エピソード2 好敵手は大義

エピソード2-1 悪夢《ほだし》

 自分の身体が透き通って見える。そこには皮膚も筋肉も無く、骨格と脈々と拍動を続ける臓物だけが見える。


 自分の身体の表面は無色透明で、その輪郭は背景の空間の中のゆらぎに僅かに見え隠れするばかりである。


 ふと自分の左胸の方に目をやれば、当然というべきかそこには心臓がある。自分の心臓を生で見るというのもなかなか稀有でショッキングな話だが、それは至って自然と、いつもの通り自分の生命を維持すべく、一定のリズムを刻んで鼓動している。



 ドクッドクッドクッドクッ......



 しかしよく見れば何やら異様な点がある。この、滅多に見ることのない自分の生ける心臓には、禍々しく細い、赤黒い不気味な糸が巻き付いているのだ。

 

 見たところ心臓はそれでも何も問題なく動いている。が、自分の心臓にこのような異物が付いてあるとすれば誰しも少なからず気味の悪さを覚えずにはいられないであろう。


 咄嗟に自分の心臓の方に手を伸ばし、そーっと糸を外そうと試みる。しかし目に見えないだけでやはり自分の身体の表面は存在しているようで、手は心臓に近づくことすらかなわない。



 それはそうか、自分の心臓に触るのも危険だろうしやむを得ないか......と思い直したところで、あることに気付く。


 自分の心臓に巻き付いていた赤黒い糸は、なんと自分の遥か後方から続いていたのである。まるで自分が遥か上方から吊るされた糸に引かれて動く、マリオネット人形にでもなったような感覚だ。



 後ろに何があるのかと思い振り返ってみれば、長く続く糸の先にどうやら人影のようなものが見える。


 目を凝らして見ればそれは頭巾のようなものを被った小柄な女の姿をしており、彼女は糸と同様の禍々しい赤黒い瘴気を帯びているようだった。




 ふいに彼女と目が合った。




そしてそれと同時に、自分の身体に激痛が走った。



 心臓に巻き付いていた糸が引き締まり、身体が後方へと力強く引っ張られる。女の影は、こちらと目が合うなりニヤリと不気味な笑みを浮かべ、手にした糸を手繰り寄せていた。



 痛い。引き締まった糸で自分の心臓は真っ二つに張り裂けそうだし、抵抗しようにも糸を引く力はあり得ない程強く抗しきれない。最早自分の心臓がまだ普通に動いていることすら不思議なくらいだ。



 糸が後方に引っ張られて、自分と女の影との距離は刻一刻と詰められていく。そしてその距離があと数歩のところまで縮むと、女の影はエコーのかかった声でこう呟く―



「何で置いていったの?」



「何で一緒に戦ってくれなかったの?」




「一緒に死んで、くれるよね??」




 ひたすらおぞましかった。喉の奥がつんざかれるような嫌な感じがした。胸の奥がざわめきふさぎ込むような感じがして苦しい。できることなら今すぐこの場を離れたい―もっとも糸の引く力が強すぎて無理な話ではあるが......



「(——っ、⁉)」



 が、そのときであった。急に辺り一面に白い霧が立ち込め、後ろの女の姿は霧の向こうに隠れて見えなくなっていった。


 そして糸が切れたのか急に身体が軽くなり、自分は一気にさっきまで感じていた苦しみから解放された。


 勿論これはありがたいことで非常に喜ぶべきことではあるのだが、自分はあまりにも急なこと過ぎて喜ぶことも忘れてただただ茫然としていた――







「———っ、平気⁉ ラヲシュ、平気⁉」


 いつもと違う感触と声で、ラヲシュは夢から引き戻された。


 時々見る悪夢である。しかし普段は糸を手繰り寄せられて終わりなのに、今日の最後の霧は一体なんであったのだろう。


 ラヲシュの現実の体は息を荒くしぐっしょりと寝汗が滲んでいた。



 180度逆さの向きからラヲシュの顔を覗き込んでいる声の主は続ける。


「いや、昨夜からずっとひどくうなされてたから............」


 

 これまでの日常では絶対あり得ない状況に、ラヲシュは一瞬戸惑う。が、彼女——ズメイの顔を見て昨日の出来事を思い出し、ああそうか、と事態を理解する。

ズメイが悪夢にうなされていた自分を介抱してくれていたのだ。


「......すまない、いつからこうだった?」


 ラヲシュの後頭部には普段は感じられない、柔らかく心地いい感触がする。わざわざうなされている自分を介抱するために一晩中膝枕してくれていたのなら、なかなか気恥ずかしいような申し訳ないような、ばつの悪い話である。


「いつからって......覚えてない? 昨日疲れて帰るなりすぐに寝ちゃって、それきりこのままだけど?」


「じゃあお前は一睡もしてないのか?」


「別に、食事も睡眠も必要ないから」


 ズメイの返答はさも当然のごとくすましたもので、冗談や強がりにはとても聞こえなかった。もしそれが本当なら凄い話だが.........


「食事も睡眠も必要ないなら、じゃあ何で昨日俺を喰い殺そうとしたんだ?」


 当然、それでは疑問も残る。ラヲシュは上体を起こすと、振り返ってすかさずロジックのあやを突いてみせた。


「えーっ......と、その............——」


 ズメイは目を泳がせて返答に詰まっている。ラヲシュは「なんだデタラメか......」と少し残念そうにしつつ呆れながらも、一応真相を確かめておこうと「どうなんだ?」と畳みかける。


 するとズメイの表情は徐々に険しくなっていき、彼女はたちまち適切な説明が見つからない苦しみに悶えだした。デタラメのジョークならばさっさと白状してしまえばいいものを、様子が変である。



「(もしかして............聞いてはいけない質問だったか?)」



 ラヲシュは推測する。


 ここまで回答に渋るということには、きっと触れてはいけないことだったのだろう。大体聞かれたくないことはこっちにもある以上、お互いに黙秘の自由のため、追及は控えておいた方がいいかもしれない。


「......すまない、答えなくて大丈夫だ。お互い、聞かれたくない話はあるもんな」


「ラヲシュ......ありがとう」


 ズメイは一転ほっと安堵したような緩んだ表情をし、彼の気遣いに感謝した。



「じゃあ、朝食にしようか。調理はやるからお前には食器の整理を頼む」

 ラヲシュはベッドから降り、立ち上がってゆっくり伸びをして言った。

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