第24話 先輩と一緒、楽しいです。

 改めて、三人で一つの机を囲んで座る。

 正面に座る双葉さんはペットボトルの紅茶を一口。ちらりと右、恵理の座る方を見る。恵理はと言えば、八十点答案を見ながら。


「こんなこと言っている暇じゃないのはわかってるけど、センパイと香澄ちゃんとまた放課後過ごせて、嬉しいなぁ」


 なんて言って足をぶらぶらさせる。


「私もです。また、乗り越えましょう」


 二人から向けられる視線、何となく目を逸らして。


「恵理はどうだったんだ、テスト」

「とりあえず、九十点は越えました、全教科」

「そうか、おめでとう」

「ありがとうございます。次は、九十五点、越えたいです」

「あぁ、良い目標だ」


 途切れる会話。二人が待っているのはそんな話じゃないのはわかっている。そして、恵理にあぁ言った手前、逃げ続けるわけにもいかないだろう。


「では、方針としては、俺の答案、その原本を見つけ出すことだ」

「わかりました」

「それが一番の難題なのだが、学校内にある可能性が高いのであれば、まだ、希望はある。だが、なるべく早くだろ。今週末、今日はほぼ終わっているからあと三日だ」


 学校内を隈なく探すのは現実的ではない。三日フルで使えば探しきれるだろう。理事長からの協力を得たのなら職員室内も探せる。職員室、生徒が入りづらく、長居しにくい場所だ。

 いや、職員室内に隠しているとは考えづらい。うっかり他の先生が見つけてしまえばそれで終わりだ。

 そう、向こうは今、学校そのものを敵に回している状態だ。あと三日、学校内で学校相手に隠し通さなければいけない。

 ふと廊下を見ると、小田先生が丁度廊下を歩いているところだった。教室の中に残る俺達を見て、引き攣ったような笑みを見せた。俺達を馬鹿にしているだけではない、あれは。向こうも余裕があるわけではやはり無いようだ。


「はぁ」

「先輩?」


 だからと言って、俺はまだ答えへの鍵を掴めていない。胸の内を支配する焦燥感。

 わからない。解答への道筋すら掴めない。どうしたら良い。


「……くそっ」

「まぁまぁ落ち着いてくださいよ、センパイ。三人寄ればもんじゃ焼きですよ」

「ふっ。焼いてどうする」

「そうそう。その緩さが大事なんです。センパイが貴ぶ冷静さには必要不可欠では?」

「そうだな。あぁ。俺は焦っていた」


 息を吐いた。深く、深く、息を吐いた。


「よし。もう少し考える」

「わかりました。では、本日は一旦解散で、私も先輩も、今日はバイトがありますし」

「そうだな」


 何も解決していない。けれど胸の奥が、少しだけ楽になった気がする。誰かと一緒にいる。誰かが隣にいてくれる。そのことに安堵する日が、俺に来るなんて思っていなかった。


「……ありがとう。二人とも」

「まだ早いです。何も解決してません」


 ツンと済ました声で、双葉さんはそう言った。けれど。


「あれー。香澄ちゃん。嬉しそうだねー」

「……そんなことありません。いつも通りです」


 にひひと笑う恵理に、双葉さんはむぅとむくれて見せて。

 俺達はいつも通りだ。どうしてだろう、何も掴めていないのにどうにかなる。そんな気がしたんだ。

 



 レジでいつも通り仕事をする。夕方の混みあう時間を乗り越え、少し一息。先輩は……いた。飲料の補充してる。


「あっ、ありがとうございます」


 精算カゴを補充してくれたチーフ。じっと見つめ合う。


「……チーフ?」

「有坂君の様子はどう?」

「先輩は、大丈夫ですよ」

「そ、そう」

「はい。大丈夫です。だって先輩ですから」


 心からそう言い切ると、チーフは何故かにんまりと笑って。


「なら気楽に待つか―」

「信じて、いただけるのですね」

「そりゃ、ねぇ。いやはや。双葉さんも素直になったねぇ」

「素直?」

「有坂君のこと話す時、とっても生き生きしてるよ」

「へ?」

「応援してるよ」


 そう言ってチーフはひらひらと手を振ってサービスカウンターに戻って行く。


「な、な、何をですか!」


 もう。はぁ。

 なんか変な勘違いされている気がする。

 仕事仕事。仕事だ。先輩のように一定のクオリティを保つこと。

 手早く手際よく丁寧に。お客様を待たせないレジスピードを維持しつつ基本に忠実な詰め方を。けれどまぁ、またレジが混んでくる。


「おいいつまで待たせるんだ」


 なんて声がどこからか聞こえた。そして。


「はぁ」


 と隣からため息。


「先輩」

「あぁ」


 なんだろう、姿を見ただけで、どうにかなる気がする。安心する。

 キャッシャー台の方にズレる。先輩がスキャンを引き継ぐ。二人制だ。


「何だっけ。雑なんだっけ、俺」

「そうですね。まずは柔らかい動作を心がけてはどうですか?」

「ふっ、そうだな」


 あの時できなかったこと、具体的な改善の提案。


「先輩は背が高いですから、素早く動くと乱暴に見えるのも無理は無いのです」

「かもな」

「まぁ、職人芸に見える人もいるかもしれませんが。そうなると、柔らかい雰囲気が必要です。笑顔ですよ、笑顔」

「無茶な話だな」

「やってみてください、スマイル。お待たせしました。三千六百四十五円でございます」


 接客の隙間を縫った小声のやり取りすら楽しい。


「ほれ」

「うわ」

「正直な反応あざーす」


 お客様はあっという間に捌ける。むしろ先輩が速すぎてサッカー台で、袋詰め待ちの行列ができた。


「よし、こんなもんか」

「ですね」


 思わず『ふぅ』と息を吐いた。


「ふっ」


 先輩は薄く笑ってレジから出る。そして。


「ん?」

「? どうかされましたか?」


 先輩がそんな声を出す時は、何かがある時だ。


「いや……あの客」


 そのお客さんはマイかご……精算カゴを自分で持ち込むことで、レジでカゴに買ったものを詰めてもらい、お金を払ったらそのまま帰れるというもの。会計済みのシールが持ち手に貼られた、ほぼ満杯のそれをカートに乗せて、商品棚の間を歩いている。正直、やめて欲しい行為だが、よく見る光景だ。

 先輩が目を向けているのは年配の女性、どこか不機嫌そうな顔で商品棚を見ている。


「あいつ、やってるな」

「やってるって……まさか」

「あぁ。とりあえず店長に判断を仰ぐ」

「……でも、先輩、どうして」

「自分で通した客の買った商品は十人前までは覚えている」

「え、えぇ……」


 先輩はそのままサービスカウンターに走っていく。チラチラと件のお客さんの位置を確認しながら。チーフもこちらを見ているということは説明を聞いたのだろう。

 先輩が言う、そのお客さんがやった行為。清算済みのマイかごに未精算の商品を紛れ込ませて店の外に持ち出す行為。万引き。

 ぱっと見で判断し辛く、かと言って、会計後、店内に戻らないでくださいともいちいち言っていられない。監視カメラが少なく、死角が多い店内、もしカゴに入れる瞬間を目撃していたとしても、それだけでは十分な証拠にならない。レシートを捨てられていたら、照らし合わせての証明も難しい。


「先輩、どうする気ですか……」


 すぐに先輩と店長がそのお客さんに声をかける。

 先輩なら何らかの形で解決する。だけど……。ん。先輩が、私の方を、見た? ……違う。先輩、そういうことですか。


「チーフ」

「はいはい」

「少し、レジ、抜けます。このレジは一旦、止めさせてください」


 なら、私のやるべきことは……できるか……いや、やる。やるんだ。


「証拠はあるのかって言ってるのよ」

「今から提出するのでご同行願いますか?」

「今この場で出しなさいよ。失礼な疑いをかけておいて。こっちだって暇じゃないのよ」


 暇じゃ無い人が会計終わった後に戻って店内を物色するだろうか。……先輩みたいなこと考えてるな、私。


「では、レシートの方はお持ちですか? それで確認させていただければ済みますので」

「捨てたね、そんなもの」

「どのゴミ箱に?」

「忘れました」


 とりあえず、案の定な状況だった。


「すぅ、はぁ……」


 できる。私なら、できる。

 正直、私の顔立ちは整っている方だと思う。そして、可愛く見られるためにはまず、柔和な表情を浮かべて。そして。恵理さんが言うに、自分が可愛く見える角度は覚えておいて損はないと。なら。


「すいません。少し、よろしいですか」

「今度はなによ」

「いえ、うちの者が失礼しました」

「全くだね。社員教育はどうなっているのかしら」

「申し訳ありません。後で強く言い聞かせますので。しかしながら、我々としても地域の皆様方との信頼に関わることですので、厳正に対処させていただいております。ご理解いただけるでしょうか?」


 そう、まずは相互理解だ。はっきりはきはきと話し、そしてしっかりと頭を下げることだ。誠意を伝えるのだ。


「ただの確認でありますので、五分だけお時間を頂戴いたしまして。お客様の購入したものと照らし合わせるだけでございますので。すぐに済ませます。どうかお願いできないでしょうか」


 そしてあくまで、こちらのための行為であり、疑っての行為でないと示す。


「し、知らないね。あんたらの都合じゃないの」


 頭を上げない。頭を下げ続ける。伝われ。私の誠心誠意の接客よ。


「どうかお願いします。お客様」


 店長が私より一歩前に出て頭を下げる……先輩は、どこに。


「いい加減にしなさいよ。帰るから。こんな店二度と利用しないから。近所の人にも話しますから。本社にも抗議させてもらいますのでそのつもりで」

「まぁまぁ、帰る前に見てもらっても良いですか? お客様。感謝するぜ、双葉さん。良い時間稼ぎだ。これだな。このバターの箱」

「はっ?」

「えっ?」

「ん?」


 思わず顔を上げた。お客様の後ろ、片手にスマホとレシートを持って、先輩はお客様のカゴからバターを取り上げて見せる。


「双葉さんが二番レジを閉めておいてくれたおかげで、探すのは楽でした。そしてこれ。そこの、レジが移るように設置されている監視カメラの映像なんですけど、これ、お客様ですね。被ってる帽子、そして服装が一致します。レジの記録から印刷したレシートとの時間もピッタリ、そして中にある商品もまぁ、見える限りでも一致しますが、しっかり調べればすべて合致するのはわかるでしょう」


 お客様の顔がどんどん青ざめていく。


「事務所まで一回、ご同行願えますか?」

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