御曹司は気が気でない
俺、獅童司は悩んでいた。
ずっと片想いだった意中の女性、久遠澄花との両想いが発覚して数日が経ち、これから先は薔薇色の人生が俺達を待っていると思っていた。
でも実際は殆ど変わらず以前のまま。澄花は相変わらず素っ気ない態度を取り続けていた。
「俺達って付き合ってるんだよな?」
確かに俺達は愛を確かめ合った。
けど振り返ってみれば、その後の関係について全く話し合っていない気がする。
あったとしてもそれは他人がいる場では決して関係を悟られないよう以前同様に振舞うということ。
世間体を気にする澄花はそれで満足しているようだが、対する俺は全然満足していない。
でもまあ、それについては一旦どうでもいい。それよりも大事なことがあるのだから。
「澄花とイチャイチャしたい……!」
切実な想いだ。
でも考えてみてほしい。
十年以上想い続けてようやく成就したのだから、ブレーキなんてもうぶっ壊れていてもおかしくないはずだ。
それでも数日、この三日間は澄花との約束を守っていた。
ならば、それ相応のご褒美があってもおかしくないのでは――――――
「駄目ですよ。たかが三日で何を馬鹿なことを言っているのですか?」
突然の返答。全身の細胞が跳ねる。
「―――おまっ!? い、いつの間に!?」
振り返ると、メイド服を着た澄花が呆れた様子で立っていた。
「ちゃんと部屋に入る前に声掛けはしましたよ。一人でぶつぶつと独り言を呟いていた司様には聞こえていなかったようですが」
「で、でも急に話しかけてくるなよ! ビックリしただろ……」
「それは失礼致しました。まさか獅童家の跡取りとあろう者がそれほどまで臆病だとは思わず」
「うっ……、せ、せめて感受性豊かな人って言ってほしかった……」
棘の立つ言い方で責めてくる澄花。
けど、なんだか少しだけ機嫌が悪そうに受け取れるのは気のせいだろうか。
「私と交わした約束をもうお忘れになったのですか? 御曹司という立場を理解しているのであれば、そのような言動は今後慎んでいただきたいものですが」
「で、でもさ…バレなきゃいいんだからちょっとくらいご褒美があってもよくない? 俺、結構我慢してたんだぞ?」
「駄目ですよ。そうやって結局エスカレートしていくのは目に見えていますので」
そう言って俺の要求を拒むと、澄花はため息をつく。
次いで腕組をし、露骨に態度を悪くしていた。
「…………なんですか? 先程確認したので袖汚れはないはずですが」
「い、いや……汚れじゃなくてその上のというか……やっぱりなんでもないです」
「? そうですか」
余計に怒らせるのはマズイ。見なかったことにしよう。
それよりも、だ。俺は一つだけ訊いておきたいことがある。
「澄花はさ、俺達の関係を今後どうしようと思ってるの? こんな我慢ばかりの関係になりたくてなった……ってわけじゃないだろ?」
世間体を気にするのは確かに分かる。でも、俺はそもそもそんな下らない第三者に迎合する気はない。
俺達の関係は俺たちが決めればいい、そう思っているからこそ、父さんのように世間優先的な考え方を曲げようとしない澄花の気持ちを知りたい。
「駄目ですよ、司様はもう我儘が通じる年齢ではないのですから。御曹司という立場の貴方であれば尚更―――」
「御曹司とか獅童家の跡取りとか……もう俺の立場はいいよ。それより俺は澄花の気持ちを訊いてるんだ、答えてくれよ澄花。今後、俺とどう在りたいんだよ?」
「それは…………」
澄花は俯く。用意していたはずの言葉が出てこずに困惑しているようにも見えた。
「俺は澄花とイチャイチャしたい。お前にとってはたかが三日だとしても、俺にとってはやっと三日だ。こんな調子じゃ俺は絶対に人前でボロが出る、と思う」
「……約束を無下にする気ですか? 私の気持ちを蔑ろにしてでも自身を優先なさる気ですか?」
「それが澄花の本心なら俺は我慢するよ。でもさ、本当は違うんだろ? 今の顔を見てれば分かる」
ようやく分かった。どうして澄花の機嫌が悪そうに見えたのか。
きっと澄花も俺と同じ気持ちだったんだと思う。
いつもの冷徹な表情とは違う。こんなに辛そうな顔、俺は初めて見たから。
「違います……約束を提案したのは私なんですから、それでは辻褄が合いません……」
「ここは俺の部屋だ、俺達の他には誰もいない。誰にもバレなきゃいいんだから、ここなら約束を破ったことにはならないだろ?」
「それは……その……」
「世間も他人の目も一切ない、完全に俺達だけ。これなら辻褄は合ってるだろ? ほら、どこが間違ってるか教えてくれよ?」
「…………いいえ。間違ってない、です」
逃げ道を塞いでいくと、ようやく澄花は肯定する。
数秒間に及ぶ葛藤を経て、コクリと小さく頷いてくれた。
そしてゆっくりと右手を差し出し、俺を求めてきた。
「え、キスじゃないの?」
「な、なにを言っているんですか……、こういったものは手順通りでなければいけないのですよ。流石にせっかちが過ぎます」
そうか、手順というものがあるのか。
ということはつまり、いつかはキスを求めてくれるのかな……
「なにボーっとしているんですか。別に私はやめてもいいんですよ」
「し、します、手繋ぎます……!」
慌てて左手を差し出し、澄花の手に触れる。
一瞬ピクっと跳ねたが踏み止まり、次第に小指同士が絡まってゆく。
「…………これ、指切りだよね」
「て、手を繋ぐとは一言も言ってませんから……」
これ以上はもたないらしい、澄花はすでに限界を迎えているようだった。
けどまあ、初めから飛ばす必要はないか。
時間はまだまだたくさんあるのだ。これから少しずつ解き解していけば良い。
「でも、手繋ぎたい……」
「駄目ですよ。今でも十分危険なのにこれ以上となると……もし誰かが来たら言い訳できません」
「うーん、気にし過ぎだと思うけどなぁ。皆にはノックするように伝えてあるし、何も言わずにいきなり扉を開けて来る奴なんてこの屋敷の中に一人しか――――――」
そう言った瞬間、正面の扉が豪快に開かれる。
耳鳴りがするほどの轟音、思わず身が引き締まった。
そうして俺の部屋に入って来たのは―――
「お! ここにいたか、司……と、ん? 澄花も一緒――――――」
獅童正嗣、俺の父の登場。
それと同時、左手を起点に俺の身体がふわりと宙を描く。
「―――え」
あっけない声を漏らし、理解できないまま空中に投げ飛ばされ、そして地に叩き落された。
「いッッッ――――――!!!???」
全身、特に背中が悲鳴を上げるほどの激痛。声をあげようとしたが、その前に澄花が言葉を発する。
「―――旦那様、どうされましたか?」
「え? いや……むしろ私がどうしたのって訊きたいんだが……部屋入った途端に息子が宙を舞ってたら流石に気になるよ? え、訊いてもいいんだよね?」
「それはですね……その……、そ、そう! 司様が柔道に大変興味を抱いているご様子でしたので、私が手解きをいたしておりました!」
「柔道? そうか、柔道か……でも私の息子地べたでえげつないほどに悶絶してるけど……本当に大丈夫? 背骨やっちゃってない?」
「大丈夫ですよ……! ほ、ほら、司様も旦那様に何か言ってあげてください……!」
そう言われたので、何とか声を絞り出す。
が、うめき声のようになってしまった。
「ほら! こんなにも元気いっぱいで……まさに獅童家の跡取りに相応しいお姿!」
「任せられない背中だな……」
ごもっともな意見を述べる父さん。まあ、その通りだ。
「まあ息子の趣味に口を挟むつもりはないから、そこは安心しろ」
と思いきや、今度はとんだ誤解を受けてしまった。
くそ、父さんにだけは弱みを握られたくなかったのに……
「それよりも旦那様。司様の部屋に参られたということは何か御用があるのでは?」
「ああ、そうだった! 忘れないうちに頼みたいことがあってだな……」
冷静に澄花が尋ねると、父さんは思い出したように何かを取り出す。
よく見るとそれは園芸用の道具だった。
「ほら、二人で花壇の手入れをしてこい!」
図らずも澄花と二人で目を合わせる。
そして――――――
「「え……?」」
困惑の声をあげた。
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