第24話





「ただいま」


 落ち込んだ声で言って家に入ると、玄関のところに兄がいた。


 車椅子に乗って待ち構えていたのだ。


 驚いて立ち上まる。


「兄さん」


「遅かったな。あまりに遅いから心配で待っていたんだ。なにかあったのか?」


「兄さんには敵わないな」


 言って近付いて兄の二の腕を掴み、その胸に顔を埋めた。


「セイル?」


 兄が名を呼び、左手で髪を撫でてくれる。


「なにがあったか話せるか? わたしでよければちゃんと聞くから。相談にも乗るから」


「部屋に戻ろう。体に障る。今日はクレープを買ってきたんだ。多分兄さんは見たことないんじゃないかな」


 涙を堪えて兄の背後に回る。


 兄は無理に見上げていたが、なにも言わなかった。


 車椅子を押して兄の部屋に戻る。


 兄の部屋は2階から1階に変わった。


 父や母、それにミントが相談して決めたのだ。


 車椅子をミントが用意したときに、1階の方が移動しやすいだろうということで部屋を変えた。


 1階には父の書斎と寝室があったが、それを譲ったのである。


 兄は申し訳なさそうにしていたが、父は大して気にしていないようだった。


 部屋に戻ると寝台の傍に小さなテーブルセットが用意されている。


 これを用意したのもミントだ。


 さすがに彼女は兄のためとなると、どんな努力も厭わない。


 兄が快適に暮らせるように、少しでも兄が不自由を感じたら、即模様換えしてしまう。


 兄はその必要はないと言い聞かせるが、ミントが聞き入れることはなかった。


 その合間に兄から任されているからと、優哉の護衛などもしてくれて、彼女の多忙さには頭が下がる。


 テーブルの傍に兄を移動させて、自分は向かいの椅子に座る。


 クレープを差し出して、兄が苦労して食べているのを見ながら、ふと首を傾げた。


「もしかして兄さんを玄関まで移動させたのってミント教授?」


 兄は車椅子があっても自分では移動できない。


 必ず誰かの介助が必要なのだ。


 普通なら母だと思うところだが、今日放課後にミントに逢わなかったことから、意図的な匂いを感じたのである。


 問いかけると兄は頷いた。


「セイルの帰宅が遅くて、わたしが部屋でイライラしていると、ミントだけが帰ってきたんだ。それで玄関で待っていてはどうかと言われた」


「そうなんだ?」


「きっと喜ぶから待っていてやってほしい。そう言われた」


「余計なことを」


 顰めっ面で言えば兄は苦笑いを見せた。


「そうか? わたしはセイルになにかあったと悟って、彼女の気遣いに感謝したが」


「兄さん。ちょっと過保護だよ?」


「17年間も離れ離れだったんだ。少しくらい過保護でも仕方ないだろう?」


「確かにそうだけど」


 ため息が出る。


 兄はクレープを食べながらも、じっと優哉の目を見て離さない。


 居心地が悪くてパクパクとクレープを食べていく。


 程なくしてクレープはなくなった。


 兄は慣れていないため、まだ苦労して食べていたが、その目はしっかり優哉にある。


 しょうがないなと隠すのは諦めた。


 ミリアとの間で起きた事件の一部始終を兄に報告する。


 さすがにキスされたことは言えなかったが、優哉がこれまでなにをしてきたか。


 そのためにミリアやケントをどう追い詰め傷付けたか。


 その説明をしたのだ。


 兄は神妙な顔で聞いていた。


「なるほどな。それではセイルが落ち込むのも無理はない。おそらくミントは一部始終を見ていて気を利かせて先回りして帰ってきたんだろう。わたしに教えるために」


「ぼく。どうしてこんなに鈍いのかな? せめてぼくがもう少し人の気持ちに聡かったら。そうしたら」


「そう自分を責めなくてもいい」


「でも」


「セイルはその幼馴染の女の子は、きちんと意思表示していたというが、それはさりげなく言葉や態度に匂わせていただけで、はっきりと言葉にしたわけではないのだろう? 告白されたのに気付かなかったわけでは」


「そうだけど」


「確かにそういう手段でも気付く者はいるだろう。だが、セイルのことをよく知っているなら、セイルがそれで気付くかどうか。その娘にだってわかっていたはずだ」


 言われてみればそうである。


 直接言わなければ優哉はまず気付かない。


 これは学園でも有名な噂だ。


 少なくとも本人である優哉の耳に入るくらいには。


 そんな簡単な事実にミリアが気付いていないとも思えない。


「セイルは理由をはっきり言われるまで気付かないタイプだ。これは賭けてもいい」


「兄さん。どうしてそんなに自信満々に言えるの?」


「わたしは兄であることを隠したことはない。さりげなくだが弟として扱ってきたし、それを意思表示もしてきた。だが、遂に気付かなかっただろう? どうしてわたしがセイルを特別扱いするのかなんて」


 言われて答えられなかった。


 薄々恋愛的な意味ではないと気付いていた。


 しかし兄の態度に近いと知っていても、それにより兄弟関係を示唆していることには、悪いかもしれないが気付かなかった。


 それは事実だ。

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