時間はわからんやつ

◆主観的時間

フランスの地質学者ミシェル・シッフルが暗い洞窟で2カ月を過ごした。すると何が起きたか?

時間に対する感覚が完全に狂ってしまったんだ。シッフルが一時間と感じる長さは、実際には四〜五時間にもなっていた。

これは、脳の奥にある線条体という器官の働きが混乱したことに原因があるらしい。線条体は人間に時間の感覚を与えるが、それが錯覚であることも少なくない。

SFの主要なモチーフのひとつに時間があるけれど、この主観的時間の伸縮を扱ったものも少なくないよね。例えば、主観的時間の密度が実は客観的時間にも影響を与えていたというアイデアがあった。あるいは、地球に襲来した宇宙人が長期に渡って謎の信号を地球人に発して去って行ったが、それを解読できなかった原因は宇宙人の主観的時間がやたらゆっくりであるためだという作品もあった。……といいながら、作品名が思い出せないのでご存知の方はお知らせください……。SFの作品名って何故か思い出せないんだけど、同じ健忘症に罹患しているひとはいますか?


◆客観的時間

時間とは実在するものなのか。

これはアリストテレスが『自然学』において提起した問題で、現代に至るまで議論百出の状況だ。哲学史的には、ニュートンの絶対時間とライプニッツの相対時間の対立が大きい。ニュートンは時間を客観的実在として捉えたが、ライプニッツは事物の相関関係としてしか成立しないと考えた。科学雑誌を読むと、いまでも最新の研究者のあいだで議論が分かれていると説明されているね。ちなみにライプニッツは二進法が将来の科学技術の中心になると予言したひとで、それは現代のコンピュータ技術につながっているよ。

さて、古代の一般のひとびとは、時間は循環するものだと捉えていた。春夏秋冬の一年の巡りを中心に、回帰する時間を実感していたんだ。これに対して現代は、時間を一過性のものと捉えるひとが多いのではないだろうか。これには科学が浸透した影響もあるのだろう。

現代の科学は、時間のことを〈熱力学的な矢〉と表現することがある。その根底には、熱力学の第二法則がある。系の無秩序さを示す尺度であるエントロピーは常に増大し続けるという例のあれだね。時間とは、秩序の整ったエントロピーの低い状態が崩れていくことなんだ。コーヒーに垂らしたミルクが拡散するように。いずれ人体が崩壊していくように。


ところで、以上の熱力学の議論はまぁよく聞く話なのだけど、不思議に思ったことはないだろうか。これは典型的な論点先取だ。時間がなければ変化もないはずだけど、熱力学による時間の説明の内部には変化を含んでいる。つまり、時間の定義の中に、時間で説明されなければならないものが先取りされているということだね。熱力学による説明は、時間そのものを定義するというよりは、時間の性質の一面を説明しているに過ぎない。


◆客観的時間も伸び縮みする

こうしてみていくと、やはり時間は客観的には実在しないのではないかという説が有力になってくる。その根拠のひとつとして有名なのが、特殊相対性理論だね。特殊相対性理論は、物理学の法則がすべてのひとに等しく作用するということを証明した。例えば、光に近い速度で移動しているひとを想定しよう。光に近い速度で移動しているひとが、光に向かってぶつかっていく速度は滅茶苦茶速いので、光は本来より速い速度でそのひとに到達するはずだ。でも、そんなことは起こらない。光に近い速度で移動しているひとにも、光は光の速度で届くんだ。さて、これらを外部から観察しているひとがいたとしたらどうだろうか。外から観察する限り、やっぱり光に近い速度で移動しているひとは、特定の光に対してより速く到達するようにみえる(自分からぶつかっていくから)。ここで何が起きているかというと、光に近い速度で移動しているひとと、それを眺めているひとの間では時間の流れが違うということ。つまり、不変なのは光であって、時間ではない。時間は伸び縮みする。


時間の伸縮は、人間にコントロールできない異次元の存在を予感させる。人間を三次元存在だとして、人間が移動できない四次元方向を想定するとしたら、そのひとつは時間であると考えられるかもしれない。時間と空間は別個のカテゴリーではなく、時空連続体という四次元多様体かもしれない。そうして生まれたのが一般相対性理論であり、これは時空の歪みというものを計算可能とした。太陽ほど大きな質量をもつと、時空は歪む。地球が太陽のまわりをくるくる回っているのも、その歪みが原因だという。それに、キツネたちもよく知るブラックホールがあるね。ブラックホールの桁違いの重力のもとでは、光速でさえ脱出できない。光が出てこないので、ブラックホールの中の情報は一切得られない。その境界面は〈事象の地平線〉と呼ばれる。

あなたが無敵のひとだったとしよう。事象の地平線に向かって落ちていくと、あなたの時間の進み方はそれを外部から観察しているひとより遅くなって、外からはあなたがゆっくり動いているように見える。あなたが事象の地平線に到達するのは未来の果てだ。とはいえ、あなた自身は普通に事象の地平線に落ちていくことになるだろう。しかし、事象の地平線で何が起こることはさっぱり予想できない。そこでは時空の織物が崩壊し、宇宙の終わりを目撃することになる。……してみたいよね?

ちなみに、宇宙創生の最有力説である、ビッグバンというやつ。あれは事物がブラックホールの特異点へと消えていく過程を記述する数式を反転させたものらしいよ。


上記でみた特殊相対性理論も一般相対性理論も最終的な理論ではないということは既に物理学者の間では定説だ。ブラックホールの中心を含む万物の挙動を記述する理論……量子重力理論の研究が待たれる。なんだかこれはすごい難しいらしくて、素粒子のほとんどは時間の向きと独立しているから、量子実験では情報が未来から届いたように見えることがあるとか。楽しいね。


哲学をやっていれば誰でも耳にしたことがあるのが、アウグスティヌスの箴言だ。「時間とは何か。誰かがそれを尋ねるまで、わたしはそれを理解していた。しかし、説明しようとした途端にわからなくなる」


◆余談

余談をしたくてだらだらと話してきたんですよ。クリストファー・ノーラン監督の『インターステラ』ってまさにこの話ですよね。あれがキツネは大好きです。

時間はかくも不可解なものだから、SFにはたくさんのシミュレーションがあるね。敢えてタイムトラベル、タイムループものは外すとして、とりわけ印象に残っているのは……、フレッド・ホイル『10月1日では遅すぎる』、テッド・チャン「あなたの人生の物語」、フィッツジェラルド「ベンジャミン・バトン」、星新一「時の渦」……えーと、他にもたくさんあったはずだけど……。

忘れるからこそ、一度読んだ本でもまた楽しんで読める。健忘症こそ時間の華と言祝いでおこう。


◇参考文献

マイケル・ブルックス『ビッグクエスチョンズ 物理』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)

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