【第1章】その11✤母イザベルの心配
マリーの母シャロレー伯爵夫人ことイザベルにとって自分の病状の心配もさることながら、心を一番占めずにいられないのは、遠く離れて暮らす一人娘マリーがどうしているかということだった。
シャルル突進公はホラント伯爵領において総督の役目を果たす必要もあり、イザベル達は現在のオランダのホルクムに、娘は現在のベルギーのゲントに居住していた。
そしてそんな夫シャルルの一番の関心は、いかに領土を増やし、公爵よりも高い地位を獲得することで、始終飛び回っていて、マリーのそばにはもちろん、妻であるイザベルの元にもほとんどいなかった。
その政策の一環として現在ブルゴーニュ家で最も重要なことは、マリーをどこへ嫁がせるかということであり、とにかく最も的確な相手を探すことだった。
戦争と同様に重要なのが結婚政策であり、ブルゴーニュ公国にとっては、巨万の富と財産を獲得し、維持し、強化する手段であ った。それゆえ、娘の結婚相手として「ふさわしい」候補者を 、出生時から非常に重要視していたので ある。また、結婚政策とは、関係する二つの地域の安定を図るための手段 として、平和条約の確認という役割も果たしていたので、王家のためになることはもちろん、国の平和を守ることにもなったのだ。
当時欧州の経済の中心地でもあったフランドル地方を持つブルゴーニュ家の姫として生まれたマリーは、その生まれた瞬間からヨーロッパ中の王室から注目され、縁談の話は掃いて捨てるほど舞い込んでいたわけだ。
もちろんイザベルにはわかっていた、病弱な自分はもう子供を産むことはできないこと、ブルゴーニュ家の相続人は娘マリーだけになる可能性が大きいことを。
この場合、ブルゴーニュ家としては娘が相続人になることは全く問題なかったのだが、本家のフランス王国は女子継承を認めていない王室であり、その傍流(ぼうりゅう)家のブルゴーニュ家の相続人がマリーしかいない場合、ブルゴーニュ公国をフランス王国へ取り入れる恰好の理由とするに違いないという大きな懸念があった。
そう考えると、フランス王国に対抗できるだけのバックグラウンドを持つ、つまり強い王国の王太子、あるいは王子を、とシャルル突進公が願ったのは当然のことで、イザベル自身ももちろん、一刻も早く娘にふさわしい伴侶が見つかることを望んでいたのだ。
まず最初の婿候補は、アラゴン王の次男で王太子になったばかりのフェルディナンドだった。
後にカスティーリャ女王イサベル1世と結婚し、共にカトリック両王となったアラゴンのフェルディナンド2世(注1参照)だ。
この縁談話が持ち上がったのは、マリーわずか5歳の時、欧州中の錚々たる名家から引く手あまたのマリーだったのだが、それでも母イザベルは
「こんなにも幼いマリー」の将来を危惧せずにはいられなかったのだ。
結局、双方の折り合いがつかなくなり、この縁談話はたち消え、その後もフランス王家、イギリス王家などから縁談話(注2参照)が舞い込むが、現在彼女はまだ7歳。
動物が大好きで世話をし、父シャルルの許可をもらって長年の願いだった乗馬も始め、従兄弟達と自然の中を駆けまわり、心配もなんの恐れもなく、毎日無邪気に幸せに過ごしている少女だったのだ。
「この豊かで栄光に満ちた公国の支配者になるという本当の意味がわかる時、あの子はその重荷を背負うことができるのかしら。これほどの栄華を保持するために必要な苦労の大きさを知る時に支えてあげることができるよう、せめてその時まで私は生きていなければ……」
別れて暮らし始めてから、始終そんな心配をしていたイザベルだったが、容態は悪化をたどり、彼女の願いは叶わず1465年9月25日ついに亡くなってしまう(注3参照)。マリーと別れて暮らし始めてからたった2年で、この母と娘は永遠の別れを迎えることになる。
イザベル自身は28歳という若さで、そしてマリーはまだ8歳の時だった。
(注1)
又従兄弟(またいとこ)でもあるカスティーリャ女王イザベル1世と結婚したアラゴン王フェルナンド2世は共にカトリック両王と呼ばれることになる。
この2人は後にマリーとマクシミリアンの孫であるスペイン系ハプスブルグ家カール5世やオーストリア系ハプスブルグ家フェルディナンド1世の母方の祖父母である。
もしもフェルディナンドとマリーが本当に婚姻していたら、私達が学ぶ世界史はまた全く違うものになっていたことだろう。
(注2)
これは共に少し後の話なのだが、フランス王室からの縁談話の相手は、フランス王シャルル7世の息子で後のルイ11世(蜘蛛王)の末弟にあたるシャルル・ド・ヴァロア。
イギリス王家からはヨーク公リチャード・プランタジネットの六男であるクラレンス公ジョージとの縁談が、その兄でイングランド国王になっていたエドワード4世からも打診されることとなる。
(注3)
イザベルの死亡理由は、肺結核だったと言われている。
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主な参考文献
「Maria von Burgund」 Carl Vossen 著 (ISBN 3- 512- 00636-1)
「Marie de Bourgogne」 Georges-Henri Dumonto著 (ISBN 2-213-01197-435-14-6974-03)
またベルギーに近いドイツ在住の地の利を生かして、InstagramやTwitterではマリー・ド・ブルゴーニュのゆかりの地ベルギーのブルージュで見かけた、マリー姫に関連するものをご紹介していきます。
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