#9 ビキニアーマー代官鼻血ブーする
「いろいろの疑惑、というのは? この村の人々は女神さまの教えに背いたりはしていませんよ?」
クライヴが笑顔で答える。ビキニアーマーの人こと代官マリシャは有菜と沙野を一瞥して、
「マレビトをもてなすのは禁忌だ」と冷たく言い放った。
この村の人たちはそんな大きな罪を犯していたのか、自分達のために。有菜は喉がつかえるのを感じた。
しかし、クライヴも黙ってはいなかった。
「女神さまの聖典のどこにも、マレビトを悪とする記述はない。マレビトを否定するのはただの俗信。よって、マレビトをもてなしても罪にはならない。そしてその禁忌は都の長老会が勝手に決めたことでしょう」
「そうだ、都の長老会が決めたことだ。だから取り締まりにきた。その理屈がわからんのか」
「マリシャ様、いつのまに都の長老会はそこまで偉くなったんです? それこそ女神さまの教えに背くことでは?」
よくわからないが宗教学の勉強会みたいなことになってきた。有菜は一般的な日本人なので、宗教的禁忌とかそういうことを考えたことはあまりない。つまり、生まれたらお宮参りにいき結婚式は教会で挙げて死んだら戒名のつく、わかりやすい日本人なのである。
一方で沙野のほうはワクワク顔でクライヴとマリシャのやりとりを見ている。有菜は思わず沙野を肘で小突いた。
「なに楽しくなってるの。あたしら大ピンチなんだよ」
「だって、宗教学の論争なんて現代日本ではふつうなかなか見ないものだよ……! 有菜ちゃんちって、外国人のお兄さん二人組の宗教のひととか来たことある?」
「ある……けど。それがどうしたの?」
「あの人たちは、聖書を拡大解釈して、いろいろなおかしい戒律を作っちゃった人たちなんだって。たぶん、この世界では都の長老会とかいうのが女神さまの聖典とかいうのを拡大解釈してるんだよ」
「なんでそんなこと知ってるの」
「従姉がミッション系の大学に入って、宗教学かならず取らなきゃいけないっていうから、あの宗教のひとと従姉の大学はなにが違うのか訊いたんだ」
なんでそんなことを従姉に訊くのか。ふつう東京のファッションやスイーツのことを訊くものではないのか。そう思ったが黙って頷いた。
マリシャは真面目な顔をして、
「いまや長老会は王をも動かすことができる。この村が長老会に逆らうというなら、それはこの村が焼かれるということだ」
と、恐ろしいことを言い出した。
有菜は必死で、この状況を丸く収める方法を考えた。もう自分達がこないと約束すればいいだろうか。しかしそれはいやだ、まだ異世界の夏野菜や秋野菜を食べていない。
「あ、あの」
「ちょ、アリナさん?!」
クライヴがビックリ声を上げる。アリナはポケットからチョコレートを取り出した。ちょっと溶けかかっている。
「こ、これ。食べてください」
「……食べ物で釣られるほど私はバカではないぞ。それにそれは戒律で」
「女神さまの聖典には、マレビトから食べ物をもらってはいけない、なんて書いてありませんよ、マリシャ様。むしろ施されるものは喜べと書いてあります」
クライヴの言葉に、マリシャは難しい顔をして、銀紙をぺりぺりと剥いた。一瞬怪訝な顔をしてから、しかし甘い香りに逆らえずはむっと板チョコを齧る。
「す、すごくおいひい……!」
「あの。現実世界では、いやあたしたちの住んでる世界では、こういうお菓子が当たり前で、こういう……お菓子だけでなく食べ物の加工の方法とかも、こっちに伝えていこうかなあと思っていて」有菜は半ばハッタリでそう言ってから、ひとつ提案した。
「クライヴさん、揚げたジキ作りましょう」
「わかった。しかしあの澄んだ油はあるのかい?」
「沙野ちゃん、持ってる?」
「うん。きのうはお刺身だったからカバンに入れっぱなしになってるはず」
そういうわけで、一同はマリシャにフライドジキを振る舞うことにした。マリシャはなにやら鼻のあたりを隠しながらついてくる。
「……もしかして、鼻血出されました?」
有菜がティッシュを差し出すと、マリシャは恥ずかしい顔でそれを受け取った。鼻を押さえて、
「向こうの世界にはこんな柔らかいちり紙があるのか……それもただの娘っ子が当たり前に使えるとは」
と、マリシャはティッシュの品質に驚いている。安いポケットティッシュでこれだ、鼻セ●ブとか使わせたらどんなリアクションをするんだろうか。
沙野がフライドジキを作り、それをどんと出した。クライヴがなにやらかめを持ってきた。針葉樹の葉が入っている。
「この二人が教えてくれたこの料理は、シヤ水にピッタリなんですよ」
シヤ水。どうやら針葉樹の葉を女神の泉の水に浸けたもののようだ。クライヴは陶器のコップを出してきて、それにそのシヤ水とやらを注いだ。しゅわしゅわと泡立っている。
「松の葉を砂糖水に漬けるとソーダになるやつだ」沙野はいったいどこでそんな知識を身につけたのか。とにかくマリシャはフライドジキに手を伸ばしてサクサクと食べてから、シヤ水とやらをひと口飲んだ。
「う、うっま……」
ああ、コーラにポテチが最強のやつ。
「そういうわけで、この二人は大神殿に伝えたとおりシダコーコーのエンゲーブのひとで、この女神の領土に悪いことをしようなんて気はないんです。揚げたジキに免じて許してやってください」
「……まだ追求する点はいくつかあるはずだが、さっき食べた甘い菓子とこの揚げたジキで忘れてしまった。いったん持ち帰る。それから長老会の越権行為についても問いただしてみる」
そう言ってマリシャは愛馬ならぬ愛竜にまたがって帰って行った。安堵のため息がでる。
「そろそろ夜呼びが出るんじゃないかな。帰ったほうがいいよ。それから、本当にありがとう。流石に私も腕が鈍りっぱなしでね、本職の神殿騎士とドンパチして勝つ自信はなかった」
クライヴにそう言われて、二人は現実に帰ってきた。そして、深々と、ふたたび安堵のため息をついたのであった。
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