第23話 先輩、戦ってください。一緒に。

 さて、どうしたものか。

 放課後、俺は一人、腕組み悩む。


「あー……俺の方でもできることあるか探ってみるから。気を落とすなよ」

「あぁ。悪いな、気を使わせて」

「友達だろ、俺たち。当然だ」


 飯田はそう言って部活に行くべく鞄を担いで出ていく。すぐに友人グループに囲まれ見えなくなる。

 さて。先生が不正をしたのは間違いない。数学の小田先生なのも間違いない。だが、それをどのように証明する。

 犯人がわかっていても、それを証明する手段がない。手口すらわからない。

 まずは先生が行なっただろう方法を見つけ出し、そして、それが可能であることを証明する、その次に、それが先生の手によって行われたという証拠を見つけ出す。その足がかりすら見つかっていないのだ。

 数学の小田先生。何度か授業で俺の間違いを指摘して来て、それに対し間違いでない証明をして、怒らせた覚えがある。


「どうしたものか」


 放課後になっても、方法の候補があっても、じゃあ、俺の本当の答案はどこに行ったんだ、という部分が謎だった。


「先輩」

「ん?」

「センパーイ。香澄ちゃんと恵理ちゃんという可愛い後輩が会いに来ましたよー」

「……なんだよ」

「成果、持って来ましたよ」

「は?」

「あ、あったよ、香澄ちゃん、これでしょ」


 恵理が勝手に鞄を漁り取り出したのは俺の八十点の答案。


「ありがとうございます。さて、その前に先輩は、どこまでわかっているのですか?」

「さっぱりだな、候補はあるが」

「どのようにですか?」

「スキャナでパソコンにデータで取り込んで、白塗りして印刷したんだろ」

「流石です。私たちも、そう結論付けました。この学校の設備で可能な方法です」


 双葉さんは、頷きを一つ。


「勝利条件は明確ですね。そう、これがコピーされた答案であると証明することです」


 ……簡単に言ってくれるな。それだけで済むなら、俺は今頃職員室で小田先生と話をしている。


「十倍ルーペを使えば、印刷されたものか判別くらいはできるが、それだけでは証拠として弱い。俺が抗議のために捏造したと言われればそれで終わりだからな。だからこそ原本が必要なのだが。もう処分されているだろう。詰みだ」

「そうですね。確かに原本は必要でした。ですが、その原本はまだ、学校の中にある筈です」

「なぜ言い切れる」

「あぁ、先輩、知らなかったのですか? 今、先生方は持ち物検査しなきゃ学校の建物から出れないのですよ」

「……そう、なのか」


 知らなかった。そうか、まだ、希望はあるのか。


「さぁ先輩、私と……私たちと組んでください。それから解決のための方針を決めましょう。何でもしますよ。私も、恵理さんも」

「……俺に、助けを求めろと言うのか」

「はい。先輩が不正されたことを証明しなければ、私の期末試験の結果、全部ゼロ点にされてしまうので」

「な、なぜ」

「それが、理事長の協力を得る条件だったので」

「な……なんで、そこまでするんだ」

「今の先輩が気に食わないのですよ。なんで一人でどうにかしようとするのですか? 流石の先輩でも、先生方の協力が無ければ無理なのはわかるでしょう」 


 あぁ、その通りだ、今、俺は一人で詰みかけている。いや、ほぼ詰んでいる。


「先生に少し聞くだけで、先生側の不正対策の状況がわかりました。現在、不正の証拠が見つかっていないことがわかりました。そして、協力者を募ることができました。ここにいる恵理さんと、布良先生、あと、先程すれ違ったので飯田先輩にも協力を確約してもらいました。何より、理事長が私たちのこの活動を認めると太鼓判をいただけました。これが私の、今日一日の成果です」

「な、なんでそこまで」

「一人で負け戦をするよりもずっと生産的だと思いませんか? 先輩、私が憧れた先輩であってください。何勝手に負けようとしているのですか」

「そんなもの。俺は……」

「ずっと一人で戦ってきたから、頼り方を知らないとかですかね? そんな甘えたこと言いませんよね。勝つために必要な手札を揃える努力すら怠る理由が、ちゃんとありますよね」


 双葉さんの目がどんどん冷めていく。そんな目に見下ろされる。


「手札は揃えました。戦ってください、先輩。ちゃんと、本気で」


 差し出された手。握ろうと俺の手は持ち上がろうとするけど、でも。


「これはきっと、報いだ。俺にその手を握る資格はない」

「理由だけは聞きましょうか」

「人の心を理解しようとしなかった、俺への報いだ。俺はこの間まで、正しさこそが絶対で、正しいことを守り続けていれば良い、間違える奴が悪い。そう思っていた。でも、俺は知った」


 俺が、如何に独りよがりな生き方をしてきたのか。


「双葉さんとちょっとした喧嘩してから今日までの日々、人生で一番、濃密な時間だった。

 正しさは正しいだけで絶対じゃない。最適解が一番正しいわけではない。俺にしてみれば、革命のような考え方だよ。

 正義を振りかざすこと、その御旗が如何に絶対の真理であっても、振りかざす行為自体が、間違いなことだってある」


 そう、これは報いだ。


「だからこれは、報いだ」

「何ふざけたこと言っているんですか。このような行為が許されて良い理由があってたまりますか。言い訳は十分ですか? 十分なら仕事です。さっさと考えてください。この不正が成り立つ方法と、先輩の本当の答案の行方、その前にこの答案が印刷されたものかの確認ですね。化学室に行って来るので先輩は頭脳労働でもしていたください」

「お、おい」

「自分のために戦うのが嫌なら、私のテストの点数を守るために戦ってください。もう賭けてしまったので、後戻りできないんですよ」


 双葉さんが教室を出て行き、俺と恵理だけが取り残された。恵理は俺の目の前、飯田の席に腰掛け、そして頬杖をついて。


「センパイはどうしてそんなに消極的なのですか? そんな、報いとかよくわからない理由だけではありませんよね」

「……さっきのじゃ、納得してくれないか」

「えぇ。だって先輩だったら、そんな報いとか知るか、って跳ね除けて叩き潰す。そういうスタンスじゃないですか。俺を黙らせたかったら、俺を超える結果を出してみろ、を地で行う人じゃないですか。あたしの目にはそう映ってます」

「そうだな」

「香澄ちゃんとかにそういう姿勢をちょっと緩められたからって、こんな理不尽に屈する人じゃないです。だから、わからないんです。先輩がそんなに消極的な理由」


 じっと恵理は待っている。俺の中の本当を。


「はぁ、本当、たまに君は、鋭いな……初めてだったんだ。恥ずかしい話だが、見た瞬間、答えがわからなかったの」

「ん? どういう意味です?」

「知らないこと、わからないことに挑むこと。俺はそれが、怖かった。初めてだった、俺はいつだって、見ただけで何がどのように起きたのか、大体わかったんだ。後はそれを論理的に立証していくだけ、でも、今回は、本当に、わからなかった。初めてだった、怖かった。逃げたかった」

「それだけじゃ、無いですよね。それなら先輩は、一人で考えようとせず、負け戦すら放棄して、もう考えることもやめているところです。先輩は逃げずに立ち向かっていました。なんであたしたちの助けを、拒否しようとしていたのですか」


 恵理は俺を逃がさなかった、核心を突こうとしていた。目を逸らす。俺は、この状況に陥っている俺を許せない、なぜなら。


「俺は自分の力で、生きて行かなければならない。俺は、弱さを許さない」

「人から助けてもらうことは弱い、ですか?」

「あぁ。俺は、助けてもらって当たり前な立場には、ならない。母親のようには、ならない」

「母親、ですか? 何があったのか、話してみて欲しいです」


 恵理の目は真剣だ。興味本位でも何でもない、純粋に、俺のことを慮って、俺の抱える何かを解消しようと、そのヒントを求めているのがわかった。

 純粋な善意。だからだろうか、重い口が、誰にも話したことのない話を紡ぐべく、ゆっくりと動き始めたのだ。


「正直に述べると、俺の家族はかなり裕福だ。俺はバイトなんてする必要は無いし、俺の借りてるマンションの部屋も、親の金で賄っている。この状況からも早めに脱したいとは思っている。これももう少ししたら達成される」

「どうしてそこまで? 高校生ですよ、まだ」

「人は、根本的に、一人では生きられない。着ているもの、食べているもの、毎日乗っている電車、日常のどこか一つを切り取っても、俺は誰かの手が無ければ生きていけない。それでも、その誰かの手を、極力減らすことは、出来る筈だ」


 俺の母は、助けが必要な人だ。車いすだ。歩けない。それ自体を批判する気はない。だけど。


「助けられるのを当然と思ってはいけないはずだ。それは間違いだ、正しくない」


 母は傲慢だった。自分を、助けられて当然の人だと思っていた。町中の人、知り合い、親戚。手伝ってもらえないと、瞬間湯沸かし器の如くすぐに怒りを顕わにした。俺は母を、気がつけば嫌っていた。

 弱いけれど清く正しい人、尊敬される人はいない。そういう人は、弱くても心や精神が強い。誰かに、何かに感謝できる人は、心に余裕がある人。心に余裕がある人は、いつだって穏やかだ。怒りなんて殆どしない。そして、余裕とは、強さから生まれるもの。

 だからこそ、俺は。


「俺は、強く無ければだめなんだ。正しく無ければだめなんだ。俺の問題は、自分の手で解決しなければいけない。俺は、誰かの施しなんて、受けない。既に双葉さんからたくさんもらってるのに、これ以上。駄目だろ。だめなんだよ」


 理由までもらってしまっている。これ以上は、ダメだ。


「なるほど……はぁ……拗らせてますねぇ。本当に、拗らせてますねぇ」

「なんだと」

「センパイ、優先順位を考えてくださいよ。何が大事ですか? そりゃ、先輩が本気でこれは報いだ、なんて言うのであればあたしは別に良いですよ。香澄ちゃんのように、こんな理不尽を許して良い理由がありますか! って奮起する程、エネルギーに満ち溢れていませんし。本人が受け入れていることをわざわざ改めさせるほどの元気っ子じゃありません」


 そして恵理はどうしてか俺の頬を挟んでグッと上げさせる。


「なのでセンパイ、勘違いしないでください、あたしはセンパイのためでなく、自分のために、あたしが気に入らないから動いているだけです。施してなんかいません」

「だが」

「それに。……助けられる事は、弱い事ですか? 貰うことは悪ですか? 冷静になって、意固地にならず、いつも通り、論理的に一つ一つの要素を繋ぎ合わせて、俯瞰して問題を見て、考えて欲しいです。この考え方は先輩が教えてくれたものですよ」


 助けられることは、弱いことか。

 わからない。わからないが。


「わかっていることは、今、俺は自分一人の力では、この問題を解くことはできない」

「はい」

「双葉さんも恵理も、俺のためではなく、この状況が許せないから動いている」

「はい」

「……君の問いへの答えは、これが解決してからで、良いか」

「良いですとも」


 わからない問いが、すぐに答えが見えない問いが、急に一気に襲ってくる。そのことに対して怖さはある。助けられていることに不甲斐なさがある。でも。


「恵理の言う通りだ、意固地になっていた。俺の生き方を、考え方を、見直す機会かもしれないと、今は考える」

「はい、では、協力しましょう、センパイ。一緒に戦ってください」

「あぁ」




 これが印刷物である可能性が高い、という結果を片手に帰って来たら、先輩と恵理さんが、良い感じの雰囲気で握手してました。先輩がちゃんと戦う気になったみたいですけど、微妙な気分です。

 でも、これで手札は揃った。きっと、戦える。


「あ、香澄ちゃん。おかえり。どうだった」

「予想した結果の通りですよ」

「よし。なら……まずは思いつく可能性を総当たりしよう」


 先輩の宣言に私たちは頷く。

 恵理さん。本当に、ありがとうございます。

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