ポピーレッドの恍惚

蒼生

第1話

二〇十七年三月四日


 これが私の最後の日記です。私はここへ、私のすべてを書き記します。私がこの一年、誰と出会い、愛し、そして失ったのか。なぜそうならなければならなかったのか。これは私の罪の告白です。私はこれを、唯一の肉親である母へ宛てて記します。どうか、私がここから去った後、この日記を母に渡してください。そしてどうか、お母さんがこの日記を読んでくれますように。


 お母さん、あなたはいつだって自分が私の一番の理解者だと信じていました。あなたは私を精神的に閉じ込めていたつもりなのでしょうね。それは私が家にいた時も、丸一年顔を合わせていない今も変わらないでしょう。でも、あなたは本当の私を知らない。私があなたから離れている間、誰と話していたのか。誰を愛していたのか。そして、私が犯した罪さえ、あなたは知らないのです。

 あの人と出会ったのは、私が学院へ初めて足を踏み入れた日でした。あなたもご存知の通り、この学院の寮では新入生と三年生が相部屋になる決まりがあります。そして、まだ学院に不慣れな新入生の教育係として、学院で過ごすほとんどの時間、三年生が指導をしてくださります。これは、一年生が学院のルールや社会生活を学ぶとともに、三年生には自立心と指導力を実践をもって身につける、という名目のもと置かれた制度です。その甲斐があってか、またはそもそも優秀なご令嬢がたくさん通っているからでしょうか、わが女学院は名門大学へ多くの進学実績を持ち、その後も世界中で活躍する人材を多く輩出しています。そんな学院へ、一般家庭で生まれ育った私が入学することができたことは、私が唯一あなたに感謝していることです。もとより、あなたも私を自分の生活範囲から排除したかっただけなのでしょうが。

 四月、期待と希望と少しの不安を胸に学院の門をくぐった私のルームメイトとなった三年生が、宮村理恵さんでした。理恵さんは、まさに才色兼備といった、学院中の生徒はもちろん、教師からも絶大な人気と信頼を寄せられていました。そんな理恵さんと日々を共にするということは、私にとって誇らしくもあり、しかし同時に大変な重荷でもありました。なぜなら、もし私が学院生としてふさわしい人間になることが出来なければ、理恵さんの株まで下げることになりかねないからです。たまたまルームメイトになっただけの私が、周りが持つ理恵さんのイメージを壊すことなどしてはならないのです。私は精一杯努力しました。そして常に学年で上位の成績をとり、理恵さんを追って生徒会にも入りました。周りからの信頼は理恵さんの足下にも及びませんが、少なくとも同じ学年の中では一番であると、自信を持って断言できます。最近では、他の生徒や先生方から、理恵さんに似ているとまで言われるようになりました。私は常に、理恵さんのような完璧な生徒になることを目指していました。しかし、私にとっての理恵さんの完璧なイメージを打ち壊したのは、意外にも理恵さん自身でした。

 理恵さんは、入学したての私にも大変親しみを持って接してくださいました。しかし、私はいつも何か壁のようなものを感じていました。それは、単に理恵さんと私の人間性の違いにあるものではありません。そして、その壁は私にだけでなく、誰に対してもあるように思われました。理恵さんは、自分以外の誰にも優しいけれど、誰にも心を開いていないようでした。

 そんな理恵さんと私の関係性が変わったのは、夏休み中のことでした。長期休暇には、学院生のほとんどが帰省のため寮を離れます。しかし、あなたも知っての通り、私は寮を離れませんでした。そして、それは理恵さんも同じでした。私が寮に残ることについて、理恵さんが私に聞いてきたことがありました。

「瑠花はご実家へ帰らないの?」

「はい」

「どうして?」

 理恵さんにこのように聞かれたとき、私は本当のことを言うかどうか迷いました。あなたに言われたことを、あなたのような母親の存在を理恵さんに知られることが、恥ずかしいと感じたからです。しかし、嘘をつくほうが返って恥ずかしいようにも思えました。理恵さんのことです。きっといずれ本当のことを知られてしまうに違いない。そして、あなたの存在のことではなく、私がそれを隠そうとしていたことに失望されてしまうと、そう考えました。

「……母から卒業するまで帰ってこないように言われているのです。母は私が幼い頃に父と離婚し、今は若い恋人がいます。きっと恋人との時間を邪魔されたくないのだと思います」

 私はなんてことないという風を装い話しましたが、理恵さんは悲しそうな顔をしました。

「瑠花は、お母様に会いたい?」

「いいえ。母のことはあまり好きではないのです。それに、私には本当の家族と過ごす時間より理恵さんといる時間の方が、よっぽど有意義に感じます」

 これは本心でした。私があなたのことを好いていないことは、あなたもわかっているでしょう。そして、あなたが私を好いていないことも、私にはわかっています。このようなことを言えば、心優しい理恵さんのことですから、家族を愛しなさいとお説教される気もしておりました。しかし、理恵さんの反応は私の予想とは全く違ったものでした。

「そう。家族にもいろいろあるわよね。私も、両親が離婚して父と二人で暮らしていたの。けれど今は父が病気で会うことができないので、長期休暇は帰省せずに寮に残っているのよ」

 理恵さんのような朗らかで優秀な方は、きっと温かく理想的な家庭で育ったものだと思い込んでいたので、この言葉には驚きました。しかしきっとお父様とは仲がよかったのだと、お父様に愛されて生きてきたのだと、その時はそう思いました。そして理恵さんは、私にこう言いました。

「私は、瑠花のことを実の妹のように愛しているわ」

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