応援コメント

【第1章】その20✤アリシア----メッヘレンでの幸せな生活」への応援コメント

  • マリー姫とマクシミリアンは共通点の多いお似合いカップルだったんですね!

    前々から不思議だったんですが、フィリップ善良公とかシャルル突進公などの「善良公」「突進公」の部分って、死後につけられるニックネームだと思うのですが、いつどのタイミングで誰がつけていたのでしょうね。
    生前からそう呼ばれることもあったのかなあと、気になっています。
    もし何かご存知でしたら、教えてくださいませ!

    作者からの返信

    そうなんですよね、これはとても興味深いテーマなのですが、王たちにニックネームを付けたのは誰で、また 王たちは生前、自分たちのあだ名を知っていたのでしょうか?
    一部の王のニックネームは生前に付けられたもので、王様達本人はそれを知っていたかもしれませんし、知らなかったかもしれないようです。 またずっと後になって与えられた名前もあったので、本当に
    「いつ誰がどのように」というのは言えないのだそうです。

    例えばウェセックス王のアルフレッド大王は、彼の死後数世紀後に(16 世紀)になるまで「大王」と呼ばれませんでしたし、歴史家によって「偉大」と判断されている、 征服王ウィリアムは生前、敵たちから「ろくでなしウィリアム」と呼ばれていたことを彼自身も知っていて嫌がっていたそうですよ。なので、それぞれのケースは異なります。あと エリザベス 1 世は、廷臣や宮廷詩人たちから「グロリアーナ(栄光の)」と呼ばれていて、彼らがそのあだ名で彼女を賞賛しているのを彼女はもちろん知っていました。

    そして昔の人達は父親の名前をそのまま使っていたので、同じ名前でわかりにくいのもあり「~世」と数字を入れたわけですが、ブルゴーニュ家の場合は公爵家であり、王族ではないためこの「~世」を使えず、それで「敬虔公」「善良公」「突進公」などと付けられたのでしょうね。でもこちらの方はあとの歴史家達が識別しやすいようにまとめて決めたのではないでしょうかね。

    また、もともとローマ人は、自分自身または祖先の個人的特徴を表す「コグノメン」(通称)と呼ばれる追加の名前を持っていました。なのでティベリウス・クラウディウス・ネロは「恐れを知らないクラウディアンのティベリウス」でしたし、ガイウス・ユリウス・カエサルは「髪の毛が豊富なユリウス人のガイウス」だったそうです。なので、元々はローマのその風習にならったのかもしれませんね。