【第1章】その22✤華麗なるブルゴーニュ公国の後継者


 最愛の母の死からたった2年で、尊敬していた祖父まで亡くなってしまい、まだ10歳のマリーにとってその事実は簡単なことではなかった。

 

 母の死はただただ悲しいだけで済んだが、祖父の死は悲しいだけではなく、マリーの生活をも変えてしまうことでもあった。

 

 祖父の死によって父シャルル突進公はブルゴーニュ家4代目当主となり、その一人娘であるマリーは事実上、この華麗なるブルゴーニュ公国の後継者となったのだ。

 

 この偉大なる公国の継承者ということがどのくらい大きな意味を持つのか、まだ10歳のマリーには明確に、はっきりとわかってはいなかったとしても、ブリュッセルのクーテンベルグ城で祖父が見せてくれた高価な宝の品々の意味は少女のマリーでもわかっていた。

 

 いつか自分もあれらの祖父の素晴らしい遺産の支配者になるのだろう、と考えるとそのブルゴーニュ公国の女公爵という地位がとてつもなく大きく、自分の手に余るのではないか、とそのくらいのことを感じる程には教育もされ、本人も成長していた。

 

 他のヨーロッパの王室ですら所有していない高価な宝の品々が、ブルゴーニュ公国の宮殿には溢れているということもマリーにも理解できていた。


 しかも周りは王国や帝国でありながら、ブルゴーニュ公国家は王家ではなくただの公爵家である。にも拘わらず、どの王家よりも豊かな公国であった。


 そしてこれはマリーの父シャルル突進公にとっては納得し難く、自分の代には絶対に王家に格上げされるべき、と考えていたのだ。

 

 しかしシャルル突進公 “Charles le Téméraire(シャルル・ル・テメレール)” はフランス語の意味では「無謀」という意味合いが強く、無鉄砲公、猪突公、軽率公と言われることもあるように、父フィリップ善良公とは似ても似つかない軽率なところがあった。


 もともとフィリップ善良公は23歳の時に自身の父ジャン無怖公を亡くしている。しかも父の死はイングランドとフランスの百年戦争に巻き込まれた形での死だった。フランスのアルマニャック派に暗殺されたのだ。


 またフィリップ善良公が生まれた時には百年戦争は既に始まっていて、世情も不安定な中、敬愛していた父は殺され、8人兄弟のうち男子は自分だけという、若くしてブルゴーニュ公君主になった彼は誰も頼ることができない環境でもあった。


 親戚筋のフランスは今や敵であり、と言ってイングランドと結託すれば、いずれはイングランドをも敵に回すことになるだろう。その時に万が一にもフランスとイングランドが手を組んだら、ブルゴーニュ公国は跡形もなく2つの大国に取り込まれてしまうことになる。それは絶対にあってはならない事だった。


 かのジャンヌ・ダルクはフィリップ善良公の判断でイングランドへ送られ、処刑されてしまったわけで、ジャンヌ・ダルクはフィリップ善良公のことを「ころころと意見を変える、決して信用できない公爵」と評したそうだが、ジャンヌ・ダルクやフランスから見ればそれは間違いないのない事実だっただろう。


 でも親戚筋のフランス王家が信用出来ないことも、と言ってイングランドを全面に信用してフランスを刺激するのも、地理的に間に挟まれたブルゴーニュ公国にとっては得策ではなく、なので飄々(ひょうひょう)と渡り歩くような素振りを見せ、戦争に巻き込まれずにやり過ごしたフィリップ善良公の政治手腕は、ブルゴーニュ公国の視点から見れば、やはり高く評価されるべきことなのだと思われる。



 一方、前述のシャルル突進公は、後継者として一体父の何を見ていたのだろうか。

 

 実はシャルルは長男ではなく三男として生まれたのだが、長男と次男は早世してしまい、シャルルがたった一人の後継者になってしまったのだ。

 

 彼が短気で粗暴な人物になった理由の一つは母であるイザベル・ド・ボルトガルの養育のせいとも言われているようだが、もともとの彼の持って生まれた性格もあったのではないだろうか。

 

 また父とは違い、生まれた時から欧州一豊かで、安定していた公家に王子として生を受けたシャルルの考え方が、父とは全く違うというのは簡単に想像できる。

 

 自分は望めば手に入らぬものなどない、と幼少期から感じ、父の庇護の下(もと)34歳までほとんど何も心配せず(注1参照)暮らしていたのだから、君主としての本当の自覚はまだ育っていなかったという可能性すらある。

 

 そのシャルル突進公がヴァロワ=ブルゴーニュ家ブルゴーニュ公国の君主になったのは父フィリップ善良公が崩御した1467年のこと、そしてシャルルとイザベル・ド・ボルトガルが早急に進めた政策は、彼の3度目の再婚だった。

 

 再婚は政治的な理由だけである。

 

 その目的は2つ、一刻も早く男子を産むことと、蜘蛛王ルイ11世に対抗するためにイギリスとの同盟を強化することであった。

 

 そのために、なんとぴったりの候補者がいたのだ。


 白羽の矢が当たったのは、イングランド王エドワード4世の妹、マーガレット・オブ・ヨークである。


 彼女の登場は、マリーの人生、マクシミリアンの人生、そしてアリシアとセシリアの運命をも大きく変えることになる。

 


(注1)

 実はシャルルの性質的な問題は父フィリップ善良公も気がついていたようで、何度か諍いをしていて、跡継ぎを他にする可能性もあると息子シャルルに言っていた頃もあったという。フィリップ善良公の死の数年前にはこの親子は和解しており、その頃からフィリップ善良公はマリーとも親しく接するようになったようだ。




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主な参考文献。


「Maria von Burgund」 Carl Vossen 著    (ISBN 3-512-00636-1)

「Marie de Bourgogne」 Georges-Henri Dumont著   (ISBN 978-2-213-01197-4)

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