第2話 先輩、ご飯はちゃんとしてください。

 俺の通う高校は、電車に乗って二駅、そこから徒歩十分。どこの高校か聞かれた時、答えればちょっと良い気分に浸れるくらいには有名な進学校だ。

 特徴的なところと言えば、この校則だろう。


『一定以上の成績の維持を条件にアルバイトを認める』


 定期試験、全教科九割以上の成績を取り、それを維持する。これを達成すれば担任と学年主任との面談を一回すれば認められる。後は半年に一回、働くことについての小論文を提出すれば良い。そしてこの校則には続きがある。


『学校は生徒の職場に対し、時給について生徒に協力し、交渉するべし』


 実際、俺と双葉さんの時給は、募集の紙に書かれている額より、俺は二百円、双葉さんは百円高い。俺は千三百円、双葉さんは千二百円だ。

 一回条件を満たせば許可されるが、当然辞めさせられる条件もある。

 基準以下の成績を、一教科でも九十点以下を取ってしまった場合、学校が退職手続きをし、バイトは今後卒業まで認められなくなる。

 理事長が言うに。


「どうしようもなく駄目な大人と結構良い大人、どっちも存在することをさっさと知っておいた方が良い」


 さらには。


「特に接客業は経験しておいて損はない。むしろ経験しておいた方が良い」


 とのことで、この校則ができた。例外として夏休み、冬休み、春休み期間は、無条件で全ての生徒にアルバイトを許可している。その場合、休み明けに小論文の提出、及び一つでも宿題を忘れた場合、以後、バイトは許可しない。

 これに関しては。


「当たり前のことをできないものに特例を認めるわけにはいかないだろう」


 と、理事長のお言葉。

 そんなわけで今日もいつも通り、俺は眠たい目を擦り、途中のコンビニで買った朝食のゼリー飲料を吸いながら通学路を歩く。


「……食べながら歩くのは行儀が悪いです」

「んあ?」


 草原を吹き抜ける風のような、涼やかな声に振り返り見れば、双葉さんが背筋をピンと伸ばし、薄い胸を少し張り、姿勢正しく歩いているではないか。

 朝だというのに眠たい様子もない。灰色のブレザーの制服。一年生の色である赤のリボンを襟に巻いている。紺色のスカートはしっかりとひざ下。お手本のような着こなしである。


「なんですか。人の姿をじろじろ見て」

「いや、学校でたまに見かけることあっても。話すことなんて無かったからな」

「そうですね。言われて見れば、挨拶くらいはした方が良かったと、反省します」

「いや、別にそこまで重く捉えなくて良いけど……一ついるか?」


 いたたまれない雰囲気を誤魔化したくなり、ポケットから予備のゼリー飲料を差し出すが、双葉さんは首を横に振る。


「いえ、結構です。自宅で朝ご飯を食べて満腹なので」

「そっか。じゃあ、これやるよ」


 さっき買った、ステック状のクッキーにチョコレートをコーティング、シェアしてハッピーなポキッとしたお菓子を一袋差し出す。


「……毎日これを?」

「まぁ、そうだな。ポテチの方が良かったか?」

「お菓子の食べ過ぎは身体によろしくありませんよ?」

「片手で食える優れものの集まりだぞ。効率よく栄養補給だ」

「……もしやそのゼリー、朝ご飯ですか?」

「そうだが」

「栄養補助食品は補助に過ぎませんよ」

「らしいな。朝は食欲無くてね」

「生活習慣が乱れていると推察します。相変わらず顔色が悪いですし、眠そうですし。お昼は?」

「これ」


 コンビニの袋を振って見せる。中身はおにぎりとカツサンドだ。

 双葉さんはほんのりと目を細める。微かに見えるのは呆れの感情だ。


「野菜はどちらに?」

「夜にキャベツに塩振って食べるよ」

「もう少し色々な種類のを……って、そういう話をしに来たわけではなく」

「あ、香澄ちゃーん」


 後ろから聞こえてきた声に双葉さんは振り返る。香澄って確か、双葉さんの名前だったな。


「えっ、あ、おはようございます。恵理さん。あっ、先輩!」

「じゃあ、また放課後に」

「あっ……」


 ひらひらと手を振って振り返らないように歩く。くっ……謝るタイミング逃した。




 「もしかして、お邪魔しちゃった?」


 という恵理さんの言葉に私は首を横に振る。


「いえ、私が至らなかっただけです」

「そう。まぁ、行こうか」


 歩き出すと、恵理さんも並んで歩き始める。

 クラスメイトにして高校でできた最初の友人の南恵理さん。

 私の肩辺りの身長、私自身結構小柄だと思うのだが。私と違い、小動物のような可愛らしさがある。あちこちに跳ねた癖っ毛、ニコッと笑うと口の端から覗く八重歯が印象的だ。あと、なんか、丘があるのだ、胸元に。私より背低いのに、私が持ってないものを持っている。

 あと、私と違って友達もとても多い。学年問わず廊下を歩けば誰かに声をかけられてる。今だって。声をかけられ手を振りながら歩いている。どこのアイドルだ。


「珍しく車で送ってもらってないなぁ。歩いてるなぁ、カッコいい人と一緒にいるなぁって思ってさ。彼氏さん?」


 そして、軽い調子でとんでもないことを聞いてくる私の友人。


「ち、違います。今日はたまたま……えっと……そう、猫がエンジンルームにいて、車が出せなかったのです」

「そろそろ夏なのに?」

「な、夏なのに、です」

「それで、あの人は?」

「ば、バイト先の先輩です」

「あぁ、あの人が。えっと名前は……」

「有坂晃成」

「そう、それ。そっか、あの人が香澄ちゃんの憧れの人か」

「ち、違います」

「えっ、違うの? あの人に憧れてバイト先選んだって……そのために中間試験頑張って……」

「あーあーあー、口を閉じろー」

「わぷっ」


 思ってたのと違う。そういう体験は誰しもあるだろう。

 あの人は凄い。けれど。認め難いけど、凄いんだ。

 あの人はグロサリー部門。私はレジ部門。初出勤の日のことだ。


「あっ、えっと、今日からここではたらかせていただくことになりました。双葉香澄です」

「有坂晃成です。よろしく。この子にレジの操作を教えれば良いんですね。チーフ」

「うん。よろしくー」


 山辺チーフに軽い調子で任せられ、困ったようにこめかみをぐりぐりとほぐすように押している横顔を眺める。

 いきなり会えるなんて、とちょっとした感動にボーっとした。しかもレジのチーフ直々に新人教育を任される。レジチーフ。つまりその店のレジのトップに、新人教育を任される。私よりたった一つ上なだけなのに、しかも部門が違うのに。そこまでの信頼。凄い。


「じゃあ、こっちに。今日は操作を軽く覚えて貰ったら俺とレジ入ってもらうから」

「は、はい」


 それからなんというか。教え方はとてもよく整理されていて、わかりやすいのだが。


「間違えたらこっちでどうにかするから気楽に覚えれば良いけど、早く覚えた方が後悔は少ないかもね」


 と、当然のように言い放ったのだ。適当だなと思った。でも、教え方は順序立ててあって丁寧で、認識が狂いそうになる。

 二回目の出勤でスキャンの方を覚え、続いて会計の方を覚えるため、二人制で私が会計側に立ち、彼のスキャンを見たのだが。商品が飛ぶのだ。

 右手でお客様のカゴから商品を掴み、左手に持ち替えるための一瞬、商品が飛び、ジャンコードがスキャンされながら左手に収まり、精算カゴに置かれ、その時には既に右手に別の商品。二リットルペットボトルすら片手で簡単に扱って見せるのは凄いとは思うが。

 お母様が言っていた。動きが速いと抱かれる印象は凄いか雑かのどちらかで、動きが遅いと抱かれる印象は、遅いか丁寧かのどちらかだ。


「その……出過ぎたことを申し上げますが、スキャンする時、両手で持った方が丁寧だと私は考えます」

「そう? こっちの方が速いと思うけど」

「そうかもしれませんけど!」

「あっ、悪い、サービスカウンター行って来る」


 一度、彼のレジが雑だとお客様が彼に苦情を言っているのを見たことがある。が、彼は飄々とした様子で。


「では、何か破損している商品がありましたらお持ちください、返金、または交換で対応させていただきます」


 と。雑だと言うなら物証を持って来て見せろと言う調子だった。 

 正直この時点で期待外れと言うか、望んでいたものと違ったと感じて、辞めようかと頭の中にちらついていたのだが。今も留まっているのは。彼が優秀なのは間違いないのと。


「大変申し訳ございませんでした」


 明らかにこちらが悪い時や。


「わかりました。少々お待ちください」


 相手が確かに困っている時は、とても真摯に対応する。特に後者の時。彼は、私が憧れた姿を見せてくれるのだ。だから私は。今日も色々ぐちゃぐちゃな感情を彼に向けるのだ。


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