魔法は解けたのか
だいなしキツネはただいま巣穴をお引っ越し中。移動のお伴にはモリス・バーマン『世界の再魔術化』を選んだよ。
バーマンによると、近代以降の社会は科学革命、資本主義革命によって「魔法が解けた」状態にあるそうだ。元々はマックス・ウェーバーが発した言葉だね。シラーが「自然が神の座から降ろされた」と言ったりニーチェが「神は死んだ」と指摘したりするのをみると、かつて社会で共有されていた魔法の感覚が喪失されつつあるということを、その時代の人びとは感じていたようだ。
この場合の魔法とは、主にアニミズムをいう。世界の至るところに神性があるという世界観のことだ。古典的には既に一神教の伝統がアニミズムを否定していた。とはいえ精神と現象世界の区別は厳密にはされていなかったといえる。これを決定的に区別したのがデカルトで、その延長上で理論を精緻化したのがカント。カントによれば、精神は〈もの自体〉を直接認識することはできない。これが哲学者の戯言であれば誰も問題にしなかったのだろう。しかし、ガリレオとニュートンが世界を一新してしまった。精神ともの自体が厳格に区別され、自然が精神の〈対象=外部〉となることによって何が生まれたか。精神は思考によって自然を計測し、操作できるという確信だ。どういうわけか、思考によって見出される法則と自然の経験法則は一致するらしい。アリストテレスの時代には、世界を説明する際には「なぜなのか(why)」が問われたが、ことここに至るとwhyはどうでもよくて、ただただ「どうやってか(how)」が問題となる。この過程で精神は、どんどんと世界から遠ざかっていく。
さて、バーマンはこのような事態を指摘した上で、「単純なアニミズムに堕することなく、科学的に(あるいは少なくとも合理的に)説得力を持つ形で「参加する意識」を取り戻さない限り、人間であることの意味は永久に失われてしまうだろう」「参加への道は、過去の暗闇のなかに失われた進化のパターンを呼び戻し、それを逆向きに行き直すことによってしか取り戻すことができない」と述べる。続けて参照するのは、中世の錬金術だ。錬金術師たちは黄金をつくろうと無駄な努力をしていたように思われているが、実際にはそうじゃない。彼らは黄金に「なろう」としていたのだ。錬金術師はものを対象化せず、ものと織り合わさっていた。黄金は手段(how)ではなく目的(why)だった。彼らは黄金を自分自身の長い精神修養の頂点として捉えており、だからこそ秘儀化していたのだ。
バーマンは、錬金術師を高く評価した上で、『精神の生態学』で有名なグレゴリー・ベイトソンの思想に依拠しながら、世界の再魔術化を試みていくことになる。ベイトソンは科学を無視することなく、無意識の知に基づくことを旨とするため、バーマンにはとても魅力的だったらしい。ベイトソンは社会環境・自然環境の重要さにも関心を払いながら、我々を世界の〈なか〉に位置づけてくれるのだ……。
さてさて。以上のような典型的な心身二元論批判は、キツネたちにとってはもはや常識の一部でさえある。バーマンの著作は1981年。この四十年で多少は進歩したとみるべきか、何も変わってないというべきかは議論の余地があるとして。気になるのは次の二点。
まず、バーマンは合理性の概念を〈戦略的合理性〉に限定している。ハーバーマスであれば、合理性にはむしろ「聞き取る」チカラがあるというだろう。これを〈コミュニケーション的合理性〉といって、対象を操作するのではなく、合意を形成していく方法と捉える。ハーバーマスははっきりと再魔術化の動向を嫌っていた。それは、近代のコミュニケーション的合理性が現れなければ立憲主義的な個人の尊重原理も誕生せず、息苦しい専制、抑圧が支配する社会を脱することができなかったと意識していたからだ。ハーバーマスも当然、現代に不満を持っている。それは、コミュニケーション的合理性が貫徹されていないから。近代は「未完のプロジェクト」であって、後戻りしてよいものではない。
次に、そもそも物理学は世界を対象化しているのか。電子の運動を表す方程式をみていくと、電子の運動量や速度について知ることができる。しかし、運動量と速度の両方を同時に正確に知ることはできない。光子を電子にぶつけることによってその位置を推測できるが、その衝突によって運動量が加えられるからだ。つまり、測定行為によって運動量に不確定性が生じる。逆に、運動量を正確に測定しようとすると、今度は粒子の位置に不確定性が生じる。そう、かの有名なハイゼンベルクの不確定性原理だね。物理学者はこの事実を前にして、我々が解明できることには限界があると自覚している。ニュートンでさえ次のように述べている。
「世間の目に私の姿がどう映るか知らないが、自分では、海辺をさまよい、滑らかな小石や美しい貝殻を見つけて喜ぶ少年にすぎないと感じている。眼前には、未知の真理をたたえた海が横たわっている」
ここに、世界への参加の意識がないといえるだろうか?
現代の問題を解決しようと志すならば、それは科学革命批判のような大風呂敷ではなく、地道な倫理の実践、福祉の実現、コミュニケーションへの希求によって果たされるのではないだろうか。
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