#5 マンドレイクの芽をむしろう

 有菜は家で、風呂に入りながら異世界のことを考えていた。

 春になって薪不足になるというのは、冬までに充分な蓄えができない、ということだ。

 それはおそらく里も同じで、おそらく同じ理由で里の人たちは食料不足なのだろう。

 冬の間も農業ができたら、それで万事解決ではなかろうか。なら、ビニールハウスを建てて、そこで野菜を育てればいいのではないか。

 ビニールハウスを建てるのがどれくらいの手間なのかを有菜はよく知らない。しかし、簡素な作りの小さいものなら、自分達にも建てられるんじゃないだろうかと考えていた。

 次の日、沙野と一緒にエケテの村に到着した有菜は、クライヴにビニールハウスの話をした。クライヴもビニールというものは知っていたらしいが、ふるふると首を横に振った。

「ここは冬の雪がすごいんだ。ビニールというのは透明な布みたいなものだよね。それで小屋を建てて野菜を育てるのは、雪の積もる量を思うと今ひとつ現実味が薄い」

「そっかあ……」

「しかし素晴らしいアイディアだと思うよ。そうやって考えてくれるのはありがたいことだ。我々の文明は向こうほど進んでいないからね」

「この世界の文明の程度ってどれくらいなんですか?」と、沙野。

「なんて答えればいいか難しいけど……魔法は神官や学者にしか使えないし、お金も金貨銀貨、って感じだね。向こうの世界だとだれでも遠くの人と顔を見ながらおしゃべりしたりできるし、偽造できない紙のお金があるんだって?」

 それってすごいことなのか。有菜はカバンから財布を取り出し、千円札をクライヴに見せた。クライヴはしみじみと千円札を見て、

「たしかにこれは偽造できないな」

 と答えた。

「ユーテリア王国でも紙のお金を作ろうか、って話はあったんだけど、どうしても簡単に偽造できるからね。ここまで精巧な印刷技術があれば、金貨銀貨をじゃらじゃら持ち運ぶ必要がなくてありがたいんだけど」

 なるほど、確かにお札はコインより軽いから、財布がじゃらじゃらして重たいということはない。紙幣というものが有難いものだということを、有菜はようやく理解した。

「まあそんなことはいいんだ。ちょっと頼まれてくれるかい?」

「頼み事、ですか」沙野が緊張した顔をする。

「そんな身構えなくて大丈夫。いまこの村の人たちはみんな里に特産物を売りに行っていて留守なんだけど、放っておくと畑にマンドレイクが生えてきちゃうんだ。それをむしってほしい」

「え、ま、マンドレイクって引っこ抜くと叫ぶやつじゃなかったでしたっけ」と、沙野。

「なにそれ」

「なにそれって、マンドレイクを引っこ抜くと、マンドレイクは絶叫して、それを聞くと死んじゃうっていう……」

「え?! 流石に死ぬのはいやだよ!」

「ああ、大丈夫。マンドレイクといっても意志を持つほどは成長してない。まだ春先だからね、成長して絶叫する大きさになる前に引っこ抜けば大したことはない。ちょっと声を出して聞くと気分を悪くするかもしれないけど、そうなったら泉の水を飲めば大丈夫」

 そんな民間療法みたいなノリで大丈夫なんだろうか。とにかく園芸用手袋をはめて畑に向かう。なにやらたくさん雑草が生えている。これがマンドレイクらしい。

 マンドレイクとやらをぶちぶちと引っこ抜く。ごくごく小さい声で「ぴぎぃ」と鳴いたりはするが、特にダメージはなかった。一通りむしり終えて、念のため泉の水を飲む。

 それでも小さいダメージをちまちま食らっていたらしく、泉の水を飲んだとたん体が軽くなった。すげーな、太陽の女神の泉……。

 むしったマンドレイクは干して薬の材料にするそうだ。無駄がない。

「これ、その……絶叫? を聞くレベルまで育っちゃったらどうするんです?」

「うーん……そうなったら魔法封じの魔法をかけて、念のため耳栓して引っこ抜く感じかな」

「魔法封じの魔法?」

「魔法封じの魔法っていうのは、だいたい言葉を封じてしまう魔法だ。育ったマンドレイクは魔物だから魔法封じが効くんだよ」

 このちっちゃい雑草が魔物に成長するのか。なかなか怖い。

 エキ・ロクのお茶を飲みながら、マンドレイクの使い道の話を聞く。マンドレイクは濃い魔力を蓄えているので、魔法の撃ちすぎで魔力が枯渇したときに、マンドレイクの煎じ薬を飲むとまた魔法が撃てるようになるらしい。

「ただまるでおいしくないんだ。正直なところ苦手だね。やっぱり人間が品種改良した野菜や薬草でないとおいしくないものだよ」

 そういうものなのか。

「魔物の肉だってそうだよ、里の人はオークの肉をありがたがって、強いオークほどおいしいって言うけど、正味の話豚肉に比べればぜんぜんおいしくないんだ」

「……沙野ちゃん、オークってなに?」

「豚と鬼のハーフみたいなやつ」

 豚と鬼のハーフ。その肉を食べるというのはなんだか怖い。そう思っているとクライヴがなにかの干し肉を出してきた。

「これがオークの肉の干し肉。食べてみるかい?」

 沙野が手を伸ばす。こいつクソ度胸極まってんな?! と思いつつ有菜も手を伸ばす。

 かじってみると、苦い豚肉みたいな味がした。端的にいってまずい。

 そんなことをしているうちに、村の人たちが帰ってきた。夜呼びも飛び始めたので、その日の異世界はそこで終わりにした。

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