第9話 先輩、夕飯、ご一緒しませんか?

 次の日は入れ替わりで、双葉さんがバイトだ。


「では、こーせいセンパイ、よろしくお願いします」

「あぁ、昨日はどんな感じだった?」

「とっても熱心に教えてくれました。コミュ英対策に長文読解です」

「わかった。昨日英語なら今日は数学やるか」


 元々平均程度は出来ている。それはつまり、基礎自体はできているということ。問題はその先だ。

 問題を解く力。これはもはや数をこなすしかないのだ。


「というわけで、今日はこれだ」

「はい。頑張ります!」


 用意したのは俺が一年生の時に受けた前期の期末試験。つまりこれから恵理が受けるテストの過去問だ。


「あぁ、その前に、家での勉強の方はどんな感じだ」

「い、家では……」

「詰まった所があるなら先に言ってくれ。そこを解消してからやった方が良いだろ」

「あー。昨日は、寝てしまいまして……その、今日誕生日の子が二人ほどいたので。プレゼントのお菓子を準備して、それからメッセージ送ってすぐ。ぐっすりです。はい」


 気まずそうに目を逸らしながら恵理さんは縮こまってしまう。マジか……いや、ここで怒っても仕方ない。過ぎたことだ。怒れば時間が遡ってやり直せるならいくらでも怒るけど。


「というか君、友達の誕生日とか覚えているんだな。結構いるよな、友達」

「えぇ、まぁ、記念日覚えておくのは、関係を長続きさせる秘訣なので。明日は二年生に二人ほど、三年生に一人、隣のクラスにも一人、誕生日の子がいます」

「そ、そうか。だが、一日も無駄にできないんだからな。今日から励め。自分でできないと言うなら宿題と言う形で用意する。二時間くらいでも良い。勉強の習慣をつけた方が良い」

「は、はい! すいません。お願いします」

「謝らなくて良い。君がバイトできるかどうか、その程度の違いだ」

「そ、そうですよね」


 ……何だろう。雰囲気が急に気まずくなった。


「と、とりあえず、宿題は……これにしよう。明日答え合わせと解説をする」

「は、はい。お願いします。そ、そういえば、今日の授業でやったところで、数学なんですけど、え、えと、ここって」

「あぁ、見せてみろ」


 この空気、どうしたら良い。いや、状況が状況だ。先生からの指示とは言え、よく知らない先輩男子といきなり二人きりだ、気まずくなるなと言う方が無理な話だろう。


「と、いうわけだ。じゃあ、次のこの問題を解いて見ろ」

「は、はい」


 それとここで一旦雰囲気をリセットした方が良いだろう。


「あーその間、なんか飲み物買って来るか。何飲みたい?」

「あっ、えっ、いえ、悪いですよ。そんな。オレンジジュースで」

「ついでだ……って遠慮しながらさらっと要求してくるのな」

「アハハ……」


 引きつり気味の笑い。目が明後日の方向を向いている。交わす言葉は寸でのところで空ぶったかのような違和感と共に消える。

 廊下を歩きながら考える。

 ロクに人と関わったことが無かった。全くなかったと言えば嘘になるが、長話をしたり、休日にわざわざ会って遊んだりするような相手はいなかった。

 教室で会えば軽く話すような相手はいたけど。飯田みたいな。 

 思えば初めてだ、放課後、あんなにも濃い、同じ時間を過ごしたの。双葉さんとの時間。親や妹を除けば、双葉さんかもしれない、一番深く関わったの。


「……そもそも人間と関わるの、向いていないのかもな」


 恵理が手こずってることと同じだ。経験を重ねるしかないこと。だから俺は、こういう時の最適解が見えてこないんだ。


「はぁ」


 言い訳するつもりはない。引き受けた以上、責任を全うしなければならない。俺はそうやって今の自分を作り上げたんだ。俺は俺の力で成し遂げて証明し続ける。それが俺の生き方だ。


「ほれ」


 差し出したオレンジジュースをそれはもう美味しそうに飲んで。


「ありがとーごーざいます」

「昨日は何時までやってたんだ」

「下校時刻までですね」

「わかった。……結構頑張ったんだな」


 最終下校時刻、十九時までか。ここから三時間もやったのか。


「殆ど、香澄ちゃんが問題の解き方解説してくれたって感じですけどね」

「そうか」

「センパイが用意してくれた問題見て、やる気だしてましたよ」

「俺の問題を?」

「はい、凄いって、言ってました。すいません、センパイ、二年のテスト範囲じゃないのに、ここまで」

「俺は別に良い。問題無く次も満点だ」

「あはは、一度はそんなこと、言ってみたいです」


 純粋にそう思ったのか、軽やかに笑ってくれる。……いい子だな、と素直に思えた。

 ……よし。


「わかった。三時間問題解き続けるのも辛いだろ。そうだな、双葉さんの形式を採用しよう。その過去問は宿題だ」

「わ、わかりました」

「あらかじめ明確化しておくと、君に足りないのは恐らく解く力だ。君には二週間でそれを磨いてもらう。ここにたまたま、センターの過去問集がある。高校の勉強の集大成とも言えるもの、ここから今回のテスト範囲の該当するものを引っ張って来て、解説しながら解き方の実演をしよう」

「せ、センパイ。二年生ですよね。センター対策って、三年生がやるものじゃ……」

「質問は随時受け付ける。板書は最後に移す時間用意するから、とりあえず聞くことを意識してくれ」

「は、はひ! じゃなくて。はいっ! センパイっ!」


 若干笑顔が引きつって見えたが、まぁ、頑張ってもらおう。


「さて、これは絶対値の問題だな……絶対値と根号を場合分けで外して、αの値を求める問題。穴埋め問題だから、誘導に乗っていけば問題無く解ける。じゃあ、順を追っていくぞ……」




 「うぅ、ぐらぐらする……」

「おはようございます。恵理さん」

「おー、香澄ちゃん。おはよう」


 朝、恵理さんがノートを読みながらシャーペン片手に目を回していた。ちゃんと隙間時間に勉強してる。うん、感心感心。


「うえー」

「だ、大丈夫?」 


 感心してたけど、なんか、だめそう。 


「だいじょぶ~。知識の詰め込み過ぎで頭がパンクしそうになってるだけだから。昨日教えてもらったこと、忘れないようにしないと」


 今日は私も先輩もバイトだから、私が隙間時間に勉強を見る。なら、昨日やった内容も把握しておくべきだろう。


「ちょっと見せてねー、ん? これは?」

「昨日センパイが書いた板書を写した奴、それを踏まえて、自主勉しやすいようにって課題も出してくれたの」

「へぇ……んー……これは」




 「先輩の教え方には問題があります」

「急にどうした」


 一度家に帰り、弁当箱を洗ってから来たのだが、双葉さんは椅子に座り腕を組んでいた。まだ勤務開始まで十分あるが、まさに十分前には出勤の打刻を済ましているのが双葉さんだ。


「先輩の教え方はレベルに合わせているだけで、個人に合わせられていません!」

「あーとりあえず、打刻しないか?」

「……そうですね。続きはバイトの後にしましょう」


 それからお互いがお互いの仕事を。


「先輩、この商品、箱で欲しいというお客様が」

「烏龍茶か……あと一箱だったかな……良いや。多分発注してるだろうし。持ってく。戻って良いよ」

「ありがとうございます」


 わざわざ裏まで来て伝えに来たのか……? いつもなら放送で呼び出してるところなのに。いや、わざわざ行って戻って持って行くなんて二度手間を省いてくれたのは嬉しいけど。

 いつも通り。

 そう、いつも通り。いつも通りの筈。

 なんで見切り機引っ張ってる俺の後ろをついてくるんだ。双葉さん。


「どうした?」

「カゴを片付けています」


 と言う言葉通り、レジで回収したカゴのタワーが双葉さんの横にある。


「そ、そうか」


 いつも通り、なのか?


「先輩」

「ん? あ、丁度良かった、ついでに立会者のところにハンコ頂戴」

「あ、はい」


 サービスカウンターで返品処理をして、返品伝票を書いていた。角砂糖を頼まれていたのにスティックシュガーを買ってしまったらしい。どんな間違いだ。


「……どうした?」

「いえ」


 なんでそんなにじっとこちら見てるんだ。

 書き終わった伝票を引き出しに片付けながら考える。何か用があるのだろう、しかし言い出しにくい……。

 『忘れてください』『シリマセン』最近知った双葉さんの一面。これから話があるって言ってたし、つまりそこから導き出されることは。


「……ハンバーガーで良いか?」

「! そ、そんな、期待を、している、わけでは……」


 明らかに揺らいでるな、これ。当たりと判断して良いな。


「俺の晩飯のついでだよ」

「そ、そうですか……って、ゆ、夕飯なら、しっかりしたものを食べてください!」

「ハンバーガーをしっかりしていないというか」

「そ。そういうわけではないですが……すいません。確かに、ハンバーガーに対して、ハンバーガーを作ってる人達に対して失礼でした」


 ……別に怒ったわけでは無いのだが、律儀な奴だな。


「気にするな。話しながらなら摘まめるものの方が良いと思っただけだ。ポテトとか」

「ほわぁ、ポテト、みんなで、摘まむ……いえ、それは別の、楽しい機会に。……わかりました。先輩の家ってここから近いんですか?」

「徒歩十分くらいだな」

「わかりました……作ります。先輩の夕飯」

「は?」

「作ります! 夕飯!」

「声がでかい。ここはサービスカウンターだ」

「あっ……すいません」


 ほら、なんか微笑ましいものを見る目を奥様方に向けられてるし。


「あ、あの、すいません。ガチャガチャしたいので、両替お願いしたいのですが」

「はい、ただいま参ります。……今はレジに戻れ。また後で話そう」

「は、はい」


 いそいそと双葉さんはサービスカウンターを出て、俺は客の元へ。


「可愛らしい彼女さんですね」

「そういうのではありません」


 五百円玉を百円玉に崩して返しながら否定する。 

 いや、流石にありえないだろ。そんな展開。

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