Causò-15:邂逅ゆえ(あるいは、漆黒の海/月世界系/イルジィオーコ)

 諸々ありし、もろモロたるアザトラとリアルダの邂逅よりさらにひと月余り。戦局はまたしても転換点を迎えておりました。危惧された通り、真衣座側の攻勢が始まったのであります。そしてその中心となりしは、やはりあの「六名」、なのでございました。


 尋常ならざる業にて、砦を囲みし数千にのぼる敵方の兵たちを小半刻余りにて全て屠ったなど。河を挟んでの両軍睨み合いの最中、ふわり中洲に降り立ったひとりの少女から放たれた閃光にて河岸が埋まるほどの死体のつづれ織りが瞬で出来たなど。


 にわかには信じ難き光景も、怖ろしきは慣れというものでありまして、そのうちに常態となり、敵味方共に受け入れるようになっていた、まであるのでございました。そしてその異常なる戦乱の只中において、ひときわ大きな徒花が咲くのでありまする。


 ――戦線よりほど近き真衣座領、その南南東。難攻不落と謳われし剃鏝埠ソル・コーテフ要塞……最重要拠点であるそこへ、


 今宵、夜砥ぐはアザトラか、それとも……? さてもさても――


――


 ……つまらぬ。


 のは、私か、それとも世か。わからぬ。だが、


 結局は何も変わらぬのだと、思う。他ならぬ自分自身が変わったとて、それはそうなのであろう。数か月前より突如始まった「選抜」の場にて……しがない某娘ボームスがひとりに過ぎなかった自分が、抜擢された。


 己の底に眠る色氣の才を見出されて。


 あり得ぬことだと、にわかには信じ難かった。幼少の時分より周りの少女の誰よりも出力は乏しく、持続もしなかった。「おとこ女」と蔑まれ、色氣の込められた礫をぶつけられ、幾人かに身体を押さえつけられ、ささくれだった木の枝を股間にねじ込まれたこともあった。親姉妹からも見放され、男に混じって汚れ仕事をする他は口に糊する道も無かった。周りで見る、煌びやかな制服を身に着けて奔嬢ヴァズレィとしての修行を納め、立身出世の道を駆け上がる同世代の娘たちを見ては、自分とは関わりの無い世界の出来事だと、虚ろな目で流し見る他は無かった。そんな人生がこのまま途切れもせずずるずると続くのだろうと半ば当然の如くに受け入れていた、そんな時であった。


――キミは、変わった「孔」の形状を持っている。色氣が無いんじゃあない。流し方を知らないだけさ。そして流れ方が特殊ゆえ、一点で交差し留まっているだけに過ぎない。「孔」を足すんだ。ボクが業を施せば、劇的に変わる才を持っている……来るといい。キミのような人を待っていた。


 鼓膜から直に、脳の奥底を揺さぶるかのような、甘く震える声だった。訳も分からず突っ立ったままの自分に、それは掛けられたのだと一拍遅れで気づいた。水仕事で荒れた指先の常にひりつく痛みも、粗末な服の繊維を突き抜けてくる寒気も、その声に揺らされている瞬間だけは感じなくなっていた。


――頭で考えても、身体で感じてもいいんだ。それはどちらも同じことだから。大事なのは、キミが、キミという器が進みたい方向へ、転がりたい方向へと枷無く迷いなく向かうことなんだ。


 あのヒトの言葉は、いつも、今でも、私の頭の中をも、皮膚のどこをも震わせる。


 自分の思うがままに……よく分からなかった。いつも思考にも行動にも枷が嵌まっていたから。周りに不必要に干渉しないように、干渉されないように……そんな風に生きてきたから。


 初めての戦場に立って、いや放り込まれて、迫る兵らの槍の穂先の鈍い光沢を見て、絶え間なく撃ち込まれてくる色氣の力による炎や衝撃を肌で感じて。無我夢中で放ったそれは眼前に広がる全てを引き裂いた。今まで自分を雁字搦めにしてきた諸々の「外界」に、初めて「干渉」した瞬間だった。


 快感というものを覚えた。まったくの知らない世界が広がっていた。その日から自分を包み絡みついていた「世界」は様相を一変させた。貧農の身から一国を担う将へと。これほどまでの立身出世は他に無いであろう。初めは息をするのも忘れるくらいの戸惑いと、間断の無き眩暈のような世界のめまぐるしさに圧倒され、自分が何処にいるのか、何をしているのかも分からなかった。それでも昂揚感というものが、新たに自身に開けられた「孔」を巡りくる色氣の波動と共に、全身を流れ狂っていた。


 が、自分にも意外なる事であったが、その昂揚もすぐに冷めていった。いや、頭の一部は冷え固まっていったものの、身体の方は如何ともしがたく、夜な夜な疼きを呈した。


――人間の「左腕」をもぎ取りたい。


 何故かは分からなかった。ただそちら側のそれで無ければ自らの内に荒れ狂うものを納めることは出来なかった。ゆえに、いだ。生かしたまま、殺しざま。とにかくそこからそれを外さなければという焦燥感に似た何かが身体を巡っていた。押さえつけると誰彼構わず引き抜いてしまいそうであったから。


 戦場を駆けた。最前を。指揮など執っている余裕など無かった。左腕を。左腕を取り外さなくてはならない。


 いつしか自分は、「左腕ゆんで外し」のツィミーグと呼ばれ恐れられていった。今も思うが、自分は将たる器では無論ない。それでもその殺傷能力を買われ、そしてあのヒトの意のままに今に至る。


「……どこから入った? 女鼠が一匹」


 石造りの主館の内に、作った自分の低音は思ったよりも響いた。西側に穿たれた細く長い窓のひとつ。人ひとりが身体を横にして通れるか通れないかの薄い隙間に、月光の霞みと共に、いつの間にか人影が現れていたのであった。動揺したというよりは呆れた。警備はどうなっている? 身ひとつで乗り込んできてどうする? しかもこの私の元へ?


「……どこからでも」


 落ち着いた、冷たき声。しかしてどこか人を食った……小馬鹿にしたかのような響きを含みし……つまりは癇に障る声だった。しなやかな長身にその身体の線を浮き彫りにさせるような黒き装束を付けている。頭部を覆うように巻き付けられている布の色も漆黒。なるほど闇に乗じて? いや、例え目には映らねど、色氣の流れで人の気配など肌で感じられる。


 いや、違う。静かなる闖入者が窓枠から片足を宙に出したと思った瞬間には、この「王の間」の逆側の壁付近までその姿は移動している。何だ?


「……どこへでも」


 紡がれてくるのは、やはり温度は無いながら、こちらをイラつかせてくるばかりの声である。自分と同じくらいの齢であろう。だがこの抜けた感情はどこか老成さを感じさせてくる。と思うや、その者の全身を包んでいた黒き布と思っていたものが、周囲の空間に溶け込むようにして消え失せていく。その下から現れたるは、やはり若き女と思しき者の姿であったが。


「……」


 ぞんざいに縛り固められた黒髪の下より覗く整った顔には、切れ長の瞳には、やはり感情のひとかけらも感じられない。それよりはよっぽど雄弁に物語りそうな、本体が静止した状態でなおその鼓動に共振しているとでも言うのか、ぴんと張りつめられていながらも微細に振動を続けているふたつの球体が、そんな仮面の如き顔面の下部に鎮座している。そして本人が纏う凪いだ空気とは真逆に、その胴部に着けているものは、きめ細やかな白い柔肌を強調するかのような、深い緑色の装束……と言っていいものなのか分からぬが、円をふたつ繋げたかのような形状を呈する弾力性のありそうな物体が、双球の前部を申し訳程度に包むと言うかは寄せて上げるかのように貼り付いており、また同じような形状のものが、申し訳程度に股間の間を通すかのようにこれまた貼られ渡されているように在るだけなのであった。さらには何故か両耳にも同等のものが後頭部を通る形であてがわれており、計三つの吸着物体の他には、同色の膝まである革長靴および指先から肘まで覆う革手袋と、何故か中枢部分だけが露わになった奇妙な格好をしている。


「脳がやられているのか? 痴れ切り過ぎたるザマと見受けられるが」


 言わでもの言葉を放ったのは、気圧されているからであろうか。この場に居るということだけで異状であるというのに、さらに重ねるかのような異常……


「色氣の何たるかを知り得ていれば、そのようなる言葉は出ないと思われますな。然るにそなたは施術により新たな色氣の力を得た……『空紅くうごう』の何とか様かな」


 しかして鼻から吐息を抜くかのような力無き声は、こちらの喉元に鋭く突きつけられてくるが如くであった。確かに。生来正常と思っていた諸々は、全てこの短き期間のうちで果敢なくも打ち砕かれた。色氣の力は術者の精神がまともで無いほどに奔放なる牙を剥く。他ならぬ「左腕」の自分がそうではないか。まだ自分は深くは理解及んでいないと、身体の芯まで根付いていないと、そういうことなのか。


「……そして、『施術』をされた側、つまりはハズレ」


 侮蔑。久しぶりの感覚。私の前でそのようなのたまいをした者など、左腕だけを遺して細切れにしてきた。いつしかさなる命知らずなど、周りには居なくなっていた。であればまごうことなき敵……まあ今の今までの全てのことは、最早どうでも良きこと。


 散らすのみ。


 玉座にしなだれかかっていた姿勢だったが、そのままで左腕を伸ばす。刹那、迸り出て来た朱色の色氣が周囲の空気を抱き込むと、指向性のある「風」を作り出す。中空を滑るようにして放たれる幾筋もの刃。それが目の前で力みなく佇む女に向かう。その、美しき左腕だけは避けし軌道にて。


 だが、


「……案の定、こちらは空振り。兄者いかがいたしま……おい、棒切れ、きちと声を送れ」


 軽く身体が傾いだかと見えたその瞬間には、またしても感知できぬ動きにてその細き面妖なる格好の肢体は、窓の側の壁際まで移動している。何故見えない? これも色氣の力に因るものと、そういうことなのか? こちらの驚愕も尻目に、何やらわけの分からぬ言葉を呟いているが、何者かと話している? 何もかもが判然としない。ならば、


「何奴かは知らぬが、生きては帰さぬ。いや、この場で刻み散れ」


 解せぬままであったが、それもそれでどうでも良い。そしてちょうど良い。ちょうど……「左腕」が枯渇していたところだ。


「あまり深入りするなと言われましたが、元よりただで帰るつもりもありませぬ。何とあれば貴重なる『情報代』として、この左腕、ご所望であれば差し上げまする」


 しかしてこの物言い。こちらの事をどこまで知っているというのだ。「情報」? 情報だと? それがいったい……


「……ッ!!」


 逡巡の間は瞬きひとつに満たなかったであろう。が、ゆらり動いた白き身体を見失っている。次の瞬間、色氣の流れ、それに依りて居場所を探ろうとしたはその使い手にとって至極自然なる手段であったものの、


「……無論、出来れば、の話にてございますれば」


 目の前に居ると色氣は伝えてくるものの、それでも尚、その姿、その気配、その色氣の全てはおぼろなのであった。挑発的に突き出されし左腕。その美しく長い白肌。至近距離にてかぐわしく香ってくる花の如き匂いは確かに知覚出来ているものの、それもまた掴みどころなく、意識の隙間を擦り抜けるように霧散していくのであった。


「聞いておこう、こちらの事ばかり知られているままでは座りが悪い。名は」


 再びの瞬きの間にまた距離を取っていた相手に向け、問う。


「……亜聡南アザトイナ=ジセレカ。ジメン=シー・ツィミーグ殿、いざ尋常に」


 平坦な感じで出されし名前は、なるほど。であれば「情報」はこちらにもある。


 玉座から立ち上がり、亜麻色の髪をかき上げつつジメンシーは、相変わらずやる気は見られずに立ち尽くす女……ジセレカと対峙する。

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