第2話
その日から、理恵さんの私に対する態度が大きく変わったように思います。理恵さんは、先生方や私以外の生徒がいるときには、いつもの理恵さんのままでした。しかし、寮の部屋へ戻り私と二人になると、理恵さんは時々私に弱音を吐くようになりました。私は生まれながらに天才なわけではない。何でも努力をしているだけなのに、みんな私なら出来て当たり前のような顔をする。理恵さんは、よくそんなことを言っていました。それは文句や愚痴のようなものではなく、周りの期待に応えなければならない重圧からくる、疲労のような、そのような悲しい打ち明けでした。
私は、ある日私の肩にもたれかかって泣く理恵さんに、このように聞いたことがありました。
「たまには力を抜いても、誰も理恵さんを咎めません。そんなにつらいのに、どうして理恵さんは、完璧であることを求めるのですか?」
今思えば、これは残酷な問いかけでした。理恵さんはこう答えました。
「私は完璧になること以外、人から愛される方法を知らないの。愛されたい、必要とされたい、捨てられたくないから完璧を目指すの。……でも頑張れば頑張るほど、みんなが遠くなっていく気がするわ」
そう言って、泣き止まない理恵さんの頭を、私は失礼を承知で撫でました。どんな時でも姿勢を正していた理恵さんが、私から見てもそれはそれは遠い存在に感じていた理恵さんが、私の前で弱音を吐くときだけは、とても小さく、とても近く感じました。そして理恵さんは、私にもたれかかって泣くとき、いつもこう言うようになりました。
「私が本当の私でいられるのは、瑠花の前だけよ。好きよ、瑠花。瑠花だけは、私を見捨てないでね」
その言葉はまるで魔法のようで、それと同時に呪いでもありました。私は理恵さんの魅力に取り憑かれました。彼女の好きという言葉が学院の後輩の一人に、もしくは妹のように可愛がる相手に向けられた感情だと、それ以上のものではないとわかってはいました。しかし、いつしか私は、それ以上を望まずにはいられなくなっていたのでした。
私の理恵さんへの思いが溢れたのは、冬休みの間のことでした。あなたも知っての通り、私は冬休みも実家へ帰省することはありませんでした。それは理恵さんも同じでした。夏休みから冬休みまでの間、理恵さんから聞いた彼女の身の上話からするに、理恵さんとお父様の仲は決して良くなかったように感じます。そのため、理恵さんも私と同じように長期休暇はご実家へ帰らなかったようです。もっとも、理恵さんはお父様から帰省を拒まれていたわけではないようですが……。
年末のある日、理恵さんが浴場へ行っている間、私は部屋で勉強していました。そこへ寮長が大変慌てた様子でやってきたのです。何があったのかと伺うと、彼女は、理恵さんが浴場で倒れられ医務室に運ばれたこと、理恵さんが私を呼んでいることを伝えました。私は驚き、大急ぎで寮長とともに医務室へ向かいました。
理恵さんは、医務室のベッドの上に座っていました。私が駆け寄ると、理恵さんは寮長にその場を外すよう言いました。そして二人になると、理恵さんは彼女を心配する私の頭を優しく撫でました。私は聞きました。
「理恵さん、お体は大丈夫ですか? 一体何が……」
「もう大丈夫よ。ちょっと貧血で、倒れてしまっただけ」
そう言って微笑む理恵さんでしたが、その顔色は青白く、無理をしていることがすぐにわかりました。私は堪え切れなくなり、理恵さんの手を握りました。
「もう無理をしないでください。頑張らないでください。私は理恵さんが完璧じゃなくても嫌いになりません。絶対に離れません。だから、せめて私の前では、強くいないでください」
そう言いながら、私は涙が止まりませんでした。手を離せば、理恵さんが消えてしまうように思えました。なんとしても、私が理恵さんをここに繋ぎ止めなければならないと、そう思いました。
「瑠花」
理恵さんが私の名前を呼びました。
「はい、理恵さん」
「瑠花、私を愛してくれる?」
理恵さんが言いました。そんなこと言われなくても、私はずっと理恵さんを愛していました。それは、きっと初めて会った時から決まっていたことだったのです。
「愛しています。理恵さんが完璧でなくとも、どんな方でも、私は理恵さんを愛しています」
この愛が、理恵さんの望むものとは違うのかもしれない。そのようにも感じていました。しかし、理恵さんが次に口にした言葉は、私に再び魔法をかけました。
「私も瑠花を愛しているわ。でもこれは、たとえ実の妹のように思っていようと、あなたに向けるべき感情ではないかもしれない。それでも、あなたは私を愛してくれる?」
直接的な表現がなくとも……いいえ。直接的な言葉でなかったからこそ、私にはよく伝わったのでした。
「私の気持ちも、きっと理恵さんと同じものです。それでもあなたは、私を愛してくださいますか?」
理恵さんは私の言葉に微笑んで、私を優しく抱きしめてくださいました。そして、私の耳元で再びこう言ったのです。
「瑠花、私はあなたのことを、世界で一番愛しているわ」
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