【第1章】その12✤アリシア---2度目の逃亡

 セシリアが生まれてからも、その小さな屋敷でアリシアとベアトリスは、2人の侍女と共に穏やかな生活を続けていた。隠れた生活ではあったけれど、侍女達と屋敷守りの夫婦もいて、ベアトリスもアリシアも屋敷の庭以外には行かないようにしていたので、誰もがこのまま平穏な生活が続くのかと思っていた。


 ベアトリスはアリシアに色々なことを教えようとしてくれていたが、その中でも一番時間を費やしたのは色々な国の言葉の勉強だった。


 ベアトリスはこのフランダース地域の言葉---フラマン語を最初はあまり上手に話していなかったのだが、屋敷守りの夫婦はこの地の言葉しか話せず、ベアトリスも彼らとはフラマン語で話すように努めていたので随分と上手になってきた。


 彼女は侍女達とは主にフランス語、あるいは英語で話し、アリシアにはフランス語、ラテン語、そしてベアトリスの国の言葉と思われる英語を教えてくれたのだ。アリシアはもともとフラマン語を使用し、侍女達は英語で話すこともあったので英語は理解できたのだが、ベアトリスのおかげで英語は母国語のように使いこなせるようになり、フランス語もラテン語もまたたく間に上達していった。アリシアは非常に賢い少女で、ベアトリスも彼女と共に勉強するのが楽しかった。


 そしてもう一つ、ベアトリスがアリシアに教えたことは縫い物だったのだが、徐々にそれはただの縫い物というよりは少し長い大きめの針と羊毛で編む、編み物に変わっていった。

「私の祖母や伯母や母も色々な編み方を競って勉強したのよ、だってとても楽しいし、綺麗でしょう?」ベアトリスは嬉しそうにそう言った。


 最初はとにかくどこまでも細く長く長く編んでいた。羊毛は屋敷にほんの少ししかなかったので、作ってはほどき、作ってはほどき、という作業を繰り返していたため、羊毛はどんどん細くなっていってしまったが(注1参照)、そのうちに丸い形や、簡単な模様なども編めるようになり、アリシアはこの作業が大好きだった。


 セシリアが2歳になる頃まで、この平和は日々が続き、アリシアは8歳になっていた。


 そんなある日のこと、ある来客が訪れる。それはアリシアが修道院にいた時から前の屋敷まで仕えてくれた女官の一人だった。彼女は傷ついた体でこの屋敷までなんとか辿り着いたようだった。


その女官を手厚く介護していた、その数日後のことだった。またも男達が数人でその屋敷にやってきたのだ。その男達は言った。


「ベアトリス様、ついに見つけました。貴女様のお子と共に私達と一緒に国へ帰りましょう」

「私の子はどうなるのです?」

「それは貴女様のご親族が決めること」

「この屋敷の他の者たちはどうなるのですか?」

「この屋敷の者たちは貴女様方以外は私達の敵方、このまま無事に屋敷から出すことはできません。この屋敷に留まってもらう他はありません。

ただし、貴女様のお子様ともう一人のお子様のお二人には一緒に来てもらいます」

「もう一人の子供? その子は女官が連れてきた子供、私達とはなんの関係もないのですよ」

「……私どもはそのようには聞いておりません。そのお子様の出自に関してもおおよそ存じておりますが」

ベアトリスは一瞬言葉につまり、それには答えずこう聞いた。

「この者達の安全は保障されますか?」

「この者達は我らの敵ですよ、それはどうなるかはわかりません」

「子供達はどうなるのです」

「それも貴女様のご親族のご判断次第ですが、悪いことにはならないでしょう」

「……そうですか、でも子供達は2人共安全であると約束してくれるのですね」

「その通りでございます。しかしながら貴女様がこれ以上強情なことを言われるのであれば、この者達の生命は今すぐに失くなるだけです」


 少しの沈黙の後、ベアトリスは突然晴れやかな表情で答えた。

「……そうですか、わかりました。では用意をしますので、少々お待ちいただけますか。子供達と共に行くことができるのであれば私は充分満足です」

侍女たちに屋敷にある一番上等なぶどう酒を持ってこさせ

「私も実は本当はもう長い間国へ帰りたいと思っていたのです。このような田舎の屋敷で外にも出られない生活はうんざりしたのです。

迎えに来てくださって本当にありがとうございます。お礼に今侍女たちに私の宝をここに持って来させることに致しましょうね。

 今すぐに出発の用意しますのでこちらでも葡萄酒でもお飲みになりながらどうかお待ち下さいませ。用意が終わったらすぐに出発致しましょう。子供達さえ安全であるならば、その後にこの者達がどうなっても、もう私には関係ないことです」


 侍女たちには

「この方達に私の持っている一番高価な宝石などで残っているものを差し上げたいの、一緒に来てちょうだい。その後はここにすぐ来てこの方達のお世話をするのですよ」と厳しく冷たい口調で言い渡した。


 一人の男は一緒について来ようとしたのだが、ベアトリスに

「私の寝室へ入りたいとは無礼ではありませぬか、私を誰か知ってのことであれば、国で私の親族に厳しく罰してもらうことになりましょう」

と言われ、足を止め、葡萄酒を飲み始めた仲間の元へ戻った。


 そしてこの後のベアトリスの行動は早かった。


 自分の寝室へ入り、そこで待っていた侍女1人と子供達、そしてもう2人の侍女と共に、寝室から直接つながる裏階段を使って、屋敷の庭に用意していた小さな船が2つある運河の橋へ、着の身着のまま静かに迅速に走った。


 1つの船には女官3人を乗せ、その船は元気な2人の女官に船を漕がせ、もう1つ別の船にはアリシアとセシリア、そして庭にいた屋敷守りの夫婦の5人で乗り込んだ。なので男達が異変に気がついて外に出たときには8人は既に船上だった。


 屋敷守りの主人は言った。

「船漕ぎは子供の頃からしていた自分にお任せを! 姫様方どうか振り落とされないようにしっかりと低めにお座り下さい!」屋敷守りの妻はセシリアを抱きしめ、ベアトリスはアリシアの手をしっかりと握っていた。


 その日はたまたま風が強い日だった。船は運河から川に出てどんどんと進んで行った。

 そしてこの8人はそれっきりその屋敷へ戻ることはなかった。



(注1)

 当時レース編みのための木綿糸というはヨ-ロッパでは大変な高級品だった。というのは木綿は亜熱帯の植物で、木綿糸は暖かい地域でしか栽培できないため、南の国から輸入するしかなったからである。

 またこの当時羊毛が大変高価なものであることには変わりなく、イギリスから来たベアトリスが一束持ってきた羊毛を、アリシアはほどいては編み、ほどいては編みと、繰り返し練習に使っていたため、最後は羊毛というよりは糸のような状態になってしまったのである。




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またベルギーに近いドイツ在住の地の利を生かして、InstagramやTwitterではマリー・ド・ブルゴーニュのゆかりの地ベルギーのブルージュで見かけた、マリー姫に関連するものをご紹介していきます。


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