Causò-14:高潔ゆえ(あるいは、妖しきは空/燐でありし/阿頼耶識ピストーネ)

「して、そろそろ『本題』とやらに入ってもよろしいのではございませんでしょうか」


 十二ジョゥンほどの広間である。使い込んだ飴色の長方形の座卓を囲んで一堂に会したるは、家人三名と客分が二人。各々の前には陶器の質素ながら精緻なる造りの盃の如き器が置かれ、なみなみと注がれし透明な液体が静かに波打っている。


 切り出したジセレカだったが、そもそも将たるリアルダがわざわざ逗留中の兄を訪れた理由が解せないままでいる。先ほど風呂から連れだって帰ってきたかと思えば、鷹揚な光を湛えながらもあれほど鋭く尖っていた鳶色の右瞳は焦点が合っていないのでは無いかと訝しむほどに潤み切っており、唇は半開きのまま、湯あたりでもしたか足取りも覚束ないようで傍らの兄の右腕にぶら下がるようにしなだれかかっていた。


「……」


 兄に問うたものの、湯あたりだの一言で済まされたのだが即応に過ぎて逆にそうでは無いと語っているかのようであった。あの二人は怪しい。「施術後の定期診断」などとのたまってミルセラに布団を一組だけ用意させ客間に二人で引っ込もうとしていたところを何とか押し留め、地場の酒でも一献傾けつつ御用向きを伺いましょうぞと詰め寄りて、ようようこの応接の間に引きずり出して来たのが先ほど。既に深夜も深夜で更け込みきっているものの、大義名分を翳されては流石にと思ったのか、幾分しゃんとした顔に戻りてリアルダは卓の上座についたのであった。しかしその顔は妙に艶々しており、得も言われぬ微笑が浮かんでいるように見受けられる。


「真衣座の側でも、『孔』の秘儀を用いし者がおる、とそのようなわけでありますな」


 その左隣で盃を傾けながら、こちらは平時よりあまり変わらぬ涼しげなる顔にてアザトラはのたまう。が、どことなく白々しさも漂う。かくなる上は朝まで引き延ばしてぐどぐどの内にお開きとさせてもらうわ、との強き決意を肚に秘め、ジセレカは控えた小坊主にどんどん酌をせいと膝頭を小突くのであったが……


「左様。それもそなたの施せし者よりも苛烈と申したらよいか、色氣の流量が我らよりも遥かに多く、流速も遥かに疾くといった感じであった」


 持ち直したリアルダの言葉に、何とは無く思い当たるふしはあった。「狂気」。そう形容する他の無い色氣使いの手により、こちらの手練れが幾人も屠られた。それも同日に離れた場所にて。そのような報告を聞いていた。


「……それは各々が持ちし色氣の多寡に因るものでは無い、とおっしゃられるのですな」


 異質な感じ。兄はそう述べていた。自分の施術とは根本的に異なるところがあると察したのであろう。嫌な……予感がする。果たして相対したリアルダは盃を干しながら頷く。


「『孔』が通常の色氣使いよりも、『多い』というような、と言ったらよいか……いや、私も遠目に窺っただけゆえ、正確では無いとは思うが」


 歯切れの悪き言葉に、それはそう考えることに逡巡しているのでは? との考えがジセレカの脳裡に浮かぶよりも早く、


「人為的に『孔』を開ける……その試みはそれがし、少し試したことがありまする」


 瞳にまた昏き影を落としたアザトラの言葉が、卓の上に所在無さげに漂った。一瞬の沈黙。それを取り繕うかのように、下座にちょこんと正座していたミルセラが無邪気さをも感じさせる穢れなき笑顔にて補う言葉を放つ。


「あ、でもそんな危険な感じじゃなくて、色氣を帯びると微細振動を起こす不思議棒を普段使わない穴に挿し込んでみたりとか、痛みを催さないほどに微細な針を過敏なところに打ち込んだりとか、そういう試行ですよ?」


 またも口に含みし酒を霧状に卓に吹かせられるリアルダであったが、では「危険」な方法を試したとしたら? との自問に似た思考がよぎる。いやそれじゃあ無くてだな、と一応妹の言葉を訂正しつつも、


「それがし自身、塞ぎ切ってしまった我が『孔』を『物理的に』抉り開いてやろうと思い、熟練の色氣使いたちの業を何度も限界まで喰らってみたことがあり申す。結局はそれらを『吸い込む孔』という結果にはなったのでありますが……それによりて『逆止弁』なる『改造』は成しえたと。であれば何か別のやり方にて『孔の増設』が成る方法もあると見ておりまする。そして流れを変えることによって……流量流速のみならず、『出処』『形状』をも変わるはずとも。すなわち常識やら型が、より通用しないこととなる……」


 つらつらと続けられしアザトラの言葉には「想定内」であったとの含みを、どうしても感じてしまうのであった。つまりは「少し試した」に留まらず、行き着く先に「それ」を見ていたふしがある。


「『開眼孔アストーマ』でさえ、出力などを微細に調整しなければ、軽く指くらいは持っていかれるほどの反動だ……今は敢えて『杖』を用いて『力点』をずらしたりもしている。それでも負傷は絶えないと言われておるのだ。その上『射出口』が増えるなどとは……とても並みの色氣使いが扱える代物とは思えぬ」


 この方をしてそこまで言わしめるのであれば、そうなのだろう、とアザトラは思う。実際この一年余りの間に実に百人ほどの色氣使いに「開眼」を施して来たが、力の操縦がうまくいかずして暴走し重度の傷を負ったり、さらにはそれが因で死に至った者も幾人かいた。名誉の戦死などと誉めそやされていたものの、実質自分が殺したようなものだ、との忸怩たる思いも抱いていた。


 ましてや、無理やりに「孔」を増やすなどと。


 理屈では判らんでも無い。しかし長年の進化の果ての「九十六の孔」という結論なのであれば。それが今の人間の最適なのではないだろうか。自分が言えた義理では無いものの、さなる不自然極まる「改造」を施した色氣使いを、戦さの道具としてだけに量産する……


 うまく言葉には表すこと叶わぬが、正体不明の憤りを感じた。同族嫌悪という奴か。否、俺は。


「……その、首謀は何処に」


 諸々をすっ飛ばしての言葉が口をついて出ていた。が、それを受けてのリアルダの顔に、得も言われぬ覇気の如きものが纏われていく。やはり、俺を導くのだ、この御方は。


「コタロー、仔細に説明せよ」


 豪気な微笑を浮かべながら、傍らの乱波少女を促す。と、ちびちびと盃を舐めるようにして嗜んでいたその少女のごたる外見のコタローは即座にその場に直ると、薄き懐より一枚の「紙」を取り出だすのであった。そのままやや黄味がかりしその紙を卓に広げる。が、そこには何も記されているということは無く、ただただ繊維のうねりだけが目に付くばかりであった。それでも委細構わぬといった風情にて、紙片の角を丁寧に卓の角に合わせると、おもむろに膝立ちになりし少女。そして、


「かなる秘術は我が猛流タケルダ一党の秘中の秘にて。口外されること無きよう」


 居丈高な物言いだが、それだけ自負があるのであろう。有無を言わせぬ鋭き口調で言い放つと瞬間、その黒の短衣に包まれし棒のごたる細き身体に、深い蒼色の色氣が静かにしかして峻烈に迸り出てくるのであった。この者も……相当の手練れ、とアザトラをしてそう思わせるほどの。そして、


「強烈に過ぎる色氣は……その発生源まで遡ることも容易とさせまする……そして各地に散っておる我が一党のそれぞれは、全く同一の色氣の波長を常に細く、呼吸が如く不随意に放つことが出来ますれば、それを繋ぐことで、遠方に居ながらにして、離れしさなる者たちの居場所をある程度探ることが可能……」


 さらには我らが諜報術に依りて「術」を施されし者どもの情報も既に掴んでおりますゆえ、それら全ての物々を一望にこの面紙に映し出したるがこれなる「霊人羅レビトラ」の極意なれば……と非常に流暢に言の葉を紡いでいく。その眼差しは静けき水面の如く曇りなく凪いでいるのであった。


 なるほど、と少女の集中しつつも淡々と説明を続けるその言葉に嘆息するアザトラ。そのような使い道もあるのか。いや、そもそもが色氣自体が、殺戮の用途に使うものでは無かったのでは無いだろうか。俺は何かを見誤っていた。それを、図らずもこの年端もいかぬコタロー殿が教えてくれたと……そういうわけか。


 少しの自嘲を伴いつつも、であれば本当に我が手にてこの争乱に終止符を打ち、禍根をも根こそぎ取り除き、「司督」殿が命に従わねばならぬ……との迷いの無き決意も脳裡に巡るアザトラ。であったが。


 刹那、だった……


「……此処より北北西に赤き反応ひとつ……んッ、畏れ多くも輩どもは『業』の型名を自らの二つ名として名乗っておりまするが、これなる赤き点がそのひとり、んやぁっ……てん、『天赤てんぜきの』……くふっ、あ、『アジルバ』ぁぁぁあああんッ」


 その鈴の音のような声が妙な湿り気を帯びてこの広間に伝播していくのを、口に含んでいた酒を静かに両の口の端より垂らしながら聞くほかは無いアザトラ以下二名がいる。その眼前にて、何らかの業の型なのであろうか、細き身を懸命にくねらせ揺らしながら、規則正しき上下の律動にて力を昂めていっている姿。そのやや開かれし太腿と太腿の間には、卓の角とその上に広げられた紙の角が鎮座しているが、そこに蒼き光が込められし少女の箇所が様々な角度から押し付けられる度に、何も描かれてはなかったそこに、罅が走るが如くに文様が如きものが浮かび上がってくるのであった。この辺りの地図のようである。そしてそれはかなりの精緻なるものなのであった。一同の茫然の後の驚きの溜息の中、


「はあ……ッ、く、くうご、んんんんんッ……!! あ、や、ち、違うのぉ、見な、みないれぇ……あひ、つ、次なるはそれよりやや東の急造されし『砦』にひとり、『空紅くうごう』ぉぉぉんッ、ジメ、はひ、は、はやくぅぅ、ジメ、ジメンシ、ああッ!! も、もうらめ、らめっていってりゅッ、いってりゅからぁぁぁああ……!!」


 上気した幼げなる小顔。その両瞼は固く瞑られており、苦しげな、あるいは切なげな吐息と共に的確かつ有用な情報がその艶めきを宿した唇より、急激に室温が下がったかと体感せしほどの広間に放たれていくのであった。業の反動なのであろうか、苦しげに途切れ途切れに紡がれる情報。それらを正確に聞き取りつなぎ合わせると、真顔にて書き記していくミルセラ。真顔未満の名状しがたき表情にてその様を俯瞰するかのように睥睨しつつ、こ口外出来ねェ……との腐った呟きを漏らす他は無きジセレカ。


 少女により、もたらせられし敵方の情報は、まとめると以下の通りとなる。


 天赤てんぜきのアジルバ  :北北西の矢翻ヤーボイ地区

 空紅くうごうのジメンシー :北方の砦「螺芥ラピアクタ

 海青かいじょうのノービア  :不明

 洋蒼ようぞうのチラーヂン :南東港湾地区「潮反シオゾール

 地緑ぢろくのキリアデル :不明

 陸黄りくぎのバップフォー:不明


「……この内に、『術』を施せし者もいると、そういうことでござるか」


 目標は六名。その中でも取り分け重要なるは、その「術者」である。力を使い果たしたか、未だ収まらぬ荒き呼吸のまま横たわる少女の代わりに、その主が左様と応える。


 肚は決まった。この者どもを、俺が。


 その刹那、アザトラの瞳の奥に、強靭なる光が灯ったのでありました……


――さてもさても。


 これよりは歴史の闇に葬り去られし、喪われたる話。闇の道を選びし青年の、苛酷なる運命の車輪がいま正に、


 ……動き出そうとしておったのですな。さても、あ、さても――

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