御曹司は悶々とする
「はぁ……なんで俺達、園芸なんてやってんだ」
俺はそう愚痴を吐く。
広大な獅童邸の一角、その敷地内道路に沿うように植えられている花々に現在水を与えているのだが、この作業が終わりを迎える気配が全くないのだ。
そもそも獅童邸の所有する敷地面積は俗にいう東京ドーム換算で十個分以上。移動手段に車を用いる必要があるほどに広大な庭園を二人で歩いて作業というのは非効率にも程がある。
これを夕方までに終えるのは至難の業だ。
「口を動かす暇があるならさっさと手を動かしてください。このペースだと明日以降に持ち越しになってしまいますよ」
対する澄花は有無を言わさぬ姿勢で苗の植え替えをしている。
隣から眺めていると分かるのだが、全ての動作に本当に迷いがない。
花壇の手入れは普段の給仕内容でないはずだが、彼女の手付きは慣れたもので、俺が一角の水やりをしている間に既に三倍の仕事をこなしてしまった。
にもかかわらずメイド服に土汚れが一切付いていない、まさに達人の領域だった。
相変わらず仕事熱心だなとその様子を眺めていると、急に澄花がこちらに振り向く。
「こちらを見ている暇があったら手を動かしなさい」
「あ、はい」
かなりキツイ口調で責められた。相当にご立腹らしい。
仕方なく手を動かすが、とは言えやはり仕事に身が入らない。
父さんの趣味である花壇の手入れを強制されているせいもあるだろうが、それ以上に先程の出来事が胸の奥でもやもやしている。
せっかくいい雰囲気だったのにそれを邪魔された、その事実が俺の中で消化しきれずにいた。
「…………また、別の機会がありますよ」
隣で澄花がそう呟く。
まるで思考を読まれているようで恥ずかしかったが、それは多分きっと澄花だって同じ気持ちのはずだから。
でもそれを甘んじて受け入れられるほど、俺は澄花のように大人ではない。
「あんなキリの悪いタイミングで部屋に入ってくるなんて変だろ。それにいきなり園芸してこいだなんてさ……完全に嫌がらせとしか思えない」
俺の父さん、獅童正嗣は傲慢な人だ。
今は亡き祖父同様、良し悪しでしか物事を考えないような性格を有し、はっきりしない人間にはすかさず鉄槌を下す。
決められた規則を重視し、亭主関白な思考回路を持つ。古臭い慣習を嫌う俺にとって、父さんは言わば真逆の存在、硬派な立場の人間なのだ。
「仕方ありませんよ。それが旦那様のご意向なら、御曹司である司様は忠実に従うべきです」
「従うって……あれやれこれやれしか言わずに理由さえ教えてくれないような奴なんだぞ? 訊いても自分で考えろの一点張りだしさ、ほんと頑固で融通の利かない奴だよ」
やること成すこと全てを自分で考えろだと? もっともらしく振舞って、意味ないものに無理矢理意味を持たせようとしているだけだろ。
けどこれが嫌がらせというのであれば、ある意味はっきりしている。
メイドと御曹司、雇われる側と雇う側。これが不釣り合いなのは自明であるから。
「全く……なんで母さんはあんな奴の言うことを聞くのかね」
「きっと長年旦那様に連れ添ってきた奥様だからこそ、ですよ。それに……物事には必ず理由というものが存在します。旦那様も旦那様のお考えがあってのことだと私は思いますよ?」
「ふん、どうだか。どうせ俺への嫌がらせに決まってる」
「ふふっ、そんなに拗ねないでください。せっかくのご尊顔が台無しですよ」
柔らかい笑みをこぼす澄花。
それを見ていると、先程までのもやもやが晴れていくようだ。
「うるさいよ」と反論しつつも、俺の表情には雲一つない。
やっぱり俺は澄花が好きなんだな、としみじみする。
でも、そうか。
物事には必ず理由がある、か……
「……じゃあさ、澄花が俺を好きな理由もちゃんとあるってこと?」
「な、なんですか急に」
「物事には必ず理由があるんだろ? 俺、よく考えたら澄花がなんで俺のこと好きなのかって聞いたことない気がする」
タイムリープをしていた頃に一度だけ言ってもらえた記憶があったが、あれは単に励ましの言葉だ。
顔のどこが好きだとか、身体のどこが良いだとか、性格やら仕草やら諸々、一度も言われたことがない。
「なぜ私が言わなければいけないのですか……、言い出した当人である司様が言えば良いのでは」
「俺、1000回くらい言ったけど。あれでもまだ足りなかった?」
「…………確かにそうでしたね。いえ、これ以上は遠慮します」
口を滑らせたと反省する澄花。
少しだけ悔しそうに、でもどこか潤いを含めた眼差しでこちらを覗き見てくる。
「私はメイドなのですから……これは給仕の一環、これは司様の命令に従うだけ……これは仕事……」
ぶつぶつと独り言を発しているが、こちらにまで聞こえてしまっている。
周りに気を配れないほどに動転しているらしい。
「あ、そうだ。ここからは敬語禁止ね」
「!? な、なぜ―――」
「だって敬語だと無理矢理やらせてるみたいで嫌なんだよね。俺、澄花とは対等なつもりだし」
本来ならばあの告白以後、二人だけの時は敬語無しで付き合いたかったが、澄花に断固拒否されてしまった。
変に浮かれて人前でボロを出さないようにするためらしい。
でも今は俺達だけで誰もいない。
先程邪魔が入った分、少しばかり大目に見ても罰は当たらないだろう。多分。
「生涯恨みますよ……」
「なんかそれってすごい愛されてる感じがする」
最後の反撃もするりと躱され、澄花は悶々とした態度で腕組していた。
片手を額に押し当て、崩れた前髪で表情が隠れてしまう。
でも口元はキュッと強く結ばれている。多分、恥ずかしくて仕方ないのだと思う。
「…………分かり、ました」
ようやく澄花が頷く。
それほど回っていないはずの時計の針がやけに遅く感じる。
ゆっくりとこちらに迫ってくる澄花。
目を合わせず、それでも確実に俺の前にやってきて、そして――――――
「――――――…………!」
熱い感触。
これは……一体何だろうか。
息が詰まりそうで、でもとても心地良い夢を見ているようで、なんとも形容し難い。
この味は、初めての感覚だ。
「…………これで1000回分。もう、しないから」
遠くなる澄花の匂い。
俺は何も言えず、ただ頷くのみだった。
「で、では私はあちらの方の花壇で作業していますので……用があれば申し付けください」
そしていつもの調子に戻り、澄花は苗の入ったケースを担いで消えてしまった。
でも俺はずっと放心してしまう。
いつまでも忘れられない感触に酔ってしまったように。
「…………俺のことめっちゃ好きじゃん」
これ以上ない愛情を受けてしまったと、それしか考えられなかった。
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