Causò-17:忘却ゆえ(あるいは、階層区切り転がるは/オブリオあるいは/エンブリオ)

「あは、あっるぇ~アナタも急激に変わったねぇ~、アタシらとは違うみたいなこと言ってたけど、根本変わらないんじゃあないのぉ~?」


 この変わりよう。やはり複数の人格か? 私が先ほど感じていた違和感は「これ」ということで……


 いいのか?


 眼前にこれほど明らかに晒された事象に、それでも納得がしっくりいっていないのは、猜疑心が強過ぎるゆえだろうか。それともこの者に、少なからず感情を揺らされたために生じた、単なる思考の偏りに過ぎないのか?


 いや、もうそこに引っかかっている場合ではない。「急激な変化」。それを見せたということは。もう何のかのと、策を張り巡らせる局面は終わったということだ。破られた、のだろう。私の技が。奴は的確にこちらの居場所を掴んでいた。発現させていたデコイの方へ、敢えて攻撃を仕掛けていると思わせながらも。だが解せなかったのは、その素振りだ。そういった「騙り」が身体の挙動に及ぼすほんのわずかな影響を、私は色氣の流れで読み取ることが出来る。そういった「嘘」は私の前では筒抜けになる。はずだった、が。


 振り返りみても、奴の挙動は「素」のものだった。ゆえに私は気配を消したままの奇襲が成ると計算に間合いを詰めた。だが。


 あっさり読まれていた。「読まれていることを読み取れなかった」。そんなことは初めてだ。果たして明かされし変貌した「人格」。これがその正答であったと。実際にそのような事が出来るかは分からぬが、同時にふたつの人格、ふたつの思考を顕在させることが出来る……? 聞いたことは無かったが、そうであれば確かに腑に落ちなくも無い。が。


 拭えない。嫌な予感が。兄者……


 いや「通信」は待て。例の棒娘ボゥムスめによる、このうなじに刺されし「針」を介して、我らが口中で発せし「音声」は色氣のさざなみと成りて遠く離れし場所に届けることが出来る。それを棒切れは「通信」と称していたが、この能力の有用性を最大限活用するのならば下手に未確定の情報を送ることは避けたい。混乱させることになるからだ。兄者も、他の者たちも今まさに敵方の「六将」たちと相まみえているはずであろうから。


 この荒唐無稽に過ぎる単騎駆け掛けることの五つ。成しえるのはこの色氣による「潜伏術」の種が割れるまでと見込むべし。ゆえの同時なる「奇襲」を選んだのではないか。


 最も危険なる「孔を増設出来うる施術者」、それが六人まで絞れたのであれば、仕掛けを打つべきは今しかないと兄者は言われた。施術者さえツブせれば、そこまでは無理としても、その正体を掴めればそれで良しとまで。普段あれほど押し殺している感情を、隠し切れずに噴き出させている兄者を初めて感じた。同じ施術者としての同族嫌悪? さなるものでは断じて無い。


 憂いておられるのだ。私には分かる。幼少のみぎりよりその御側で見て来た、感じて来た私には分かる。


――ははうえ、そのコだれでございまするか。


 十五年以上は昔のこととなる。大陸西南部、最激戦地漠栖墨バクスミー要塞での戦い。半年もの長きに渡る遠征より帰られた母上は、何故かは分からなかったが、ひとりの男の子供を背に帯で縛り付けておられた。屋敷の間口に立たれたその御姿は装束も白き御肌も土なのか煤なのかでくすみ切っておられ、それが戦さの激しさを物語るようであり。しかして春の陽光を背に幼子を背負いたその姿はどこか神々しくさえあり。そして憔悴しきった御顔にそれでもいつものあの柔らかなる微笑を湛えながらおっしゃられたのだ。


――この子は今日より我が亜聡南アザトイナ家の者です、あなたの……そうね、兄上よ、ユニシア。


 その日より、「ユーシオン」と名付けられたその男児は、実の娘である私と変わらぬほどの母上からの愛情を注がれ育っていった。一年が経ち、二年が経つうちに、急速に、男のくせに、母上の才を引き継いだはずの私よりも色氣は強く、自在に使いこなすことが出来ていた。特に獣の傷を癒したり、草木の生長を健やかにしたるといったことが得意であった。世が世なら、本人がことあるごとに言っていた「動物のお医者さん」になっていたはず。乱世は個々人の人生も軽く歪ませ狂わせる。


 大陸の「中央」、今も続く大国同士の小競り合いに駆り出されるかたちで、我が宇端田の自警……当時は「自警隊」と呼ばれていたまあ体の良い軍隊は何度も派兵されており、我が母は数千単位の軍の指揮を執る将として一年の半分以上は留守にされていた。


 その間、兄者と私はいつも一緒だった。


 初めは馴染めなかった。というよりは露骨に毛嫌いしていた。物心はとっくについていたので、何で他所のコがうちに、自分の大好きな母上を取られてしまう、といったような幼心には当然たる感情をいつもじくじくと抱いていた。その時より既に始まっていた色氣の修行のきつさも、そのやり場の無き感情を後押しするように。


 ある時、相対訓練の際に、故意に危険な術式を冷徹にも相手の隙を見計らった角度から放った。右脇腹を抉った鈍い傷跡は、今も兄者の身体に残されている。今や他の傷がその上から網の目のように覆ってしまっているが、私には見つけられる。


 その時の幼き兄者の顔も、私の脳裡には残されている。黒い樹液のようなものを溜め込んだような、虚ろながら哀しげな目だった。きっと分かっていた。それでもうずくまって泣き真似をしながら手指の隙間から覗き見ていた私を責めることは無かった。ユニシアの踏み込みは鋭いね、油断したよ、との優しげなる言葉を、真っ青になった唇から発して。


 それが余裕に感じられてますます嫌いになった。さらにはあろうことか、母上はそのどこのモノかも分からぬ他人の子供に、男に、自らも継いできた誇り高き「アザ」の字を冠す元服名をお与えになられたのだった。


 男のくせに色氣使いに、ましてやこの家で私を押しのけてまで家長となろうとする奴を、今度こそ完膚なきまでに懲らしめてやらなくてはならない。しかして怖ろしく勘の鋭い兄者は、稽古中でもあるいは近場の山林に出かけた時にも、偶然を装い発した私のそんな昏い情動が込められた色氣をも、軽く受け止めて見せた。まともにやっては無理だ。であれば。


 当時の私の最大、「海蒼かいそうⅣ式よんしき芽流華織メルカゾール」。はっきり危険な代物である。少なくとも屋内で使用して良い技では無い。しかし当時の私は己の色氣の操縦に根拠なき自信を漲らせていた。極限まで圧縮するように、色氣の束を編み込むように発現させれば、一点で炸裂させること、それは可能だと。そしてそれをあの憎らしい奴の間近で誤って発動させたのならば。事故で済まされる、はずだ。何より色氣のみが斟酌される御時世。咎となることは無い。そこまでを計算していたかは最早思い出せぬが、明確な「排除」の思考はあった。そして実際に実行に移した。


 きっと兄者には分かっていたのだろう。自分に向けられた醜い感情の全てを。だから甘んじめて受け止めた。「喰らった」のでは無い、自分が受け止めなければ、同じ空間、道場内にいる師範代と十数人からの子供らが巻き込まれ、おそらく良くて重傷、最悪は死であろうということも瞬時に判断して。私は愚かだった。


 自らの「孔」を、常ならば「放出」することのみに使用していたそれらを、逆転させた。至近距離で暴発させたる「Ⅳ式」の、奔放たる威力の全てを自らの内に流し込まんとせんばかりに。実際にそれが成るとは考えては無かったそうだ。それでもやった。そして体内で荒れ狂う私の色氣をうまくいなし巡らせて。下手しても下手しなくても普通であれば身体の各所から弾き飛んで死するような奔流を何とか押し留めた。が、


 それが原因だったのだろうか。


 兄者の溢れんばかりだった色氣は、突如として発現しなくなった。「弁が逆転した」と誰かが言っていた。私は責められることは無かったが、その日から固形物が喉を通らなくなった。無理やり食べても戻してしまう。色氣もまともに練れなくなった。初めはその哀れな兄妹をいたわってくれていた周りの者たちも、それが完治ならぬものと分かるにつれ、ある者は去り、ある者からは憎しみをぶつけられた。


 色氣だけが物を言う時世……今までの恩恵が反転して跳ね返ってきた。隆盛を誇っていた我が亜聡南の家も、あっけなく道を閉ざされた。母上だけが気を吐いて武勲を積み重ねていったものの、徐々にそれも疎まれる類いのものとなっていったと、後に聞いた。そして数年ののち、大陸の何処かで戦死したとの一報が素っ気ない紙片により告げられたのみであった。遺体も遺品も、何ひとつとして還っては来なかった。


 遂に屋敷を追い出される事となった兄者と私は、僅かな金だけを握らされたものの何を売ってくれる所も無く、街をはずれの冬枯れの山林を当てどなく歩き続けることしか出来なかった。


 死に場所を探していたのだと思う。どちらも。勿論交わす言葉も既に無かったが。


 栄養失調で最早排泄もまともに出来なく朽木のごとくひび割れた肌となっていた棒切れのような私と、意味も無く、心無くぶつけられる周囲の人間たちの色氣を払ううちに、排出すること叶わずに、身体の中へその澱のような色氣を堆積させることしか出来ずに、むくんだ血の気の悪い顔で常に呼吸が浅く速くなっていた兄者と。


 歩けなくなったのは小高い丘の中ほどであったか。大きな樹が立ち枯れていた。その根元に抱かれるように、兄者と私は座り込み、身を寄せ合った。初めて感じた互いの肌のぬくもり。それが愛おしくも感じられ、同時に何か得も言われぬ感覚も肌の表面を流れていくようであった。


 首元に圧を感じた。兄者の震える両の手が、かさついた私の喉を包んでいるのであった。殺してくれるのか、と思った。いつか自分を殺そうとした私を、今度は殺してくれるのかと。何故か安心した。その黒い油を満たしたかのような瞳にも、何か安堵を覚えさせられた。死の淵で感じた掌の感触は温かく、兄者のこの期に及んで切羽詰まったかのような性急なる呼気は甘く感じた。


 その後に起こった事を、私は生涯忘れないだろう。


 右掌の孔、二十四の「孔」。喉笛の孔、九の「孔」。図らずも触れ合ったそのふたつが、


 引き合った。吸い付いて繋がった。刹那、色氣がそこを通して流れ込んできた。清浄なる、しろがねの如き色に感じられた。粉雪のごたるその清流は、私の身体の中を縦横無尽に駆け巡った。澱み煮こごるように身体の内にも外にもこびりついていた汚泥のような諸々が、逐一丁寧に剥がされていくかのようだった。


 脳にも、内臓にも、火照るような熱。忘れていた呼吸を再び始めてみれば、冷気を孕んだ周囲の空気すら、腹を満たし、くちくしていくかのようであった。目の前の兄者の双眸は、驚き固まっていたものの、その下の口許は綻んでいた。むくんでいた顔はすっと引き締まり、初めて見せてくれた自然なる柔らかな笑みは、清浄に包まれていた私の胸のどこかを、何故か苦しくさせた。


 どちらからともなく手を伸ばし、繋がる場所を貪るように探した。身体を合わせ擦り付けながら、いつしか私は喉の奥から声を上げて空の闇に向けて吠えていた。どんな感情なのかは定かでは無かった。いや、どんな感情でも無かったのかも知れなかった。もっと根源的な何かに刺し貫かれながら、私たちは身体でも心でも無いどこか奥底でひとつになった。


 雪が強さを増して来ていた。

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