#10 育苗ポットとマルチを使おう

 さて。

 マリシャと会った日、有菜はやっぱり風呂場で考えごとをしていた。

 里だか都だか知らないが、都会の特権階級と思われるマリシャがチョコレートごときで鼻血を出すのは、やはり異世界の都市部の食糧事情はよろしくないのだろうと思われる。なんとかみんなお腹いっぱいになる方法はないだろうか。

 少なくともエケテの村の人たちは、チョコレートを食べても鼻血を出すことはなかった。それはエケテの村の人たちが、ある程度潤沢にさまざまなものを食べられるからだろう。平安時代は貴族より農民のほうが健康だったってやつだ。

 なんとかならないだろうか。やはりビニールハウスを立てて冬も食べ物を生産できるようにするのがいちばんいい気がするのだが、エケテの村は雪がすごいらしい。有菜も冬にテレビでハウス倒壊のニュースを見たことがあるので、大雪の危険さはわからないわけではない。

 なんにも策を思いつかないまま湯あたりしそうになったので、とりあえずその日はそれ以上考えるのはやめておいた。


 翌日学校に行って、園芸部のサツマイモ畑を眺める。太嘉安先生が張り方を教えてくれた黒マルチで畑が覆われている。

 マルチは畑を覆うためのビニール製の農業用品で、保温効果がある。畑を守るのにも使える。

 これじゃね?

 有菜はそう思った。ただ、あちらの作物が保温して育つかどうかは分からない。そこはルーイやクライヴと話してみなければいけないのだろう。でも、宿坊に一泊したときの寒さを思うと、なにか役に立てるんじゃなかろうか、と有菜は思った。

 沙野がやってきて二人で草むしりをしていると、また異世界に移動した。寒い上にぱらぱら雨が降っていた。

「あっ、アリナにサヤ。寒いから中に入りなよ」ルーイがそう声をかけてきたのでルーイの家に入れてもらう。

 ルーイの家はシンプルな家具がいくつかとかまどくらいしかない、とても質素な家だった。かめに汲まれた女神の泉の水を沸かして、エキ・ロクのお茶をルーイが陶器のコップに注ぐ。

「この寒さじゃまだとうぶんエウレリアの種まきはできないなあ」

「エウレリア?」

 また新手の異世界作物が出現した。

「ああ、花だよ。里や都のお金持ちの女の人が、花びらで爪とか唇を染めるのに使うんだ。ちょうど真夏が花盛りなんだけど」

 なるほど。化粧品になる花なのか。食べられるわけではないが化粧品は大事だ。有菜はバレないメイクの求道者である。

「畑にじかに種を蒔くの?」

「それ以外に生やす方法ある?」

 これは育苗ポットの出番だ。有菜と沙野は、現実世界の苗の育て方を説明した。ルーイはふむふむと聞いて、

「それを使えば冷たい雨のかからないところで育てられるわけかあ」と納得している。

「その……エウレリア? っていうのは寒さに弱いの?」沙野が首をかしげた。

「うん、ここいらじゃ真夏でもたまに寒い日があるから、あんまりひどいと花の付きかたが減ったりするんだ」

 おお、マルチの出番じゃないか。

 というわけで翌日、有菜と沙野は育苗ポットと黒マルチ、マルチの留め具と穴開け器をかかえて異世界を訪れた。使い方をルーイに説明していると、クライヴがやってきた。

「へえ。あちらの世界の農業用品は興味深いねえ。これがビニールか、実物は初めて見る」

「これは黒マルチって言って、地面を覆って保温性を高めるものです。ビニールハウスのビニールは透明でもっと分厚いです」

 沙野の説明を聞いて、クライヴは黒マルチをすこし触る。

「思ったより厚みがあってしっかりしているね。もっと破れやすいものだと思っていた」

 おお、好感触。

 とりあえず黒マルチは置いておいて、育苗ポットに土を入れる。そこにエウレリアの種を蒔く。なんだかイガイガしておっかない種だ。

 それを、陽は当たるが雨の当たらないところに置いておく。女神の泉の水をたっぷりやって、まだ夜呼びが出るまでしばらくありそうなのでみんなでお茶を飲んだ。

「夏にはどんな野菜が採れるの?」

「たとえばヘヘレとかクツクツとかかな。ヘヘレはシャキシャキしたちょっと辛い菜っぱで、クツクツは実を焼いて皮を剥いて食べる、わりと薄味で癖のない野菜」

 ルッコラとナスだと思っていいのだろうか。この間のクオンキの実も似たようなタイミングで採れるらしい。それならトマトだ。

「じゃあクツクツとクオンキで夏野菜カレーが作れるじゃん」

「なつやさい……かれー?」

 よくわからない顔のルーイに、カレーとはなんぞや、という話を説明した。ルーイは説明されてもポカーンの顔で、クライヴがその代わりに答える。

「あちらの世界では香辛料を当たり前に使えるって話、何度聞いてもびっくりするなあ……」

 どうやらこの世界では香辛料は貴重なものらしい。少なくとも農民や農村の神官の口に入るものではないのだろう。

「ああ、里の代官所から連絡が来てね、夏に上半期ぶんの年貢を納めなきゃいけないんだ。そのとき代官に夏野菜カレーを振る舞ったら喜ばれるんじゃないかな」

 クライヴがそう提案した。もし来る代官がマリシャならチョコレートも持ってこよう、と、有菜は思った。

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