バイト先の毒舌後輩ちゃんの先輩改善計画。
神無桂花
真面目な後輩は毒舌です。
第1話 先輩、その対応は如何なものでしょうか。
「……先輩、雑です」
聞き心地は良いが冷えた声が耳元でくすぐるように囁かれる。
非常に速いという評価をよく賜るこのレジ捌きは、バイトを始めてからの一年で磨き上げたものだ。
「確かに速いですが、雑です」
平坦な声で重ねて囁かれる。背筋が涼しくなるような声だ。
「そうかい。三千六百五十円になります。お次のお客様、お預かりいたします」
長めの列ができたため二人制のレジ、会計を担当する人と、商品のスキャンを担当する人で分かれ、お金をやり取りしている間もどんどんスキャンして次の会計にすぐに移れるようにするのだ。
ただひたすら手を動かし続けたら、気がつけばレジに並ぶお客さんもいなくなり。そうなれば俺もお役御免だ。
「それじゃ、戻るよ。双葉さん」
「はい、ありがとうございました。有坂先輩」
そう声をかけると、短い髪を微かに揺らしてパッと振り返り一礼。しかしながらすぐに別の男性客がカゴを置いたので接客に戻る。
切れ長の猫のような目が印象的な、クールな印象を持つ双葉さんは男性客に密かに人気だ。冷たい印象ながらも、接客の時の声は柔らかく、涼やかな風のような声で、丁寧なのだ。そのギャップに落とされる人が多い印象である。
まぁ、そんなことは良い。俺は本業のフロア業務に戻る。
スーパー『おーうめ』グロサリー部門夜間アルバイトであるところの俺は、今日もそれなりに忙しい。
グロサリー部門の仕事であるところのフロア業務。簡単に言えば棚に並んでいる商品の管理が主な仕事。夜間になるとさらに惣菜部門の惣菜、ベーカリー部門のパン。鮮魚部門の刺身、精肉部門のひき肉、青果部門のカットフルーツの値引きも担当する。
あと俺の場合はレジのヘルプやサービスカウンター業務もやる。クレーム処理とか返金対応とか、あと色々だ。
今日も見切り機片手に店を駆け巡る。次は鮮魚だな。と中通路を歩いていると、双葉さんが何かを探している様子で。
「ん? どうした?」
と思わず声をかけた。
「あっ、先輩。これ、戻しなんですけど」
そう言って双葉さんが持ち上げて見せたのはレトルトのお粥。
「あぁ、それお米の棚の並びだな。戻しとくから、戻って良いよ」
「すいません。ありがとうございます」
「レトルト食品コーナーなのに、レトルトのご飯とお粥はお米の棚の並びなのは、確かにわかりづらいな」
「そうですね」
「今度の棚替えでまとめるらしいんだけどさ」
「そうなんですね。良かったです……戻って良いんですよね?」
「あっ、うん。引き止めてしまったな。悪い」
「いえ」
ペコリと双葉さんは頭を下げてレジの方に小走りで去って行く。
『戻し』レジでやっぱりいらないとか、財布の中身が足りなかったとかで会計から省かれる奴。会計前にかごの中身と財布の中身くらい確認しておけと思う。
しかしながら俺、双葉さんに嫌われてたりしないだろうか。
刺身に三十%引きのシールを貼りながらぼんやりと考えてしまう。
なんというか、冷たいわけではないが、うーん、少なくとも好かれてはいないと思う。でも、何とも思われていないと考えるには、言葉に棘というか、毒がある。あんまり関わらない方が良いのか?
やることを終えてそっと離れて。何となくレジの方に足が向いた。
「ん?」
双葉さんが、高齢の男性に絡まれている。……和やかな雰囲気じゃないな。
「俺の勘違いで、トラブルじゃなきゃ良いけど」
とりあえず向かうことにした。
トラブルだった。サービスカウンターにて、白髪交じりの男性が双葉に怒鳴り気味の声でまくし立てている。
「おかしいでしょうが、なんでこっちの箱が千八百円なのに、こっちの箱は千三百円って。同じ本数だろうが。おい、なんで電話取ろうとしてんだ。俺が今話してんだろうが」
と。わかりやすく言えば、五百ミリのお茶のペットボトルを二種類箱で買ったのだが、同じ量、同じ本数なのに値段が違うのに納得がいかないらしい。
双葉さんの足が震えている。思えば、彼女がクレーム対応に立っているのは初めてだな。怒気を真正面から受け止めるのはなかなか精神に来るものがある。しかもこの客、担当者を呼び出すことすら許さないのか。電話に手が伸びた双葉さんを怒鳴りつけて。
他のベテランパートさんは……なるほど、レジ混んでてすぐに抜けられそうにないな。
双葉さんの視線はチラっと未だ混んでいるレジに向いて、そして、真正面から客を見据えた。
……腹を決めたところ悪いが。後ろから強張った肩をポンと叩く。
「あっ、先輩」
「後は任せろ」
そう呟くように言って、双葉さんを後ろに下がらせて俺が前に出る。
「誰だてめぇ、今、そいつと話してんだよ」
「夜間担当責任者の有坂です。たまたま見えたもので。私が対応させていただきます」
大嘘ではあるが、『責任者』と言えば向こうも戻せとは言えまい。一年の接客業経験から、高齢の男性は地位や肩書に弱い傾向にあると思っている。店長とか、責任者とか、社長とか、そういうの。
さて、どう対応したものか。正直、客の言い分もわかる。一回聞いただけなら何言ってるんだこいつ? となるだろうが、種類が違えば値段も違うだろと。
だがこの二種類の商品、単品の値段が同じ七十五円なのだ。単純に二十四本分の値段と考えれば、同じにならなければいけないのは納得できる言い分である。
「お客様、本日のチラシは確認されましたか?」
「チラシが何だって?」
「こちらの箱売りで千三百円の商品、チラシなので安くさせていただいております」
「それがなんだってんだ。おかしいだろうが、って言ってるんだよ」
……なるほど面倒だ。自分の主張を押し通すことしか頭に無いタイプだ。
「本日そちらがたまたま安い日で、お得に買えた。それだけのことです」
「だから、おかしいだろうが、って言っているんだ」
無理か。こちらが同意しない限りそれ以外言う気が無い。俺達に残されたのは客の言い分を認めて謝罪して、要求を聞いてどうするかを決めるしか無いらしい。
双葉さんもいそいそとレジの前に立ち、どうしますかと目で聞いてくる。返品伝票も用意されてる。出来た後輩だ。だが。
ここで終わるのは正しくない。
「双葉さん、電卓ある?」
「はい」
文房具の引き出しから取り出して渡してくれたそれを受け取り。
「お客様は値段が同じでないことがおかしい、ということでよろしいでしょうか?」
「そうだと言ってるんだよ。こっちだって金出してんだからよ、正しい値段で買いたいだろうが。クレーマーじゃねぇんだからちゃんと対応しろ」
そうだな。クレーマーじゃなくて厄介クレーマーだな。という言葉は飲み込んで。誘い手すら打っていないのに勝手にボロを出してくれたことに感謝を込めて。
「なるほど。確かに私としてもそれは納得できる言葉です。では、こちらの商品どちらも単品ですと七十五円となります」
「あぁ、そうだな」
「では、面倒なので消費税は省いて計算させていただきますと、こちら、一箱二十四本入りなので、電卓をご覧ください」
七十五を二十四倍。
「計算結果は千八百円。お客様は先程、正しい値段で買いたいとおっしゃられていましたが、さらに五百円、当店にお支払いしていただける。そういう理解でよろしいでしょうか? ……あっ、双葉さん、そちらのお客様お願いします」
丁度男性客の後ろに、女性客が困った顔で待っているのが見えたので双葉さんを向かわせる。さぁ、この場面、間違っているのがどちらか、男性客もわかってきただろう。口をパクパクさせて、それから床を強く一度踏み鳴らし。
「あー、もう良いよ。けっ二度と来るか」
と捨て台詞を残し、男性客はカートを押して去って行く。はぁ。これで退いてくれるのならまだ良心的だな。
女性客はワインの包装の依頼だったので受け取ってサクッと包んだ。
「大変だったな」
という言葉に返って来たのは、ひんやりとした視線だった。俺の胸の辺りよりも少し下くらいの、大分小柄な少女から放たれる視線。どうしてだろ、圧が凄い。
「有坂先輩」
「はい」
「接客業として、先程の対応は如何なものでしょうか?」
「と、言うと?」
整った顔立ちで睨まれると、ナイフでも突きつけられている気分になる。
バイト歴一年の先輩が、バイト歴二か月の奴に圧倒される。どう丸く治めたものか。ちょくちょくお小言は頂戴してきたが、ここまでお怒りになったのは初めてだ。冷えた声の奥に感じる熱は近づくだけで火傷しそうだ。
「まずは謝罪がありませんでした。基本ですよね?」
だけど、この一言を聞いた時、俺の中で何か、カチッと外れる音がしたんだ。丸く治めるなんて考えはどこかに吹っ飛んだんだ。
「俺は、こちらに非が無いなら謝る気はない」
「確かに、結果的にこちらに非がありませんでした。しかし、お客様に恥をかかせるような対応はするべきではありません」
「間違っていたのは向こうだ」
「それでもです。……相手に恥をかかせず、穏便に、お互いが気分よく治められるようにする。それが接客の……いえ、人間関係のマナーです。先輩がやったことは、ただ相手に正しさを押し付けて叩きのめしただけです。ただの暴力です」
「じゃあ、双葉さん。君ならどうしたんだ?」
「えっ?」
「大人しく五百円マイナスした値段で会計し直すのか? それとも、返品で対応したのか? 丸く治めるだけならそれも選択肢だろう。ただ謝って流れ作業のように返品対応、返金対応をする。それは正しいのか? 本当に」
「くっ……」
「レジ、また混んできたぞ」
「……わかってます。わかってますよ。私が……」
顔を背け、目元を拭い、双葉さんはサービスカウンターを駆け出て行った。
わかってますよ。私が未熟なことくらい。だって、私は気づけなかった、先輩のように、単品の値段に本数をかけて二十四本分の本来の値段を見せる方法を思いつかなかった。ただ謝罪することしか、先輩が来るまでできなかった。
先輩は相手の間違いを突き付けることで追い払うような対応をしたけど、その対応に関して全く納得してないけど、私も、あれにすぐ気づければ、先輩の手を煩わせず、そこから納得してもらえるようにできたかもしれない。
あれくらい冷静に、状況を俯瞰して観察出来たらな。そう、あの時だって、先輩のそういうところに感動したから、バイト先をここに……それよりも。
「うぅ」
やってしまったぁ…… 助けてくれたことへのお礼、言えてない。何もできなかったところに、呼んでいないのに気づいてくれて、来てくれて、対応を引き受けてくれた先輩に「ありがとうございます」の一言も言えなかった。
助けてもらったのに、あんな態度。最悪過ぎる。いっそ殺して欲しい。
「うぅ……有坂、先輩……」
「双葉さーん。おーい?」
「あっ、チーフ。お疲れ様です」
退勤して店の制服の上にパーカーを羽織り、ペットボトルの紅茶と冷凍うどんをカゴに入れてレジに来たのは山辺チーフだ。結構小柄な私よりも背が小さく、髪は黒の方が濃い茶髪に染めている。ぱっと見、二十代前半だが、違うらしい。
商品をスキャンし会計を済ませても、チーフはチラチラと辺りの様子を窺いながら、少し顔を寄せてくる。
「大丈夫だった? って、有坂君が対応したならまぁ、大丈夫か」
さっきのクレームのことだとすぐに察しがついた。
「えぇ。お客様は大変お怒りになって帰っていきました」
「あぁ、そっちのパターンか。まぁ、大丈夫でしょう。有坂君だし」
「……随分信用しているのですね」
「じゃなかったら高校生にサービスカウンター任せないよ」
転がすように笑いながら、からかうような目が眼鏡越しに向けられる。
「双葉さんもそうじゃない? なんか名残惜しそうに名前呼んでたし」
「なっ、わ、私はあの人を認めてません」
「あはは、じゃああとよろしくねー」
山辺チーフはひらひらと手を振って店を出て行く。
本当に違う。違うんだ……。あの、いつも顔色悪くて眠そうなあの人のことなんて、でも。
「……ちゃんと謝りたいな。さっきのこと」
高校生は閉店時間の十時まで働けない、九時になったら退勤だ。それは彼女も同じ。
「あっ、双葉さん、お疲れ」
「お疲れ様です。有坂先輩。また明日、学校で」
いつも通り、高そうな黒い車のお迎え。折り目正しく彼女は一礼して乗り込む。それを見送って俺は自宅に向けて歩き出す。
「……言い過ぎたこと、謝れなかったな」
そんな呟きは初夏のまだ涼しい風に乗ってあっさりと消えた。
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