第36話 先輩、好きにしていいですよ。

 「これが……大きいです……こんなの、口の中に入るのでしょうか? ……いただきます。……うわ、とろって口の中で……美味しいです」

「……いや、何も言うまい」


 香澄が食べているのはダブルチーズバーガーだ。ややこしいが。だがこの店のハンバーガーはかなりデカい。皿に乗せられて出てきた時点では香澄の顔くらいある。握って少し潰して食べるか、ちまちま食べるか。しかしながら香澄は握りながら大きな口を開けて食べることを選んだ。


「先輩、良いお店知ってますね」

「まぁな」


 個人経営のハンバーガーショップなのだが。定期的に食べたくなる。分厚いハンバーグに香ばしいバンズ。おすすめはダブルチーズバーガーだが、アボカドが使用されている奴もかなり人気だし俺も美味しいと思う。


「これは。なんですか?」

「オニオンリングだ。玉ねぎを輪切りにしてパン粉を付けて揚げた奴」

「ほわぁ」


 香澄のテンションがおかしくなっているな。ぽりぽりと少しずつオニオンリングを齧りつつ口の中に押し込んでいく。小動物を見ている気分だ。


「……あれですね先輩。先輩が私の頭を撫でたい時の顔、わかった気がします」

「えっ」

「今、髪、触りたいと思いましたね」

「……何の、事だ?」

「とぼけなくても結構です。先輩のこと、何となくわかるようになりました」

「なんだと……」


 こいつ、妙な特殊能力を。面倒な。

 あの柔らかでサラサラな感触。あれを手が求めていた。


「……はぁ。まぁ。良いですよ。後で」

「えっ」

「良いですよ、って言っているんです。別に……何でもありません……いや、えっと……減るものでもありませんし。こんなものでよければ」

「いや、こんなものと卑下するようなものじゃない。むしろ……あー……なんだ」


 くっ。何だこの会話。これは本当に俺と香澄の間で行われている会話なのか。


「いや。あー。良いものだと、思うぞ」

「そ、そうですか。それは、よかったです」」


 もぐもぐとハンバーガーを口に押し込めて流れる沈黙を誤魔化して。


「……ごちそうさまでした」

「ごちそうさま」


 二人で店を出る。


「……もしや」 


 俺は撫でたいけど香澄は、撫でられたい方……?




 本屋で良い感じの本を見つけ、とりあえず購入。これで大体資料は揃った昼下がり。


「じゃあ、とりあえず俺は帰って目を通して、内容まとめた奴送るから待っていてくれ」

「あっ……えっ、今から?」

「あぁ、明日には完成した奴を送る」

「……手伝います」

「へ?」

「そ、そんな先輩ばかりに押し付けるわけにはいきません」

「いや、別に。そんな手間でもないし」

「それでも、です。先輩なら、確かにすぐに終わるかもしれませんけど……でも……」


 先輩に意見を求められた時、嬉しかった。……先輩のいる世界に、近づきたい。私の中の憧れは、多分、本物だから。


「それに先輩、そんなことをしていたら、何も食べずに眠るおつもりでしょう」

「いや、あのハンバーガー屋行ったらお腹いっぱいだからな。夕飯は問題無い」

「そうはいきません。夏休みだからこそ、先輩には健康に過ごしてもらいます」

「なんだそりゃ。毎日来る気かよ」

「……良いんですか? 毎日先輩の家に行っても」

「は……え……?」

「……そうですね。先輩の生活習慣を改善したいとは常々思っていましたし。良い機会です」

「おい」

「では明日から先輩にはそうですね……まずは朝七時に起きてもらいましょうか」

「それをすること、君にどんなメリットがある」

「先輩が健康になります」

「君にメリットが無いだろ」

「メリットデメリットで、人付き合い私はしていません。哀しいじゃないですか、先輩はそうなんですか? メリットデメリットですか?」

「……いや」


 言われてみれば、俺は一人でも大丈夫なように……。だけど今、俺は。


「そうだな」


 俺は一緒にいても良い。そう思えるから。


「わかったよ。香澄」

「はい、では早速夕飯の買い出しに行きましょう」

「はいはい」




 それともう一つ。

 私はこっそりとスマホのカレンダーにメモする。

 もうすぐじゃないか、先輩の誕生日。 

 どうしよう。こういう時、私には頼れる人がいる、


『恵理さん。もうすぐ先輩の誕生日です』

『なんと! ナイス情報だよ、カスミちゃん』

『何が良いでしょう』

『今度、水着と、カスミちゃんの服と一緒に選ぼう』

『はい、そうしましょう』


 グっと腕を引っ張られた。


「えっ? 先輩」

「ったく」


 スマホをポケットに入れる……うっかり歩きスマホをしてしまった。ん? そっか

 先輩が私の腕を掴んでいる。


「……すいません」


 先輩、私が人とぶつからないように。


「気をつけろ」

「ありがとう、ございます」


 先輩はそっぽ向いて歩き出す。

 ……なんか、納得いかない。だから。


「あとで髪、好きに触って良いですよ」

「君はたまにとんでもないことを言う」


 俺のためにテストの点を賭けた時も、こんな感じだったのだろうか。後先考えず、自分が納得のいく選択肢を、全力で。ギャンブラーも真っ青な勝負の仕方。


「もう少し自分を大事にした方が良い」

「それ、先輩が言いますか」

 自分の生き方のためなら、その道を生きる自分すら蔑ろにする。そんな先輩が。

「もう少し自分を大事にしたら良いと思います」

「はぁ。ったく」

「もうっ」


 お互いそっぽ向いて歩き出す。隣にいるようで、何となくすれ違ってる俺達。

 お互い前を向いて歩き出す。すれ違っているようで、結局同じ方向を向いて歩いてる。私達。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る