エピソード2-2 朝餉《つれだつ》

 ここはラヲシュの自宅———

 

 王都北西部の一角にある石造りの小さな平屋で、彼の性格故か余計な物はほとんど置いておらず質素で小綺麗な内装である。

 

 元々彼は地方の農村から縁もゆかりもない王都に単身流れてきた身で、戸建ての家など王都に持てるような身分ではなかった。しかしこの家は所有権不明のまま数世代にわたって放置された結果盗賊の住み着くところとなっており、治安維持に苦心していた役人達がこの盗賊を捕縛したラヲシュに褒美として特別に所有権を認めて以降、彼の家ということになっている。

 

 立地は王都の城壁のすぐ内側、つまり王都の端の端にあたり周囲の治安も芳しくないため、王都の中ではとても良物件とはいえない。しかしゴロツキ達は皆ラヲシュを恐れて近寄って来ない上憲兵の派出所や地下街への入り口も近いため、本人はそこそこ満足している。




「煌々たる焔の精よ、天則に従いて我が力に呼応せよ、アグニ‼」


 ラヲシュの詠唱に従って、薪に火が付く。


 ラヲシュは長らくこの家で一人暮らしをしていた上、魔法は戦闘用だけでなく日常用のものも幅広く使えるため、家事には一通り困ることがなかった。もっとも召使にやらせられるところはやらせてしまって楽できるには越したことはないのだが、ズメイ一人にやらせられることにも限度がある上、味の好みにはそこそここだわりがあるので調理は自分でやるつもりだ。



 ラヲシュは慣れた手つきで小麦粉を水に溶かし、塩を加えてよく混ぜる。そしてそれを火にかけた鉄板の上に流し、薄く延ばして大きい円形に整える。


 表面から水気が飛び生地全体に火が通ると、彼はその表面に蜂蜜とバラ油、乾燥させた数種の香草を散らし、それらを包み込むようにこのフラットブレッドを端からゆっくり巻いていく。


 気付けば辺り一帯に、生地の焼ける香ばしい香りと中の香草の奥ゆかしい香りとが広がり、場の空気全体が甘やかに食欲をそそる様相を呈していた。



「(すごい............)」


 ズメイは食器を拭いて棚にしまおうとしていた手を止め、ラヲシュの調理風景に見入っていた。


 昨日の賭場で見せた豹変したかのような演技力、並みの人間なら手も足も出ないような相手をまとめて圧倒する戦闘力、図書館での不意打ちを事前に察知した頭脳......に、加えて料理の腕も一流ときた。圧倒されるのも自然な話だ。


「何でもできるのね......」


 彼女は圧倒されたまま唖然として呟いた。


「ガキの頃、なんでもかんでも仕込まれたからな。『世界を救う勇者になるためには、何でもできるくらいで丁度いいんだ』だっけか。全く迷惑な話だ。」


 ラヲシュは目線を逸らし、吐き捨てるように返答する。



「まあまだ隠し玉のとっておきは、見せてないけどな——」




 ——......ガッシャアアアアアン‼




 ラヲシュが一言付け足したのと同時に、ラヲシュの日頃の稼ぎが消し飛ぶ音がした。


 ラヲシュに気を取られて余所見をしていたズメイが、手元を滑らせて食器を床に落として割ってしまったのである。



「............⁉......!」



「......」



 アークワードサイレンスが一拍続く。



「............ご、ごめんなさい......その—」



「いやいい。どうせ使い古した安物だ。どのみちいつかこうなってた」

 ラヲシュはフォローしつつも、頭の中で


「(想像以上に不器用だな......これは家事やらせるのはやめておいた方が賢明かもしれないな)」

と新しく来た召使の使い道を、非常に打算的に模索していた。





「こっちがラウジーで、こっちがカブとレンズ豆のスープ。こんなものしかないが食べようか」


 ラヲシュが所々ささくれた年季物の大きなテーブルの上に朝食を並べる。ズメイは食事は必要ないと言っていたが、逆に物を食べることができないとは言ってない上、自分だけ食べるのも忍びないので、一応一緒に食卓を囲うことにした。ちなみにラウジーとは先ほどラヲシュが作って見せたフラットブレッドで蜂蜜や香草を巻いた料理である。


「い、いただき...ます............」


 ズメイは席に着くとラヲシュが普段どういうものを食べているのかを知って関心したように、料理から立ち上る湯気をじっと見つめていた。


「(この娘の正体は不透明だが、もしかしたらこういう物食べられないのか......)」


 ラヲシュはすぐには食べようとしないズメイを見て考えた。その可能性は十分あったというか、むしろ人外相手には自然な話である。


 が、その心配は杞憂で、しばらくすると彼女はおそるおそる匙をスープの方に運んで行った。



 ズズズ......



「(美味しい............)」


 質素な味わいだが、いたずらに塩や砂糖をふんだんに使って濃い味でごまかしたような雑さがなく、丁寧に灰汁を抜いて出汁を効かせた精緻さを感じる。具も味がよく染みて柔らかく、かといって荷崩れもしない丁度いい塩梅だ。


 ラウジーの方も口にしてみる。

 

 口の中に蜂蜜と香草とバラ油の甘やかでエキゾチックな味が広がる。少し刺激が強く大人の味かもとも思ったが、これを無垢のパン生地が包み込むことで結果バランスが取れて美味に感じる。食感も、表面は香ばしくついた焼き目でパリパリとして、中はそこそこの厚みがある故の弾力が感じられて非常に食べやすい。


 

 総じて自分がかつていた場所を思い出させる味......捧げ物にも、こういう優しい味の物が多かった気がする。

 

 気付けばズメイはどんどん箸が進んでしまっていた。

 


 ラヲシュはズメイが食べるのに夢中になったタイミングで切り出す。


「そういえばお前、服の替えとか持ってるのか?」


「いや、これだけだけど?」


 ズメイは口を動かしながら昨日から着ている衣服の端をつまんで見せる。


「ていうかこれも私の羽毛で光を屈折させて衣服に見せてるだけだし......」


「はぁ⁉ おいじゃあそれって......//」


 ラヲシュは顔を少し赤くする。その動揺は物理的振動となり彼の椅子をガタっと揺らした。


「......ご想像通りだけど、問題でも?」


 ズメイは恥じらう様子もなく、さも当然というふうで答えていた。


 ラヲシュは深呼吸を一つ入れ、


「......じゃあ、買いに行くか。光の操作で着飾るにもバリエーションが限られるだろうし」

と持ち掛ける。勿論それは善意だけでなく


「(コイツも召使として役人の接待とかやらせることもあるだろうし、そういうときには着る物の幅はあった方がいいよな......)」

という打算的思考の帰結でもあった。


 ズメイはきょとんとして、目を丸くする。


「いいの?」


「女の子だろ......っていうのも偏見かもしれないが、欲しいんじゃないのか? それにお前、昨日初めて地下街見ただろ? 昨日は急ぎだったから観光し足りないところもあっただろうし、それも兼ねて行ってみないか?」


 地下街にはファッション関係の店も多い。ラヲシュの頭の中では服やアクセサリーを買いに行くなら地下街という図式が出来上がっていた。


「............じゃあ、お言葉に甘えて——」

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