チェーホフの喜劇?

◆ご挨拶

こんにちわ、だいなしキツネです。

今日は4月前半の読書を紹介していくよ。


◆4月前半の読書

チェーホフ(浦雅春訳)『桜の園/プロポーズ/熊』

ソフィ・ラフイット『チェーホフ自身によるチェーホフ』

佐藤清郎『チェーホフ劇の世界』

沼野充義『チェーホフ 七分の絶望と三分の希望』

アマルティア・セン他『功利主義をのりこえて』

池田浩士『ボランティアとファシズム』

ジュリア・ショウ『悪について誰もが知るべき10の事実』

ジュリア・ジェインズ『神々の沈黙』

ミリアム・B・ハンセン『映画と経験』

マウロ・カルボーネ『イマージュの肉』


冊数が少ないのは、カクヨムでたくさんの作家さんとの出会いがあったからだね。自分でも意外なほどカクヨムライフを満喫しているよ。4月前半だけで300万文字読んだみたい。キツネの読書は概ね海外文学と古典文学を中心としていたのだけれど、Web小説において思いがけず現在の最先端の小説に触れる機会ができたんだ。商業作品には見られない自由な世界観の表現が多くて豊かな気持ちになるよ。


◆チェーホフの喜劇?

現在キツネはチェーホフ『桜の園』の解説動画をつくるために、チェーホフの評伝を読み漁っているよ。チェーホフは人間存在に対するニヒリズムと暖かな眼差しが同居しているのが特徴だ。人間は脆く儚い存在で、だからこそ愛しくもあるんだね。『桜の園』は悲劇的な結末を迎えるのだけれど、副題には「喜劇」と銘打ってある。この意味をどう捉えるかは、初演のときから議論の的だった。キツネしても、主題の面から喜劇と捉えるか(『桜の園』には独自の目的の達成が描かれていると考えるべきか)、形式の面から喜劇と捉えるか(コメディ作品特有の演技とリズムを指定しているのか)を迷っていたのだけど、沼野充義は、当時のロシアでは近代演劇特有の「喜劇(勝利劇)」観は共有されておらず、むしろ古代ギリシャの「喜劇(風刺劇)」観が念頭にあったであろうこと、チェーホフはこの作品を軽やかなリズムで上演することを求めていたことを指摘しているよ。

なるほどなるほど。それでもキツネとしては、やはりチェーホフの喜劇には古代ギリシャの喜劇や単なるドタバタ劇とは同視できない側面があると感じるよ。何が違うか? チェーホフの喜劇において人は何らかの意味で〈前進〉しているんだ。ただそれが、人間の確たる意志に基づくものではなく、やむにやまれぬ事情によって〈押し出されている〉ように見えるのが特徴だね。この〈前進=押し出されている〉ことの意味をどう受けとめるのかが問題となりそうだ。

『桜の園』は近代演劇の傑作中の傑作だよ。いずれ「だいなしキツネ」本篇で解説するから楽しみにしてくれると嬉しいな。


◆イマージュの肉

『イマージュの肉』は、メルロ=ポンティ後期哲学のキータームである〈肉〉の意味を問うものだよ。伊藤亜紗『手の倫理』に関する原稿を書き終えた後に、「メルロ=ポンティも身体の議論を展開していたよなぁ」と思って手に取ったんだ。メルロ=ポンティ後期哲学は迷路のような表現が多用されているから、導きの糸として本書はとても役に立った。これを手引きにメルロ=ポンティ『見えるものと見えないもの』に関する解説も執筆しようと思うよ。

『イマージュの肉』と『映画と経験』を並べて読むと、現代の新しい存在論としての〈映画的存在論〉というものが立ち上がる。このことは、日を改めて触れることとしよう。


それでは今日のお喋りはここまで。

また会いに来てね!

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