第8話 先輩、私、頑張ります。
朝、電車を降りると何となく探してしまう。たまに電車に乗る前に合流する事もあるが、大体降りた後、双葉さんの方から見つけてくれる。が、たまには俺の方から見つけたいとは思う。
「おはようございます」
「ん? おはよう」
振り返ると姿勢正しい小柄な人影。双葉さんがそこに立っていた。
「どうぞ、先輩。今日の分です」
「あぁ、ありがとう」
一度、材料代だけでも返そうと思ったのだが。「あくまで私の練習ですので」と固辞された。
「そういうのが欲しくてやっているわけじゃないのです」とのことだ。
正直、あの時のお詫びとお礼だと言うなら、俺が貰い過ぎだ。
「先輩、顔色良くなってきましたね」
「そうか?」
「はい」
だとすればそれは間違いなく、彼女から持っているお弁当のおかげで。
「……もしかして」
「これからもちゃんとお弁当、食べてくださいね」
俺が不摂生だと、かなり気にされてる? とは聞けず。
「お、おう」
なんてことしか言えない。当の双葉さんも、スンと澄ました顔で歩き出す。
「ところで、相変わらずそれなんですね」
「ん、あぁ」
手に持ってるゼリー飲料を一瞥し、双葉さんは軽くため息を一つ。
「一人暮らしが大変なのは推察いたしますが、固形物食べませんか?」
「って、言われてもなぁ」
くどくど説教されるのは苦手だ。だけど、双葉さんは文句だけでなく、実際に行動で示してきた。だからだろう。一年、特に改めなかったことを真剣に悩んでもしまうのは。
「まぁ、何か考えてみるよ。こっちの案件が終わったら」
「? これは」
「今日バイトだからさ、恵理にこれ、解かせてみてくれ」
「……は、はい……恵理、さんにですね」
「ん? おう。頼んだ」
「わかりました」
なんか変な間があったな。双葉さんの雰囲気も一瞬変だった気がする。
「……凄いですね。一晩で」
「参考書から問題を引っ張ってきただけだよ」
昨日やったことは、最近やった小テストや、ノートを見せてもらうこと。恵理が現状、どの程度できるかの確認。
今日はさらにその不安な部分を詰めていく。弱点の細分化である。弱点を埋めてかなければ、九割は遠い。
「この一週間は数学と英語を徹底する」
「わかりました。ただ、私にも一言、相談、欲しかったです」
「このくらい、すぐできるから大丈夫だ」
「な、そういうことじゃなくてですね」
「下駄箱、そっちだろ」
「あっ、……失礼します」
双葉さんに問題を預け、昇降口のところで分かれる。
とりあえず後は明日だな。
「おはよー。今日も先輩と登校したんだね」
「はい。おはようございます。恵理さん」
「ん? それは?」
「先輩が、恵理さんのために用意した問題集ですね」
受け取ったクリアファイルの中身、そういえばまだ見ていなかったな。ホッチキスで止められた紙束。一枚目を捲る。
……先輩、まさかここまで。
中を覗いてみると、パッと見ただけだが、昨日確認した恵理さんが苦手な部分を網羅している。教室に入って席で詳しく見て見ると、しっかりと基礎編と応用編が用意されていて。
「……凄い」
どうしようかと途方に暮れながら登校した私と違い、一晩でこれだけのものを用意するとは。段階を踏んで解説しやすいように、その段階に相応しい問題が用意されている。ちゃんと内容を理解していなければ、作れない問題集だ。
確かに、私に相談する必要なんて無かった……でも……。いや、証明するんだ。私もできると、先輩が意見を求める価値があると。
「ふ、ふんす!」
私も頑張らねば。先輩に認めてもらうんだ!
「お疲れ様です。山辺チーフ」
「あっ、お疲れさまー」
バックヤードで在庫の整理をしていると、私服に着替えたチーフが休憩室の方から歩いてきた。退勤のようだ。
「そういえばさ、双葉さんと最近仲良いよね」
「そうですか?」
髪を解きながら眼鏡の位置を直し。ニッと笑う。何だろう、年上と話している気がしない……この人本当に三十代なのだろうか。
「励め、若人よ」
「期待しているようで悪いですが、そういうのじゃないですよ。俺はともかく双葉さんは俺のこと、嫌われてるって程でないとわかりましたが、それでも、良くは思っていないでしょう」
手押し台車に350mℓのコーラとジンジャーエールの箱を乗せながら、最近のことを思い返す。
突然学校でも話しかけてくるようになったこと、お弁当を貰うようになったこと。
お詫びとお礼、そう考えれば腑に落ちる。一番納得のいく、点と点を線で結べる結論だ。貰い過ぎてる気がするが、そう考えないと、あの子が俺に学校で関わる理由が無い。
今だって、先生から与えられた任務があるから。だから。多分、夏休み前最後の期末試験が終われば、終わる。あとは前のようにバイト先で顔を合わせるだけの関係になる。
「……あたしさ、有坂君のことは結構信用してるのよ。頭良いし、基本的に間違えない。一回教えればそれで覚えるし、そこからすぐに応用できちゃうし。接客やトラブル時の対応力は、新卒の社会人より上だとは思う。だからサービスカウンター任せてみようと思った。チーフなんて立場として色んな新卒の子見てきたから。この見立ては間違えてないと思う」
「……ありがとう、ございます」
「でも有坂君はちょっと物事に対する姿勢が厳しい気がするよ」
「どういう意味ですか」
「自分にも他人にも厳しすぎるというか、自分の主義に対して完璧主義と言うか。ごめんね、説教臭くて。でも、少し緩めること覚えないと、いずれ自分か、一緒にいる誰かのこと、潰しちゃうかもだから、気をつけてね。あとさ」
「はい」
「君の視野は広い、俯瞰して物事を見ることができているけど、大事なもの、見えてないよ。もっとこう、目の前の人のこと、ちゃんと見て上げて欲しいな。それと、君、何でも一人でやろうとし過ぎる。人を使う、人に頼るってことも社会人の必須スキルの一つだよ。ってところかな。じゃ、あとよろしくねー」
と、ひらひらと手を振って従業員用入り口から出て行く。
「……初めてチーフの年齢に説得力感じた」
……自分か誰かを、潰してしまう、か。
手押し台車の持ち手、何となく、強く握った。……品出ししよう、それからレジ周りのゴミ回収。やることはまだまだあるんだ。
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