鏡の中の世界
◆鏡の国のアリス
大人になってから『不思議の国のアリス』を読むと、ふと気づくのがこの作品にこびりついた倦怠感だ。アリスは不思議の国でのドタバタ喜劇に対して、どことなく冷めた眼差しを向けることが多い。そもそも書き出しからして既にアリスは退屈している。
「アリスは姉さまと二人、土手の上に座ってばかり、何もすることがないので退屈しはじめていました。」
ラストは、姉さまがアリスの夢を追想しながら、
「そうやって、目を閉じてずっと座っておりますと、自分も不思議の国にいる気に半ばなるのですが、しかしもう一度目をあけるならすべてが退屈な現実に戻ってしまうだろうともわかっていましたーー」
幸いなことに、不思議の国は彼女たちの気晴らしになっていたようだ。数多の言語遊戯に彩られたこの物語はドライな活気に満ちている。
しかしながら、続篇の『鏡の国のアリス』ともなると事情はまた変わってくる。鏡の裏側へと潜り込んだアリスは、奇妙な世界を積極的に楽しんでいるように見える。けれど、その表情とコントラストをなすように、前作にはなかったセンチメンタリズムが忍び寄っている。かの有名なハンプティ・ダンプティは、アリスと別れた直後に転落して潰える。鏡の国のナイトたる白騎士はアリスに深い愛情を寄せ、最後には離別の哀愁を漂わせる。アリスが哀しむというより、アリスとの別れを哀しむといった態だね。
ここに、ルイス・キャロル自身の苦悩を読み込むことは容易だろう。アリスのモチーフがアリス・リドゥルという実在の少女であったことは知られているが、もともとキャロルは十二歳くらいまでの少女としか交友を持てない人間であり、いうなれば、いずれ成長してゆく少女との別れが宿命づけられた存在だった。事実、『不思議の国』から『鏡の国』に至るまでの過程で、アリス・リドゥルとの関係は断絶していたそうだ。それなのに巻末の跋詩にはアリス・リドゥルの名前が編み込まれているというのは、なんとも憂鬱な話だ。
とはいえここでは、キャロルの心情に迫るのではなく、彼が憂鬱を託した〈鏡〉のモチーフに焦点を当ててみよう。
◆怖ろしい鏡
鏡は恐怖の対象とされることが多い。
ボルヘスは短篇「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」の中で、鏡は、宇宙を増幅し、拡散させるから忌まわしい、と述べた。また、「覆われた鏡」の中でも次のように語っている。
「神や守護天使に向けられたわたしの執拗な祈りの一つは、鏡の夢をみないように、ということだった。今もよく覚えているが、わたしは不安な気持ちで鏡を見張っていたものだ。あるときは、鏡が現実の外へ出ることを恐れ、またあるときは、説明のつかない不幸な出来事のために歪んだわたしの顔が、そこに映っているのを見ることを恐れた。」
どうやら鏡による〈存在の増殖〉が問題のようだ。
増殖といえば、キャロルの同時代人であるジョルジュ・ロデンバッグも「鏡の友」という幻想小説をものしている。現実の生活に倦んだ男は、高価な鏡を次から次へと買い求め、居室の四方を大小の鏡で埋め尽くした結果、無限に連なる鏡の世界の中に透明な大都会を見つけた。そこではたった一人の姿が際限なく増殖し、いたるところで跳ね返り、絶えず新たな影法師を生み出し、数知れぬ大群衆となって犇めきあう。男は、いつしかそれが自分の姿だと認識できなくなる。彼は鏡の世界に入り込もうとし、頭蓋を砕いて倒れてしまう……。
存在の無限増殖を導くのは、合わせ鏡による入れ子構造だ。鏡の中の鏡。『鏡の国のアリス』にも入れ子構造が見つかる。アリスは、トゥイードルダムとトゥイードルディーから、きみは赤の王様が見ている夢に過ぎないと言われて泣き出す。しかし、赤の王様もまたアリスの夢に過ぎない。アリスは物語の結末で、次のように疑問に思う。
「夢を見たのはだれなのかしらね。むつかしいわ。……キングはわたしの夢に出てきたーーでもわたしもキングの夢に出ていた!」
そして作者が読者に問う。「きみはどっちだと思う?」
鏡による入れ子構造が、胡蝶の夢と響き合う。
◆東洋の鏡
さて、胡蝶の夢が出てきたところで、東洋に目を転じてみよう。ルイス・キャロルに先立つこと二百年前、十七世紀半ばの中国には、董若雨という天才作家がいた。彼は西遊記のパロディとして『西遊補』という作品を書いたが、これは孫悟空が鏡の世界へ冒険に出る物語だった。そのため邦訳は『鏡の国の孫悟空』とされている。さすがの孫悟空、近代西洋が憂鬱とともに受けとめた鏡の世界を物怖じもせずに横断していく。
あらすじは以下の通り。道端で居眠りを始めた三蔵法師らを置き去りにして托鉢に出た孫悟空が、青々世界というところにぶち当たる。それは小月王が支配する世界で、孫悟空が城壁を突き抜けて転がり込んだのは「万鏡楼」という建物だった。万鏡楼には多くの鏡が並んでいるが、実はそれぞれの鏡に一つの世界が内蔵されている。悟空は鏡面を通り抜けて、古人世界に入り込む。秦の始皇帝に会おうと考えたのだ(始皇帝は旅に有利な道具を持っているという噂)。しかし古人世界には始皇帝がおらず、悟空は何だかわからぬ間に虞美人に変身して項羽を嬲り者にする。項羽から、始皇帝は未来世界の向こう側の矇瞳世界にいるよと教えられた悟空は、底無し沼に飛び込んで無人世界を通過、未来世界へと至る。未来世界では鏡の世界らしく時間の流れが反転しているなど、悟空を驚かせるギミックが満載だが、それはそれとして、病没した閻魔大王に成り代わって南宋の姦臣・秦檜(悟空からみると未来の人物)を裁く。秦檜は石臼でひかれて百万匹のアリへと増殖した。熟考の末、始皇帝のことは諦めることとした孫悟空は、青々世界に戻り、その支配者である小月王と仲良くなる。成り行きで三蔵法師が青々世界の将軍に任命され戦に出るが、小月王ともどもあっさり首をはねられてしまう。各軍団色とりどりの軍旗が乱れて戦ううちに、旗同士の争いといった様相となる……。そこで、悟空は虚空蔵菩薩によって夢から呼び覚まされる。これまでの冒険は、鯖魚なる存在による幻惑だったようだ。鯖魚の精が悟空の心を惑わせたのだ。
この作品でも、上に挙げた増殖、入れ子構造といったモチーフは登場する。増殖については万鏡楼、秦檜のアリ、旗、といったモチーフの他、六十四卦宮(64×64×64の宮殿)などが登場する。入れ子構造については、鯖魚世界>青々世界>古人世界>無人世界>未来世界>矇瞳世界の関係が特徴的で、劇中劇も多用される。さて、ここまで盛大な枠を設けて、スラップスティックな冒険を繰り広げたこの作品が何を達成したかったのか。
勘の良い方ならお分かりかもしれない。それは、〈情〉の解体だ。青々世界、小月王、鯖魚、精。全て、情の文字と類縁関係にある。これをバラバラにしてやろうというモチベーションこそが、悟空を大冒険に駆り出したものの正体なのだ。明末のこの時代、文人たちには人間本来の情である〈真情〉が声高く賛美されていたという。董若雨は、この風潮から距離を取りたかったようだ。その方法として彼が選択したのは、直截に反対意見を述べることではなく、ただただ情の文字を分解してみせることだった。情から心を取り除いた青々世界で、情の文字からなる小月王を殺す。実体のない妖怪である鯖魚の精を菩薩の力をもって晴らす。しっちゃかめっちゃかな作品だが、よく見れば、言語遊戯を核とした厳格な秩序があることがわかる。
◆鏡の中の世界
『鏡の国のアリス』に忍び込んだ〈情〉と徹底的に対峙したときに成立するのが、『鏡の国の孫悟空』ともいえようか。
鏡の中に見出すものは、文化によって様々だろう。
日本人はやたらと銅鏡が好きだったことで知られている。大陸では銅鏡が日本向けの輸出品目として扱われていたくらいだ。三種の神器にも鏡が含まれているよね。
もちろん、個人によっても見解が異なるはずだ。
人間は、自分を見るために鏡を覗き込む。けれど、そこに映る世界は常に反転している。反転した世界でしか、自己とは出会えない。鏡は常にズレた表象を提供する。その事実が、文学を鏡の中の世界へと誘うのだろう。さて、鏡の中に見出されるのは、情か非情か。真か偽か。
きみはどっちだと思う?
◇参考文献
ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』(亜紀書房)
ホルヘ・ルイス・ボルヘス『伝奇集』『創造者』(岩波書店)
ジョルジュ・ロデンバック「鏡の友」『フランス幻想小説傑作集』(白水社)
董若雨『鏡の国の孫悟空』(平凡社)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます