奥様は呆れている

獅童正嗣という名は広く知れ渡っている。

旧財閥らが互いにしのぎを削る中、突然天下に名乗りを上げた獅童財閥を率いる当主。

類稀なる手腕と有無を言わさぬ剛腕を併せ持ち、遺憾なく発揮されるリーダーシップには他の追随を許さない。

経済界や金融業界に留まらず、近々政界進出も噂されるほどの著名人である。

二十歳で獅童財閥を継ぎ、今年で早くも三十年。獅童財閥の名を日本全国に轟かせた名君は今日も世界を震撼させるほどの偉業を成し遂げるに違いない、そう羨望する声が殆どだ。


そんな日本中の期待を背に、今、稀代の名君はギロリと目を凝らしている。

さて、その瞳に映るのは何なのか。

その正体とは――――――




「お! 今いい感じの雰囲気になったんじゃないか!? よし、そのまま好きって言っちまえ! 抱きついてそのままキス、キス!」


自室の窓から双眼鏡を介して観察。その先にいるのは二人の少年少女。

そう、獅童正嗣は今まさに二人の行く末を実況していたのである。


「……正嗣さん、何をやっているんですか?」


扉を開け、その背後からやって来た女性、獅童佳代子しどうかよこは呆れながら質問をする。

答えなど分かりきったこと。だがもしかすれば違う答えが返ってくるかもしれない、そんな淡い期待を込めて。


「おお、佳代子か! 今ちょうど二人が良い感じなんだ! ほら、予備の双眼鏡やるからこのまま様子を――――――」


有無を言わさず、佳代子は正嗣が手に持つ双眼鏡を取り上げる。


「―――な!? いきなり何を!?」

「いきなりは貴方ですよ。え、なんで司と澄花のストーカーしてるんですか? それにこんな値の張る双眼鏡まで用意して……しかも二つも」


微かな期待を裏切られた佳代子であったがそれは毎度のこと。さっさと切り替える。


「決まってるだろ? 二人の観察だ。決してストーカーではない」

「ストーカーは立派な犯罪です。ここが敷地内であろうと私が許しませんよ」

「ま、待て! 俺の言い分無しに有罪判決は早計だ!」


本来なら問答無用であったが、取り敢えず言い訳だけは耳に入れておこう。


「それで? なぜ二人のストーカーなんて下らない真似してたんですか?」

「ストーカーと決めつけるな……まあいい。それよりもだ、佳代子、お前はあいつらのことどう思う?」

「あの子たちのことですか? さあ、どうと言われても私には……」


一応しらばっくれてみるが、さして大差ない。

正嗣はため息をつくと、私に伝わるよう大声で言ってきた。


「あいつらはな……互いに好き同士なのに何故か一向に付き合おうとしない! これはおかしいだろ!?」

「…………」


やはり駄目だった。またいつもの発作が始まってしまったらしい。


「好きなら好きでさっさと付き合えば良いのだ! なのにウジウジグダグダと……! 獅童家の跡取りならば四の五の言わずにハッキリせんかい!」


獅童正嗣の悪い癖。それはお節介が過ぎるということ。

はっきりしない人種を嫌う彼の性格はもちろん熟知している。が、この場合においては、それが裏目に出ている。


「全く貴方という人は……もうこれ以上言わなくても察しますよ。どうせ二人をくっつけようと画策したのでしょう?」

「なんだ、分かってるなら話は早い。ならばストーカー呼ばわりも訂正してもらおうか。二人がくっつくよう見守っているだけなのだから何も問題はないだろ?」

「問題しかないんですよ。いいですか? 正嗣さんがやっていることは余計なお世話なんですよ。なにが見守るですか……思いっきり干渉してるじゃないですか」


他人の都合などお構いなし。自らの行動が正しいと自負しているからこそ、二人にあらぬ誤解を与えていることに気づいていないのだろう。


「正嗣さん、貴方が外野から急かしても悪化するだけだと以前学んだはずですが……なぜじっと待てないんですか? また悪化させたらそれこそ司に嫌われますよ?」

「け、けど俺だってあいつらのことを考えてだな……」


納得しきれていない様子の正嗣さん。

腕組をして、若干俯き加減に腰を下ろしている。

全く……これでは正論にいじける子供そのものではないか。


結局のところ、日本中に名を轟かせる獅童正嗣も家庭内ではただの親バカと言うことなのだろう。

昔はそうではなかったはずだが、なにがきっかけだったか、今では愛情表現さへ稚拙な暗君。

盲目的に二人を溺愛するパパに成り下がってしまったのだ。


「そうやって後先考えなかった結果どうなりましたか? 貴方が一番覚えてるでしょうに」

「いや、今の話とあれは別というか……」

「同じです。がきっかけで澄花が塞ぎ込んでしまったのですよ?」

「それは……本当にすまないと思ってる」


元々その縁談は正嗣さんが司に結婚を意識させて澄花と距離を縮めてもらう目的のために主催したのだが、結果は最悪。それ以後、澄花は司と距離を取るようになった。

まだ幼かった彼女にとって現実を知るのは酷だったろうに、それでも突き付けられた身分の差。

縁談相手の令嬢に酷いことを言われて以来、彼女の表情から笑顔が消えてしまったのだ。


「あの子らは貴方の娯楽の道具ではないのですよ? 懲りているなら少しは自重してくださいな」

「…………」


この話題に触れるといつも正嗣さんは黙り込んでしまう。

澄花を傷つけてしまったと反省しているからだ。

しかし、だからといって許せるような私ではない。


紗花さやかから預かってる娘なんです。親代わりとして、あの子にもう二度と下を向かせたくない。それは貴方だって同じでしょう?」

「…………分かってる。あの一件は軽率過ぎたと反省してる」


沈黙を経て、真面目な口調で返答する。

その視線の先には何やら話し込んでいる様子の二人。

あれから十年。四苦八苦してようやく二人は昔のように話せるようになったのだろう。

ここからでも薄っすらと伺える二人の表情はとても楽しそうに見えた。


「だがいつまでも二人贔屓はできない。18になっても司がウジウジしているようなら俺は問答無用で令嬢との縁談に参加させる。妻を迎えないまま当主を継ぐとあっては、世間や他の財閥に足元をすくわれてしまうからな」


そのまま視線を逸らさず、いつになく真剣な面持ちで告げる獅童家当主。

盲目だったはずの瞳に映るのは、きっと未来の獅童家のあるべき姿なのだろう。


「……でも、もし澄花と結婚したとして、司は本当にあの子を世間の目から守れるのかしら」

「分からん。が、その覚悟がなければ平民である澄花を心から笑顔にすることなど到底不可能だ。令嬢ではない澄花と対等を望むなら、それ相応の覚悟を見せてもらわないと獅童家当主は務まらん」


シンデレラストーリーが受け入れられるほど世間の目は温かくない。

メイドの立場でさえ非難を受けてきた澄花が今後受けるであろう洗礼は今以上になる。

きっと澄花はそれを理解していたから、自身が傷つかないよう司と距離を取っていたのだ。

自らの気持ちに蓋をして、自身の役割を無心に全うすることの残酷さを誰よりも知り続けながら。


そんな澄花を改心させ、心の底から笑顔にさせる覚悟が果たして息子にはあるのだろうか。

愛する者のために全てを捨てる覚悟が、江戸から続く獅童財閥の伝統を破壊する覚悟が、果たして獅童司にあるのだろうか。


「―――司、俺のルールに従えないなら親を蹴落としてでも成り上がってみろ。獅童家次期当主として俺以上の大物になってみろ。それができなければ、今のお前の我儘や理屈は一切通用しないぞ」


現当主がそう囁く。

強い言葉を発するが、なんともお節介な助言だろうか。

やはりこの人は親バカだ。息子の成長を心待ちにしている、ただの父親だ。

本当に呆れる。


ならば、そんな彼に添い続ける私は果たして何者だろうか。

この三十年間、いや結婚する以前も合わせれば四十年間、ずっと隣で彼を見る私は大馬鹿者だろうか。

結局私も同じ穴の狢らしい。


自分でも呆れるほど、私は獅童正嗣に陶酔しているのだ。

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