第5話 先輩、作ったので受け取ってください。

 朝。いつもより一時間早く起きた。


「……おふぁよう、ございます」

「おはようございます。香澄さん。本当にやる気なんですね」

「えぇ。やると決めたかりゃ」

「……本当に頑固な人です。では、何かありましたら」


 うちでお手伝いさんのバイトをしている松江さん。

 今日もいつも通り、黒のワンピースに白いエプロンと頭にヘッドドレスを付けて朝食を作っている。


「すいません。大学があるのに」

「お気になさらず。かなり良い時給で働かせてもらっているので。むしろ、香澄さんの我がままを聞けば聞くだけ、私の中の申し訳なさが薄れるので」

「わ、わがまま」

「手が止まってますよ。送り迎えがいらないと言うのであれば、ボーっとしている時間はありませんよ」

「わ、わかってますよ」


 大丈夫、卵焼きくらい作れるし、包丁だって使える、はず。


「……危なっかしいですね」


 という松江さんの手元を見る。……なるほど。確かに私のやり方では、指を切りそうだ。


「……ふむ。頑固さと飲み込みの速さは相変わらずですね」

「あとは、ウインナーと……昨日仕込んだ唐揚げを揚げて……」


 そして。


「卵焼き、焼き過ぎでは?」

「えっ?」

「きんぴらごぼう、少し焦げ臭いかもしれません」

「やばいっ」

「……二度揚げのやり方、今度教えます」

「お願いします」


 とまぁ、松江さんが見ていてくれなかったら、炭の詰め合わせができていたかもしれない。





 「おはようございます。先輩」

「ん? おう。おはよう」


 いつも通りゼリー飲料を吸い上げながら駅から学校までの道を歩いていると、鈴を転がすような心地の良い声に呼ばれ振り返る。


「これ、どうぞ」

「ん?」

「コンビニで買われたものはバイト前の軽食にし、本日の昼食はこのお弁当にしてください」

「……いや、なんで?」

「私の料理練習です」

「えっ?」

「料理を覚えてみようと思いまして。しかしながら忌憚の無い意見を容赦なく頂戴できそうな人は先輩しか思いつきませんでしたので。どうぞ」

「いや、別に、クラスメイトとかに」

「私は、ちゃんとした意見をくれそうな人を選んだつもりです。食べていただけないのでしたら、生ゴミにするしか無いのですが?」


 す、凄い圧だ、受け取ること以外選ばせてくれない。心臓を圧縮してそのまま潰してしまいそうな視線に晒され、いそいそと鞄に仕舞うと、満足気に頷く。


「昨日弁当箱、ちゃんと洗ってくれたのですね。ありがとうございます」

「いや、まぁ、食わせてもらったから当然だろ」

「弁当箱を洗うかどうかは気にしなくて良いので、ご意見だけはちゃんとお願いしますね」

「あ、あぁ」

「それと、先日は……」

「香澄ちゃーん……あっ」


 昨日もここら辺で双葉さんに声をかけてきた人だ、双葉さんよりも背が小さく、しかしながら存在感のある膨らみがあり、なんか情報量にクラっと来た。


「ごめんなさーい。失礼しまーす」


 そう言ってその子は気まずそうにいそいそと俺達を追い抜きさっさと行ってしまう。

 顔を見合わせる。迷っているな。先輩である俺を優先するか、友人を優先するか。目がわかりやすいくらい泳いでいた。


「……行っても良いぞ?」

「そ、そうさせてもらいます」


 双葉さんも追いかけ走っていく、何を言いかけたのか気になるがまぁ、致し方ない。それよりも、どうしようかこれ。

 返そうにもあそこまで言われてはな。




 「えぇ。追いかけて来ちゃったの」


 追いつかれた恵理さんは隠し切れない呆れを滲ませた顔をこちらに向けて来た。


「声かけちゃったのは悪かったと思ってるけどさぁ。折角憧れの先輩と二人での登校だったのに、良かったの?」

「そ、そんなんじゃありません。変なこと言わないでください!」

「もしかして、これから毎日、先輩に会ってお弁当渡すために電車からの徒歩にするの?」

「そうですね。バイトの日に迎えに来てもらうくらいにしようかと。でも、先輩に会うためでなく。そう、ちょっとした運動で、先輩に会うのはついでです! 弁当もです!」

「そうだねぇ、運動は大事だねぇ」


 クスクスと笑みを零し。


「そっか、ちゃんと渡せたんだ」

「はい。渡せました」

「そか。上手くいくと良いね、先輩改善計画」

「んぐっ……は、はい」

「ふふっ。あははは」


 堪え切れなくなったものが噴き出すように、恵理さんはお腹を抱えてそのまま少し蹲って笑い始める。


「な、なんですか?」 

「香澄ちゃんって可愛いね」

「えっ。きゅ、急になんですか?」

「ううん。なーんでも。行こうか……あたしもバイトしてみたいかも」

「えっ?」

「何でもなーい」




 昼休みになった。

 当然の如く俺の机に弁当を広げ始める飯田の目の前で、可愛らしい赤い布を解くと、昨日よりも大きな黒の弁当箱と保冷剤が現れる。


「んあ、今日も弁当?」

「なんか、押し付けられた」

「昨日の子?」

「あぁ」


 中は……卵焼き、タコさんウインナー。きんぴらごぼうにレタスとプチトマト、あと唐揚げ。ごま塩ご飯。昨日と同じラインナップに加え、今日はリンゴのうさぎさんも付いている。


「昨日よりは、色とか形とか……」

「そうだな。いただきます」


 忌憚の無い意見をくれと言われたんだ。しっかり味わおう。


「……どうだ?」 


 どうしてか固唾を飲んで俺の反応を待っている飯田。まずは卵焼き、口に放り込み、咀嚼し、飲み込む。


「……普通」

「えぇ……」


 少し甘く、混布出汁が微かに効いている。昨日と同じ。焼き加減が微妙に違うからだろう、少し焼き過ぎたのか、卵が若干硬い。慣れていないのだろう、手際の悪さがそこに出ている。

 だが、双葉さんは真面目だ。慣れていないだけで変な冒険をしない。だから無難な範囲に収まってくれる。


「だから、普通」

「ははっ」

「一つ食ってみるか?」

「興味あるけど遠慮しておくぜ。それは双葉ちゃんがお前のために作ったものだろ」

「練習って言ってたけどな。容赦のない意見をくれそうなのは俺だけだとさ。参考意見は多い方が良いだろ」

「ふっ。それでも。遠慮しておくぜ」

「そうかよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る