三千年紀の軽さ

◆ライトなノベル

ライトノベルの名称の由来に大した意味などなかろうが、せっかく「ライト」と自称するからには〈軽さ〉の意義を探求したい。「軽い小説」と捉えられることに反感を持つ作家さんもいるという噂があるけれど(Wikipedia情報)、仮にそう思うのだとしたら、その人は〈軽さ〉の価値を知らないのだろう。


〈軽さ〉とは、あのイタロ・カルヴィーノがこの三千年紀において重視されるべき文学的課題だと論じているよ。そのことを少し確認してみよう。


◆重さからの離脱

軽さとは〈重さ〉からの離脱。人間の形象から、天体から、都市から、物語の構造と言語から、重さを取り除く試みをいう。

わたしたちの生活は困難に満ちている。生きることの避けがたい苦しさ。ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』とは、まさにその苦渋の確認でもあった。伝統的な文学の多くは〈重さ〉を十重二十重に認識させる。生存条件の辛さ、世界の理不尽さ、道徳の大切さなどを考えさせるのが物語の意義であるかのように。全体主義の時代には、プロパガンダこそが文学の役割だとされていた。それは政治の、つまりは人類の闘争と妥協の折衝を示す道具でもあったんだ。

しかし、カルヴィーノはいう。グロテスクな時代の諸相を書きあらわそうと努めるとき、世界は緩やかに石化してゆく。メデューサの眼差しに囚われたかのように。むしろ、我々にはペルセウスのような軽やかさが必要なのだ。

ペルセウスは風と雲の上に身を支えて、鏡にうつるイメージを通して〈重さ〉の権化たるメデューサを視る。そしてその首を切り落とすと、これを大切に抱えて仕舞いこみ、今度は自らの武器とする。メデューサの血からはペガサスが生まれ、これを乗りこなしたペルセウスは空を駆けまわる。彼は人類が重さに打ち克てることを示した〈軽さ〉の英雄だ。


◆軽さの表現

こうしてみると、〈軽さ〉とは〈重さ〉との対決であって、容易に達成できるものではなさそうだね。


「鳥のように軽くあらねばならぬ、羽根のようにではなく」


これはポール・ヴァレリーの箴言だよ。羽根のように重力に従うことが軽さを達成するわけではない。むしろ、鳥のように風を乗りこなすことが軽さを達成する。

これを受けてカルヴィーノは、曖昧さや偶然に身を委ねるのではなく、明確さや確定を目指すことが軽さに繋がるのだと指摘する。

具体的には、

(一)言葉の軽さを目指す。これによって意味は、重さを失ったかのように織りなされる言葉の流れの上を運ばれてゆき、ついには希薄になりながら、しかも堅固な存在感を帯びる。

(二)微細で知覚しがたい要素が作用している心理的な過程の叙述、あるいは高度な抽象化を伴う描写。

(三)象徴的な価値を帯びるような、軽さの表象的なイメージ。言葉の暗示力によって記憶に強く残りうる。


カルヴィーノは上記の一つひとつに例を挙げているから、気になる人は『アメリカ講義 新たな千年紀のための六つのメモ』を覗いてみて欲しい。

キツネは横着して、この三つを一挙に達成した例を上げよう。

紀貫之の和歌だ。


袖ひちて むすびし水の こほれるを 春立つけふの 風やとくらむ


夏、涼をとるために袖をひたして掬った水が、冬には凍っていた。それを立春の今日の暖かい風が溶かしているだろうか。


ほんの僅かな三十一音において、夏から冬、そして春へと季節が巡っていく。夏に袖をひたした水と、冬に凍っていた水は事実としては異なるものだろう。しかし、想像の中では一体となる。記憶のうちにしか存在しない風景は、軽やかな言葉の羅列の中でありありと浮かんでくるが、最後の「らむ」は眼前にないものへの推量を示すので、現在の、氷が解ける風景でさえ想像の産物だということだ。「とく」は袖、むすび、たつ(裁つ)という言葉と呼応して「帯を解く」というような服飾のイメージと重なり合う。そして「むすぶ」「こほる」が緊密な結合を暗示し、「たつ」「とく」がそこからの解放を示唆する。まさに〈重さ〉からの離脱が明確な言葉の働きによって想像の中で展開してゆく。そうして得られるのは、春の穏やかさ。


◆今日の文学

詩的な響きをもつライトノベルは数多い。その文学的祖先が意外に古いものだということはお分かりいただけただろうか。そしてその文学的達成は、まさに〈軽さ〉そのものなんだね。

読みやすさを心掛けている作家は多い。それは明確さを志向することに他ならない。また、ファンタジーを構想している作家は多い。それは日常生活の重みから遊離しようとする試みに他ならない。我々がどれほど軽やかでいられるか。その答えは、こうした挑戦とともにある。

キツネは、百年後、五百年後に残る作品は必ずしも〈純文学〉ではないと思っている。18-19世紀の近代小説が主に有閑階級の娯楽として親しまれたものだったということを想起しよう。現代の文化の担い手は有閑階級ではなく我々だ。ライトノベルがどれほどの〈軽さ〉を実現できるのか。

見てみようじゃないか。

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