【第2章】その25✤マーガレット・オブ・ヨークの家族
マーガレットは第3代ヨーク公リチャード(プランタジメット家)を父に、そして「レイビー城の薔薇」と呼ばれたその妻・美貌で有名なセシリー・ネヴィルの三女として生まれた。
このセシリー・ネヴィルの母ジョウンはランカスター家のジョン・オブ・ゴーントの娘なので、セシリー自身はジョン・オブ・ゴーントの孫に当たる。
ジョン・オブ・ゴーントの孫と言えば、マリー・ド・ブルゴーニュの祖母イザベル・ド・ポルトガルも彼の孫だったので、そう考えるとセシリー・ネヴィルとイザベル・ド・ポルトガルは従姉妹なのではないかと思われるだろう。
確かにそういうことになるが、セシリーとイザベルの母2人は実は腹違いの姉妹だった。
イザベル・ド・ポルトガルの祖母はジョン・オブ・ゴーントの最初の正妻ブランシュ。
一方、セシリー・ネヴィルの祖母は愛人から3番目の妻になったキャサリン。
なので2人の祖父は共にジョン・オブ・ゴーントではあったものの、祖母の身分が違ったため、イザベルの母は嫡子であり王位継承権を持つ身、一方セシリーの母は庶子として王位継承権は剥奪された立場だったのだ。
ただそのような立場ではあったものの、この3番目の愛人あがりの母から生まれた兄弟達---つまりセシリーの伯父達はボーフォート家という家名で着実に繁栄を続け、この家系から後にはテューダー朝が出てくるのだが、この時点では誰もそのような事は思ってもいなかった。
それでもセシリーは「誇り高きシス(彼女の愛称)」と評されていたそうなので、正妻の家系から生まれていたイサベル・ド・ポルトガルの気位の高さは如何ほどだっただろうかと想像される。彼女から見たら、もともと庶子の家系のセシリーは従姉妹とは思っていなかったという可能性すらあるだろう。
それはさておき、マーガレットが生まれたのはイングランド中部のノーサンプトンシャー(ロンドンとマンチェスターの中間くらいの場所に位置する)にあるファザリングヘイ城で、1446年5月に7番目の子供として誕生した。
セシリー・ネヴィルは多産の家系で、13人の子供を産んでいるが、成人したのはそのうち7人で男子が4人と女子が3人。その男子のうちの2人はイングランドの国王となったエドワード4世とリチャード3世なのだが、マーガレットは幼少期は年の近い兄弟姉妹達と共にバーミンガムから西へ82㎞程行ったラドロー城に住んでいた。
マーガレットの生まれたファザリングヘイ城や、母セシリー・ネヴィルの生家であるダラムのレヴィ城や、イングランドにたくさんいる他の親戚の家とも交流が有り、子供時代には何人かの親戚の子供達と共に過ごしていた。
歴史や語学の勉強をしたり、作法を学んだり、馬に乗ったり、平原や森の中を駆け回って遊んだり、他の貴族や王族の子供達同様に、たくさんの子供達と伸び伸びとした楽しい少女時代を過ごしていた。マーガレットの明るさ、そして周りとの協調性はこの少女時代に培われたのだろう。
ところでヨーク家には一つ頭を悩ませる問題があった。
長男ヘンリー(生まれてすぐに早世)と次男エドワード(彼は次男としての誕生)の年が、14ヶ月くらいしか離れていなかったため、エドワードは本当にセシリーの子供なのか、あるいは全く逆に、セシリー自身が夫ヨーク公リチャードの軍隊にいた射手と不義を働いてできた子供なのではないかというような噂が流れていたのだ。.
しかし、次男エドワードと三男エドムンドも誕生は13ヶ月しか離れていないし、三男エドムンドと三女エリザベスにいたってはそれこそ11ヶ月しか離れていないので、これはとんだ言いがかりだった。
また エドワードの洗礼式は非常に小さな礼拝堂で、迅速に行われたということも噂に拍車をかけた。彼の弟達の場合は、もう少し豪華に洗礼式を執り行っていたからだ。
でもこれも長女、長男を生まれてすぐに亡くしていたセシリー・ネヴィルにとっては当然のことだった。当時カトリック教会では洗礼を受けていない子供は天国へは行けないと信じられていて、敬虔なクリスチャンであったセシリー・ネヴィルは、一刻も早く子供に洗礼を授けなれば、という強い思いがあったのだ。
ただ実は大きなエドワードの非嫡出の根拠は、他にあった。それはエドワードの誕生の9か月前、ヨーク公リチャードは家を離れて数週間フランスへ遠征へ行っていたという事実に基づいていたのだが、これらの理由の全ては、兎にも角にもヨーク公リチャードの政敵が流した根も葉もない噂に過ぎなかったようだ。この間にヨーク公リチャードが妻セシリー・ネヴィルの元を訪ねて行かなかったという証拠もない上、ヨーク公リチャードはその間家族をフランスに連れていっていたという説まであるのだから。
それが証拠にヨーク公リチャードは彼を息子として認め、受け入れている。それでもこのような噂がセシリー・ネヴィルを神経質にさせたのは当然のことだったろう。
また後にはエドワードは長身になり、その点でも父ヨーク公リチャードには全く似ていないと言われたそうだ。
一方、末のリチャード(後のリチャード3世)は黒髪で背が低く、父ヨーク公リチャードに良く似ていたので、疑いなくヨーク公リチャードの息子であると誰もが納得していたのだが、長男エドワードはこの暗い噂を子供時代から抱えて生きることになる。
しかしその中で少年エドワードに明るい気持ちを運んでくる少女がいた。親戚の子供の一人で、同い年の女の子だった。
皆がリシィと呼んでいたその少女は「幸運な子」という名前の、美しい深い栗色の髪の、よく笑う明るい少女だった。
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またベルギーに近いドイツ在住の地の利を生かして、InstagramやTwitterではマリー・ド・ブルゴーニュのゆかりの地ベルギーのブルージュで見かけた、マリー姫に関連するものをご紹介していきます。
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主な参考文献
「Maria von Burgund」 Carl Vossen 著 (ISBN 3-512-00636-1)
「Marie de Bourgogne」 Georges-Henri Dumont著 (ISBN 978-2-213-01197-4)
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