第6話 先輩、意外と恥ずかしいです。でも、楽しいです。
「というわけで。ご馳走様。慣れてないとか言う割に、普通に食べられる料理だった」
放課後、今日のバイトは休みだから、昇降口で双葉さんを待ち、弁当箱を差し出す。
「そ、そうですか。良かった……」
「少し眠そうだな。早起きしたのか?」
「い、いえ。大丈夫です」
「君も今日休みだろ、早めに寝るんだな」
「そうですね」
「迎えか?」
「いえ、バイトの日は駅まで迎えに来てもらっていますが、そうでない日は自分で帰るようにしたいと伝えてありますので」
「立派だな」
「そんなことありません。当然のことです」
双葉さんがバイトを始めた頃、少しだけ話したことがある。
彼女の家は俺が毎朝電車に乗る駅の近く。所謂高級住宅街にある。
バイトを始めることについて、過保護な親とかなり争ったと。毎日学校まで送り迎えされ、両親が家にいない時も、お手伝いさんが家に一人、夜の七時まではいる。ありがたいけど正直、いい加減自分である程度できるようにならなければ、将来が怖いと。
登下校についてもその一環かもしれない。
本当、立派な奴だ。現状に甘んじず、ちゃんと将来を見据えている。
彼女のそういうところは、正直尊敬している。
思えばバイト始めたばかりの頃も、自分からわからないことを聞いて、ちゃんとメモする姿がよく見られた。自分で考え自分で動き、自分で学びに行く。考え得る限り、理想の新人だなぁとかぼんやりと思っていた覚えがある。
新人のそういう姿勢に甘えず、こちらからどんどん教えに行かねばと、俺も変に張り切っていた頃が懐かしい。
「そういえば、今朝一緒にいた友達は?」
「先生に用事があるから、多分長い話になるから、先に帰っていて欲しいと」
「ふぅん」
駅までの道を何となく、同じ道を行くのに、はいさよならとは言いづらく、二人で歩く。
やはり違和感だ、双葉さんが俺の隣を歩いているの。
姿勢正しくお手本のような立ち姿で歩き続ける。疲れそうな姿勢だけど、平然とした様子だ。
「せ、先輩は、寄り道とか、するんですか?」
「バイトない日は、たまに……ん?」
「ほわぁ、大人ですぅ」
「え? どうした」
なんか目をキラキラさせてこっち見上げてるんだけど。どうした?
「た、例えば、どんなところですか?」
「んー。ハンバーガー食ったり、喫茶店でコーヒー飲んだり」
「ハンバーガー……喫茶店……」
「買い物面倒な時はそのまま晩飯食べるし」
「一人外食……ん? 一人暮らしなんですか?」
「そうだな……どっか寄るか?」
「い、良いんですか? 私の寄り道デビュー、付き合ってくれるんですか!」
「あぁ、良いよ」
「ほ、ほわぁ」
何だろう。凄く感動しているようだけど。……うん、えっと、双葉さんが喜びそうな店は……。本人に聞くか。
「どこか行ってみたい店とかあるのか?」
「あ、あ、……えっと……ドーナツ」
「ドーナツ?」
「はい、砂糖と小麦の塊を油で揚げたカロリーモンスター、ドーナツが食べたいです」
「……嫌な言い方するなぁ」
そんな俺の感想を意に介さず、ワクワクと目を輝かせ、どこか蕩けた、普段は絶対見せない表情になって、双葉さんは俺の後につづく。
駅前の、多分日本で一番有名なドーナツショップ。
「……これが」
「来たこと無かったのか?」
「いえ、来たことはあるのですけど、私はテーブルで待って、松江さんが買って来る形だったので、こうしてちゃんと並んでいるのを見るの、初めてだったので」
「そうか、じゃあ、注文、してみたらどうだ」
「はい!」
あの説明からするに、自分で選んだことも無いのだろう。レジに突撃し、ショーケースに並んだドーナツたちを見比べ、腕を組み、顎に指を当て、さながら生死を分かつ選択を悩むかのような面持ちで考えている。
「……とりあえず、四つに絞れ」
「よ、四つですか?」
「君が二つ買って、俺が二つ買って。半分に割ってシェアすれば良いだろ」
「で、でも、そんなことしたら、先輩の好きなドーナツが」
「じゃあ、俺はこれとこれ。君は?」
「わ、私は……これ、いえ。やはりここは……」
「ははっ。まぁ、ゆっくり選べ」
レジの店員のお姉さんも、微笑ましそうに見てるし。
「す、すいません。ありがとうございます」
そう言って、かじり付くように眺めまわし。そして。
「き、決めました」
「へぇ、どれ?」
「こちらと、こちらのを」
「じゃあ、えっと、俺はこれとこれで、あと、コーヒーと、双葉さんは……ごめん、どうぞ」
さっさと会計しようとしたが、なんか涙目で見つめられたので、俺は後ろに下がる。
「では改めて。天使のフレンチと、チョコのファッション。金色のチョコレート。ポンなショコラ。あと、先輩はコーヒーですね。……私もコーヒーで」
「畏まりました」
「どうです。ちゃんとできましたよ!」
「あぁ、お見事」
パチパチと軽く拍手。それに双葉さんはにまっとと誇らしげに笑って応えた……こんな顔もできるんだな。大人びた印象だったから、少しだけ新鮮だった。
「あれ、先輩、砂糖とミルクは?」
「俺はいらないけど」
「で、では私も」
向かい合わせに座り、それぞれのドーナツを半分に割っていると、自分を落ち着けるように双葉さんはコーヒーを一口。唇をふるふると震わせ、なにかに堪えながら飲み込んで。
「……無理しなくて良いんだぞ。今からでも貰ってきたらどうだ?」
「せ、先輩は普段からブラックを?」
「まぁ、そうだな」
「お、大人だ」
「コーヒー飲めるくらいで大人になれるなら苦労しないよ」
「あ、甘いドーナツに苦いコーヒー、あ、合いますね」
「ドーナツ食ってから言え」
「そ、そうですね」
もはや意地になっているようで、砂糖とミルクを取りに行こうとしなかった。
しかしまぁ双葉さんとこんな状況になるとは。人生、何が起こるかわからないものだ。
「なんですか? 人のことじろじろ見て」
「あぁ、それだよ。俺が知ってる双葉さんは」
ジトっとした目を容赦なく向けてくる。変な言い方だが、そっちの方が落ち着く。
「はぁ。ほわぁ」
しかしドーナツを一口食べればたちまち蕩けていく。うん。まぁ、これはこれで。
「なんかこう、かわい……」
って、何を言おうとしているんだ、俺は。
「? 何ですか?」
「いや、そうだ、はい、これ」
「? あっ……良いですよ、今日は貴重な体験させてもらいましたし」
「んなことねーよ。これくらいなら暇な時は付き合う。別に特別でも何でもない」
自分の分の金を握らせ。コーヒー一口。
「そ、そうですか。また、一緒に来てくれるの、ですか」
た、確かに、今言ったこと、そうだな。またどこかに行こうとか言っているようなものか。
「あ、あぁ、良いぜ。次はハンバーガーか? ラーメンか?」
「ら、ラーメン。放課後に、ラーメン」
……何だろう。俺はこの子を変な道に引きずり込むようなことをしてないか? ……いや、社会勉強だ、これも。うん。大人になっても某Mをシンボルに掲げたファストフード店でテーブルに座って、店員が注文を聞きに来ないことに疑問を覚える大人にはなってはいけない。
「先輩、難しい顔……どうぞ」
「ん?」
「お口、開けてください」
「なっ……」
な、なんなんだ。双葉さんが、それはもう真剣な目でドーナツを一欠片、差し出してくる。
「美味しい料理の前で、難しい顔はご法度です」
「そ、そうか」
パクっと食べると。満足気に双葉さんは頷く。心臓の音が耳元で鳴ってるかのように聞こえて、味がよく分からなくなる。ただ、甘いということだけはわかった。
「……じゃあ、双葉さんも」
「へ? あっ、あっ」
「お互い様、だろ」
「むっ……そうですね」
微かに唇が指に触れて、なんかこう、頭の中が沸騰したかのようにぐらぐらする。ドーナツを渡すという仕事を終え、行き場を失った手。机の上に落ち着かせても、同じ人間とは思えないくらい柔らかで、艶のある感触。指に染み付いてしまったかのように残っている気がする。
咀嚼して飲み込んで俯いた双葉さんは一言。
「意外と恥ずかしいです。これ」
「そりゃそうだ」
「……でも、楽しいです」
俺はそっと、茹で上がりそうな顔を抑えた。
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