【第1章】その3✤マリー姫---誕生の記録1
アリシアがベアトリスと共に生活を始めることとなったこの1461年の初夏、この物語の主人公マリー・ド・ブルゴーニュは4歳になった頃で、彼女の人生の中では、ある意味一番幸せな時期だったかもしれない。
…と、いうのは彼女にとっては、この時期だけが共に両親と暮らしていた頃だったからだ。
6歳のアリシアが、本当の母ではないにしろベアトリスがその頃から母親代わりになってくれて、一緒に暮らし始めたのとは逆に、マリーは6歳になるとそれまで両親と住んでいたル・ケノワ(注1参照)にある要塞のお城から引っ越し、両親はホルクム(注2参照)、マリーはフランダース地域(現在のベルギー)のゲント(注3参照)に別れて住むことになる。
なぜ6歳から両親と別れて暮らさなければならなかったのかと言えば、それはもちろん政治的な理由からなのだが、この両方の居住地は約150km遠方で、当時馬で移動した場合でも5、6時間程度はかかる距離だった。
なので両親と居住地が変わったこの6歳の時には、既にマリーは実母に甘えられないというまだ幼い、寂しい姫であり、その上、両親と離れて暮らし始めてから2年後の1465年9月、マリーが8歳の時には、母イザベル・ド・ブルボンは病気で亡くなってしまうのだ。母にはあまり縁がない子供だったということになる。また後に19歳で父シャルルも戦死することを考えると、そもそも肉親との縁が薄い運命の姫だったのかもしれない。
この8歳のマリーの話を説明する前に、まずはマリーが生まれた時の話から始めたいと思う。
注1
現在のベルギーのエノー州に近いフランスのオー=ド=フランス地域にある街
注2
オランダの南ホラント州にある街でロッテルダム近郊
注3
ゲントは現在のベルギーのフランダース地域(フランデレン地域)中部にあり、当時は非常に裕福で市民の力も強い重要な都市だった。
実際にはこの街に住む人はフランマン語(蘭語の方言)で「ヘント」というが、日本では英語で「ゲント」と呼ばれることが多いので今回は「ゲント」で統一。
各国語においては、蘭語: Gent(ヘント) 、仏語: Gand(ガン) 、英語: Ghent(ゲント)、独語: Gent(ゲント)とこのように呼ばれている。
古くは『カール大帝伝』の著者として知られるカール大帝の側近アインハルト(カール大帝の教育的な助言者アルクインの1番弟子であり、カール大帝の娘エンマの恋人でもあった)が、9世紀にこの街の修道院長に任命されていることからもわかるように、古い歴史を持った街。
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またベルギーに近いドイツ在住の地の利を生かして、InstagramやTwitterではマリー・ド・ブルゴーニュのゆかりの地ベルギーのブルージュで見かけた、マリー姫に関連するものをご紹介していきます。
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こちら主な参考文献になります。
「Maria von Burgund」 Carl Vossen 著 (ISBN 3-512-00636-1)
「Marie de Bourgogne」 Georges-Henri Dumont著 (ISBN 978-2-213-01197-4)
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