エピソード1-5 身勝手《すくい》
青年は、少女と賭場の悪事の物的証拠を連れて憲兵の駐在所に戻った。幸い少女は裏切ることなく賭場の奥で行われていたことをすべて丁寧に話し、青年の頼んだ役割を無事に全うした。冒頭に出てきた若い憲兵からは青年が女を連れてきたことを散々にはやし立てられたが、困ったことといえばそれと事情聴取の時間が少し長引いたことぐらいだった。
「お疲れ様、また頼むよ」
壮年の憲兵が口角を僅かに上げて青年をねぎらう。彼も思いのほか早く懸念事項が片付きそうで、とても気分が良さそうだった。
「はいはい、推薦の件、お忘れなく」
「失礼、致しました...」
それぞれそう言うと青年と少女とは駐在所を後にする。青年の左脚は落ち着いて詠唱できる駐在所内で、彼自身が回復魔法をかけていたため、いくらかよくなっていた。
外はもうすっかり日が沈み、夕闇の中に包まれていた。
青年は駐在所を出て少し歩いてから横にいる少女の方をちらりと見る。
正直、今更襲って来たことをどうこう言う気はない。野放しにしておいても己の脅威にならない上ついさっき協力者として紹介した相手を憲兵に訴えるのも話がややこしくなりそうで御免である。
ただなんだかんだで一日の付き合いのあった相手だ、もうこれ以上関わる気はないが最後に一言声をかけておくべきかもしれない。
「ご苦労。ちなみに裏切ったこと、襲って来たことについて今更とやかく言う気はない。どこへでも行―」
「.........何で、何でさっき憲兵に私を突き出してくれなかったの⁉」
少女は全身を震わせ、狼狽したような、青ざめたような表情で想定外の返答をした。
「どうやって、どうやって償えばいいの.........?私の命?なら早くこの首落としてよ...!お金?なら早く私の臓器剝ぎ取って売ってよ...!躰?ならさっさと私を押し倒してよ!」
下を向いて目を見開き、ある種の興奮した放心状態を保ちながら、彼女は続ける。その目の端には若干涙のようなものも滲んでいた。
こちらはもう既に許しているのであるし、ここまで感情的になる必要はないしで、保身のためとは考えづらい。
二度も自分を殺し損ねたことで投げやりになったのなら、所々溜を作らずもっと感情を乱暴で粗野にぶつけてくるはずだ。
青年には彼女の意図がすぐにはわかりかねた。
やはり図書館のときと同様、その目には強い後悔の念が滲んでいるようで、化け物が人間と同じ善悪基準を持ち合わせているかは甚だ不明だが、少なくとも自分を襲ったことは善くないこととして認識しているようだった。しかしであれば何故自分を二度も襲ったのだろうかという疑問が残る。
「(.........けど、それでも彼女の態度は、純粋に罪悪感による自己嫌悪に起因している気がする)」
それでもやはり彼がそう推測できたのは、彼自身がこれまでの人生で散々後悔を積み重ねてきたからだった。もしかしたら図書館で感じた無意識の彼女への同情も、これと同じ理由で生じたものだったかもしれない。
もし彼女が人間と友好的でいたいと思っているにも関わらず、一定の条件下で体が勝手に人を喰い殺そうとしてしまうのだとしたら——、或いはもっと他の理由で、本当はしたくもない殺生をせざるを得ない状況にあったのだとしたら―。本気で罪の意識を感じながらもことを繰り返すのにも納得がいく。
本当なら、哀れな話である。したくもない過ちを繰り返さざるを得ず、その度に自己嫌悪に陥って、でもその悪循環から永遠に抜け出せず、また過ちを犯して、自分を憎んでいく。その上で許されないとわかった上で被害者に贖罪を懇願する様には、とても同情を禁じ得ない。
——————が、
「(いや、だとしたら...だとしたら.........)」
青年は同時に無性にムシャクシャもしてきた。
確かに彼女がしたことは被害者からすれば謝られたとしても許せるようなことではない。が、彼女はちゃんと自分のしてしまったことを悔い、曲がりなりにもこれに向き合おうとしている。
対して俺は、過去に彼女と同等以上のことをしでかした上に、厚かましくもこれを忘れ、なかったことにしようとした。そう考えると俺は彼女を責めるに値しないのかもしれない...
——でもそれが、無性に腹立たしい。
本当は自分ももっと反省し、傷つけた相手を償う意思を持って生きていくべきであるという、直視したくない現実を彼女の態度が想起させたことが何よりの興ざめだ。
ここで彼女のしたことよりも今の彼女の態度を責めるのは道理に合わない気もするが、否定したいものは否定したい。もう負の感情が抑えられない…‼
どうやら目の前の奴は罰をお望みらしい。ならばよかろう、特大級のものをくれてやろう。お前も俺と同じ底辺レベルの人格まで堕としきってやろう.........
「あ“ の“ な“ ぁ“!!!!」
気が付けば、心からの声が口をついて出ていた。少女は突然の怒号にビクッと顔を上げた。
「自分が誰かを傷つけようが、自分が誰に迷惑かけようが、そんなもんそれで今の自分が困ってないなら無視して忘れてればいいんだよ!人生なんて所詮自己満足なんだ、自分が悪い思いしなければ、誰がどうなろうかなんて気にせず図々しく、自己中に生きるのがスジってもんだろうが!!!」
「今、俺はお前がしたことを別に責めないと言った。だからお前はそのまま素知らぬ顔でどこかに去ってしまえば、何も嫌な思いをせずにそれで終わりだ。どう考えてもそれが一番賢明だろうが!?そうだろ!?」
目の前の銀髪の少女は、しばらく呆然としながら「何を言っているんだ」という表情で聞いていたが、次第に肩や眉間から力が抜けていき、その反動で涙腺が緩んだのか、前髪をかき分けながら袖を目に当て目を潤ませた。
「いい、…‥‥の?そんな…グスッ‥‥生き方、‥‥‥して」
「はあ?そんなのいいに決まってるだろうが、生き方なんてそれぞれだろ!...それに、少なくとも俺は、お前がどんなに自分本位なクズの生き方しようがそれを非難する権利なんてない。......まあ兎に角、自分勝手に生きてたって、きっといつかは幸せになれる.........!!もしそうじゃないとしたら、そんなの余りに不公平で、何より俺が困る............。だから、だからお前は————————」
「自分のしてきたことなんて省みず、清々しくクズやってればいいんだよ!!!!.........俺みたいに」
青年は思いの丈を一しきり語って、今更のようにはっと気が付いた。周囲はすっかり暗くなり、あまり大声を出すのはご法度だ。それに街中で堂々とここまで熱く自分の独りよがりな人生観を弁じてしまうのも端から見たらみっともないことこの上ない。自分としたことが思い切りやらかしてしまった。
大体自分は彼女のなんだというのだ。彼女の過去を具に見聞きしたわけでもなしに勝手にわかった気になって、一丁前に偉そうなことを説教垂れて、——もし検討違いなら大恥だ。いやむしろ、ここまでよく幼児同然に感情的に弁を立てられたものだ。こんな野郎が宮廷仕官など目指しているのだ、この国も先が思いやられ——
が、———
目の前の少女は袖を顔から外してすがるような表情で青年の顔を見上げて泣いていた。そしてもう一度袖で涙を拭うと、今まで背負って来たどうしようもなく重い物をすべて投げ捨てたかのような、晴やかで安堵したような表情で微笑んだ。
「『俺が困る』て、変なの.........でもまあ、その...ありがとう」
そう言った彼女の顔は西の果てに僅かに残る一筋の陽光に照らされてとても美しかった。こんな陳腐なお説教もどきがどうしてそこまで彼女の心の琴線に触れられたのかは甚だ疑問だったが、兎に角自分に敵対したことや態度が気に入らなかったこと等、どうでもよくなって忘れるぐらいには美しかった。
正直青年もまた、みっともないお説教?も詳しい因果関係は兎も角、少女のこの顔を作れたならやっぱり価値があったのかもなと少し安堵した。
「そういえば、名前...まだ名乗ってなかったよね?聞いてもいい?」
銀髪の少女が問いかける。
「俺か?.........俺は“ラヲシュ”だ。」
紺色の髪の青年—ラヲシュが答える。
「“ズメイ”......私は“ズメイ”」
銀髪紅眼の少女—ズメイも名乗る。
「そうか、達者で...」
くるりと向きを変え、自宅の方へと歩き出そうとするラヲシュのジュストコールの裾を、ズメイが引っ張る。
「ねえラヲシュ、お願いがあるんだけど」
「何だ?」
振り返るラヲシュの表情には、「今日はもう疲れた。早く休ませてくれ」と書いてあった。
「―っその、私を弟子に.........、いや召使・従者にでもして、君の側に置かせてくれない?」
ズメイは詰まりつつも、真剣に頼み込む。
「はあ⁉俺別にそんなに困ってねえよ.........‼」
確かに利己主義者の彼にとっては、労働力が増えることは歓迎すべきことかもしれない。が、それにしたって心の準備がある。第一、不問にしたとはいえ二度も自分の命を狙った相手をそうやすやすと自分の側に置くわけにもいかない。——が、
「私もその、自分勝手に生きた先に得られる幸せが何か、君と一緒に知りたくなった。......それに、行く当てもない...」
裾を掴むズメイの力が少し強くなった。彼女の長い爪が引っかかってそのまま歩けば服が破けそうな気すらする。
「......」
「ねえ、身勝手に生きていいってついさっき言ったの、一体どこの誰?責任とって私の身勝手にも付き合ってもらうから......!!!」
ズメイの目つきが鋭くなる。ラヲシュにはそう言われると上手く返すための言葉が見つからなかった。
彼は溜息を一つつくと、もうどうにでもなれという風に言った。
「はいはいわかった、じゃあ行くぞ.........」
二人はラヲシュの自宅に向かって夜道を歩き出す。ズメイが頼む立場の割に敬語一つ使わないのは気になったが、不思議とラヲシュは返事のわりに悪い気がしていなかった。
――これはこの国に伝わる、「己の為に」互いを愛した二人の少し変わった物語。
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