第6話
そのときは断ったが、そういえば一度具合が悪くて休んでいたとき、後で医師から聞いたがジェイク殿下が様子を見にきたという話だった。
そして青い顔色で教室に戻っていったと。
そのとき、実は疑問に思ったことがあった。
右手首に巻いていた布の巻き方が、いつもと違ったのだ。
きちんと巻かれていたが、いつもと巻き方が違い、その日、風呂に入るとき、とても困ったものだ。
まさか、あのとき見られていた?
そういえばあの直後からだ。
殿下の態度が急変したのは。
なにかと気にかけてくれるようになり、やたらと傍に置きたがるようになった。
そうして今では遺言となってしまったあの言葉。
『きっと法律を変えてみせるから。すまない、セイル』
そうだ。
あのとき、たしかにセイルと言っていた。
そのときは違うだれかの名を呼んだのだと納得していた。
だが、あれは優哉のことだった?
あの人が……優哉の実の兄?
「ジェイク殿下はあなたのために法律を変えられるおつもりでした。実の弟君として宮殿に迎え入れるために」
なにも言えず唇を噛む。
自分を捨てた両親のことを恨んでいないと言えば嘘になる。
殿下だけが実の子として扱われ、自分は捨てられた。
でも、その事実で殿下もまた傷ついていた。
殿下と知り合っていたから、そのことがわかってしまう。
優哉はこの憤りをどこにぶつければいいのかがわからなかった。
「ぼくがどこのだれかなんてどうでもいいよ。別に興味もない」
「セイル殿下」
「でも、どうして今になってそんなことを言われないといけないの? 身勝手すぎないっ!?」
バンッと机に片手を叩きつける優哉に、ふたりとも答えるべき言葉がない。
そこへ声が響いた。
「それはわたしの命令だからです」
振り向けば学園でこのあいだ教授の任についた少女が立っていた。
年齢不詳のミントという女教授。
彼女を見て父と母はその場に跪いた。
「あなたのことがわかってからの殿下のご遺言だったのです」
「遺言?」
「もしご自分になにかあったら、万が一のことが起こったら、弟君であられるあなたに王位を継がせること。それが生前から残されていたご遺言でした」
「ジェイク殿下はどうしたの? 本当に亡くなったの?」
「いえ。正確には生死不明というのが正しいのです。殿下は船でご婚約者を出迎えるため旅をされていました。ですが船が沈んで」
「いつの話?」
「1週間ほど前です。季節的に生存は難しいと判断されました。このままでは大臣や貴族たちが王位継承争いを起こします。あなたには王位を継いでいただかなければなりません」
「そんな勝手な話。一度は捨てておきながら、今度は王位を継げ?」
「ご両親のことは許せないかもしれません。ですがあなたの生存を知って、ずっと苦悩させてきた兄君のご遺言だと思ったら受け入れることはできませんか?」
たしかにジェイク殿下はなにかと優哉を気にかけてくれて、今思えば実の父の葬儀のときもなんとか出席させようとしてくれた。
それは優哉が実の息子だからだ。
実の弟だから父親の葬儀に参加させようとしてくれた。
でも、それを優哉が断ってしまったのだ。
父や母に反対されたからと。
「実際のところ、ジェイク殿下からはお誘いを断らせるなと、何度も叱責を受けていました。
ですが市井に出されたお子さま方は、王宮への出入りを許されていません。ジェイク殿下がどれほど望まれても、できないものはできないのです」
「父さん」
「だったら法律を変えると殿下はおっしゃっていました」
「実の弟君を弟として扱える法律に変えてみせる、と」
ふたりに交互に言われて優哉は言葉に詰まった。
「これから先この国をどうするかはあなた様次第です。ですがどうか。殿下のご遺言なのです。王位を継いでいただけないでしょうか」
ジェイク殿下は死んだかもしれない。
でも、死んでないかもしれない。
死亡が確認されたわけじゃない。
今優哉が王位を継ぐことを認めて、もし後になってからジェイク殿下が無事に生還されたら、そのとき無用な対立を生むのではないか?
そんな気がする。
どうすればいいんだろう。
殿下のことは好きだ。
兄として気遣ってくれる殿下に多少困りはしても好きだった。
その遺言なら守りたい。
でも、生存も信じたい。
その板挟みだった。
「王位を継いでいたたくためにはお妃様を決めていただかねばなりません」
ミントの言葉にギクリと青ざめた。
そういえばそうだった。
王位を継ぐ条件は国王の喪が明けることともうひとつ。
王妃の存在があったのだ。
優哉には婚約者どころか恋人もいない。
当然だが王位を継ぐ条件が揃っていないのだ。
「これも殿下のご遺言です。もしご自分に万が一のことがあって、あなた様に王位を押し付けるような事態になったら、如何に遺言とはいえ身勝手な決定だろうから、せめてお妃様はご自分で選ばせるように、と」
ジェイクはどこまでも優哉の身と心を気遣ってくれる。
だから、否定することしかできないという現実を苦く噛み締めていた。
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