第3話 先輩、お弁当食べてください。
「以上のことから、先生、俺は間違えていません。ご理解いただけましたか?」
チョークを置いて、俺は改めて、自分が書いた数式に一切の間違いが無いことを確認して、先生の方を見る。
「くっ……クソガキっ……今日はここまでだ」
数学の小田先生は挨拶を省略してそのまま教室を出ていく。
昼休み。黒板の前から席に戻り、俺はいつも通りコンビニの袋をひっくり返しおにぎりとカツサンドを机に広げ、そのわきに文庫本を置く。
「いただきます」
「またそれだけかよ。というかヤバかったな、さっきの。マジでキレてたぞ、小田先生」
「別に、俺は間違えてないからな」
「気をつけろよ、本気で恨まれたら何してくるかわからねぇぞ」
「あぁ。肝に銘じとく」
前の席の飯田が椅子を回して俺の机に弁当箱を広げ始める。二年生になってから話しかけてくるようになった奴だが、話している分には気の良い奴だ。
「それだけで足りるのか? 今日もバイトだろ」
「問題無い。それに、弁当箱と違って食べ終わった後は荷物にならない。片手で食べられる。雑に扱っても崩れない。利点だらけだ」
「そういうもんかね」
運動する人間は食事も重要らしい。だから、国語辞典サイズの弁当箱にぎっしりとおかずとご飯を詰め二段に重ねた弁当箱を食べることも否定する気は無い。
健啖家なのは見て取れるのだが、その体形は細い。脂肪が少ないという印象だ。そういう体質なのだろう。筋肉はしっかりとあるようで、ワイシャツから少し覗いている腕には筋肉の筋が見えるし、肩もがっしりとした印象だ。
若干茶色がかっている前髪を鬱陶しそうに払い、飯田は唐揚げとプチトマトを食べ終わったおにぎりを包んでいたプラスチックの包みの上に移動させる。
「……気にしなくても良いんだぞ」
「食事は大切だぞ」
「そうだな」
「いいや、お前はわかっていない。食事とは豊かさだ。腹を満たすだけでなく、心を満たすこともできる重要な行為だ」
「ふぅん」
「というかお前、飯食いながら本読むなよ」
「飯食いながら話すのと大差はない。相手が本か人間か、それだけの違いだ」
「飯食いながら本読みながら俺と会話するのは?」
「三人で会話することくらいあるだろ」
「それぞれの相手と盛り上がってる話題が違うんだよなぁ」
ちらりと本から視線を外して飯田の方を見る。呆れたように笑いながらもどこか楽しげだ。わからない。こいつの感性。
「歓談中失礼します」
唐突に聞こえた、凛としたよく通る声に顔を上げると。
「えっ、双葉さん。なんでここに」
「お疲れ様です。先輩」
「んあ? あぁ、晃成のバイト先の」
「ご友人の方ですね。有坂先輩にはいつもお世話になっております」
双葉さんはペコリと頭を下げ、それから、育ちの良さを感じる丁寧な所作。小指でワンクッションしてから音を立てずに布に包まれた箱を置いた。
どう見ても弁当箱なのだが。意図がわからない。
「……開けて良いの?」
「はい」
そう言われたので包んでいる布を解き、蓋を開けて見ると。
「す、すげぇ」
と言ったのは飯田。卵焼きはハート形になるように配置され、ウインナーはたこさん。きんぴらごぼうにごま塩ご飯、レタスとプチトマトもあって、彩り豊かだ。
「これは……?」
「お弁当です」
「それは見ればわかる」
「食べてください」
「なぜ?」
「調理実習があることを松江さんに伝え忘れまして。作っていただいた後にいらないというのもあれだったので持ってきたのですが、やはり食べきれそうにないので。残すのも申し訳ないので、バイトの時に返してください。失礼します」
そのまま俺の返事も聞かずに双葉さんは教室を出て行く。
「良かったじゃん」
「何がだよ」
「ちゃんとした弁当、しかもあの子結構有名人じゃん」
「ふーん。有名人ね」
折角もらったわけだし、ありがたくいただこう。
「新入生代表で、中間試験でも学年一位。アルバイトを認められたこの学校に二人しかいない逸材。しかもあの容姿。狙ってる男子は学年問わずいる」
「ふぅん。すげぇ奴もいるもんだ」
「二人のうちの片割れが言うか。話振った俺が言うのもあれだけど」
「そうか……へぇ、結構美味いな」
卵焼き、少し甘い気がするが、昆布出汁だろうか、風味が良い。口の中で解けるようにふんわりと広がっていく。
「家が結構金持ちって噂だけど、松江さんってのは、もしかしてお手伝いさんとか……何か知らねぇの?」
「さぁな」
「なんでバイトしてるんだろうな?」
「社会勉強とかじゃね?」
あの校則もそもそもはそういう趣旨だし。
「なるほどな。晃成はどうなんよ? なんでバイトしてんだ?」
「金のためだよ」
「わぉ。わかりやすい」
「労働の目的としては一番健全だろ」
俺が採用担当の面接官だとして、『社会貢献のためです』とか言い出す就活生、逆に怖くて落とすね。
「唐揚げとトマト、返すよ。ついでにカツサンドもやる」
「返しては貰うが、カツサンドは食え。お前はもう少しちゃんと飯を食え」
「……バイト前にでも食うよ。それよりもさ、職員室で確か見れたよな、今日の全クラスの時間割」
「あぁ、なんかあったな。それが?」
「いや、あるなら良い」
先輩の教室を出て、廊下。二年生の教室、緊張した……。
「やったね、香澄ちゃん」
「はぁ、渡せたぁ……」
教室の前までついてきてくれた私の偉大なる友人、恵理さんがポンと肩を叩いてくれる。
「でも良いの? お昼ご飯」
「大丈夫です。先輩と違って、私は毎日ちゃんとしたご飯を三食食べています。一食抜いた程度へっちゃらです」
そう、調理実習なんて無い。自分が食べる筈だった昼ご飯を私は先輩に押し付けた。
「あたしのおかず、少し分けてあげるね」
「……ありがとうございます」
勢いでやってしまったことへの少しの後悔と、友達の施しへの感謝。
「あたしのお弁当、豪華だよー。重箱だよー」
「冗談のようで本当だから凄いです」
重箱に詰められた彩り豊かなおかずたちは、目の前で一緒に食べていて、眺めても楽しめる素晴らしいお弁当だと思う。それでいて、恵理さんの好物がしっかりと詰められている。
錦糸卵と桜臀部がまぶされ、カニカマに蒸し海老、シイタケが散りばめられた酢が香ばしいちらし寿司。唐揚げにプチトマトにアスパラのベーコン巻きに微かに塩味がするレタス。
これ毎日作るの結構手間だと思う。だけど。
「明日からは」
料理、あまりやったことないけど……! 恵理さんのお弁当を目指して。
「ふんす!」
「そういえば、どうしてお昼ご飯あげようと思ったの? 憧れてたけど憧れてるわけじゃないんだよね?」
その問いに思わず腕を組む。そう、私の憧れは霧散した。霧散したけど、放っておきたくなかった。じゃあ、何で放っておきたくなかった? 不健康そうなのは確かだけど、それを放っておくのはなんだか寝覚めが悪いけど、改善しようと動く義理なんて、私には無い。つまり。
「……わかりません」
「えっ?」
「わかるのは、あの人からも学ぶべきことは確かにあること。それと……なんかあの人がちゃんとしていないのは、嫌です」
だから今のところは……そう。
「先輩改善計画です!」
「……拗らせてるなぁ」
「な、何がですか?」
「ううん。別に」
何も語らず、恵理さんはニマニマ笑顔と生温い眼差しを向けてくるのだ。
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