりしている。なんでだろう。

「都って、ディオテマの都かい?! この村のエウレリアはそんなところまで売られに?!」

「ああ、アリナさんとサヤさんの教えてくれた、育苗ポットとマルチを使ってみたら、いまだかつてないほど立派なエウレリアができたんだ。これなら都でも問題なく売れると思って、長老会に呼び出されたついでに販路を用意したんだよ」

 現代農業、すげえ。

「素晴らしい。有菜さんも沙野さんも、ちゃんとこの世界に役立つことをしていたんだね」

「それより太嘉安先生、クライヴさんがお代官さまにビニールハウス建てるって啖呵切っちゃったんですよ」

 沙野がため息混じりにそう言う。まるっきり告げ口の口調だ。

「ええ?! ビニールハウス?! そんな難しいことを?!」

 やっぱり難しいのか……。有菜はしょんぼりした。しかし太嘉安先生は、

「これは挑戦してみる価値があるかもしれないね。出来るだけこちらの製品でやった方がいいだろうし」と、あくまでポジティブである。

「でも魔法じゃ、使えるかと思ってたニクロム線が使えないし、石油ないし」

 有菜は口を尖らせる。

「なにか別の、同じように使える手段を探したほうがいい。クライヴ、なにかないかい?」

「とりあえずビニールは、マルチを触った感じだとクホの神布で代用できそうだ。それに骨組みを入れるわけだよね、骨組みは木でも充分なはず。あとは暖房か……薪では生活が成り立たなくなってしまうから、魔法を使うしかないね」


 クホの神布がどんなものかわからないが、とにかく代用できるものがあるらしいと聞いて、有菜は嬉しくなった。

 しかし太嘉安先生は浮かない顔だ。

「クホの神布……この村の財政は大丈夫かい?」

「うまいこと長老会を説得できればお金なんてどうにでもなる。これはこの世界を救えるかどうかの瀬戸際だからね」

「いやそんなにヤバいんですか、この世界」

「うん……食糧難で、王陛下すら魔物の肉を召し上がっておられる。繰り返される天候不順で、都市部では女神さまの泉とわずかな穀物だけが頼りの人も少なくない。冬でも作物を作れるのは、この世界にとって凄まじい福音なんだよ」

 そうなのか。豊かな農村しか知らないので想像もしなかったことだ。しみじみ納得する有菜の横で、沙野が「牧場●語だ……!」と盛り上がっていた。


 現実世界に帰ってくると、石井さんが電子タバコをふかしていた。

「敷地内禁煙だよ」と太嘉安先生が注意して、石井さんはタバコを口から離した。

「あっちの人、トマトジュースなんつってました?」

 どうやら石井さんは異世界人にトマトジュースを飲ませたくて来たらしい。太嘉安先生が、クライヴのリアクションを伝える。

 石井さんはガッツポーズをした。クオンキと同じ味と言われたらそりゃあ喜ぶだろう。

「クライヴも元気そうでよかった。しかしあの村からエウレリアを都にねえ……」

「この二人が育苗ポットとマルチをあちらに伝えたからだそうだよ」

「俺もポテチじゃなくそーゆーの持ってけばよかったなー!!」

 石井さんは笑った。きょうの園芸部はここで解散になった。

 もうすぐ、夏休みだ。

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