エピソード1-3 一転攻勢《たねあかし》
「.........あ」
控えめに言って大失敗であった。
勢いよく宙を舞った石は力強く水面にダイブし、皿の上の小球を跳ね上げた。当然小球はあっけなく水に沈み、こうして青年の全財産を賭けた一大決戦は誰の目にも無様に決着がつけられた。
「.........っぶわはははははははははははは!!!まさか、まさか...ww!!こんな結果で終わりましょうとは......www!!!!」
張り詰めた空気が一瞬で決壊し、堪えきれずにカロヤンはとうとう本性を曝け出した。その頬は、侮蔑と嘲笑でいっぱいに躍っていた。
「試合終了!!敗者は勝者にステイクを引き渡していただきますよう―」
クループの声が響くと同時に、銀髪の少女の周りを黒衣を纏った賭場の従業員が取り囲む。
「え......何?ちょっと、......」
生理的に引き気味の彼女本人の意向には一切構わず、カロヤンが顎で合図をすると従業員たちは少女を連れて賭場のさらに奥の闇へと消えていった。
青年は床に手をつき項垂れている。
「じゃ、今度は臓物でも賭けますw?勿論貴方が勝てばお金は全部返すとして.........。ま、貴方が勝つ可能性なんて万に一つもありませんけどねwwさあ、やります?やりましょうよ!wさあさあさあさあ!!!!」
カロヤンは早口で青年をまくしたてる。もう完全に有頂天である。
青年は目を血走らせて奥歯で歯ぎしりをし、右手の拳を固めて床を叩く。
「クソッ......クソッ!!何で負けるんだ、こんなに何回も.........!!!!こんなのおかしい!!こんなの…おかしい!!!!」
ああ.........まただ。人間の壊れる瞬間が拝める.........この世で最も甘美な、至福の時間...。
カロヤンは青年を見下ろしたまま静かにほくそ笑んだ。
人間がおかしくなるのを見るのが好きだ。特にまともな人間が発狂してしまうのが好きだ。今まで全うに生き、信用や幸せを着実に築いてきた人間の人生が、狂って、台無しになって、滅茶苦茶になると、そのまま生きていれば何者かになれたであろう者達さえも結局は自分より下の人生を歩むことになるという事実に、もう優越感で笑みが止まらない。
この青年も、つい数時間前まではあんなに威勢よく啖呵を切り、結構な金を有していたのにも関わらず、今ではすっかり一文無しで、挙句は連れまで失っている。
もっと壊したい、もっと台無しにしてやりたい。そんな彼の願望に応えるが如く、青年は地べたに這いつくばって呻き続けた。その右手は固い床を叩きすぎて、もう真っ赤になっている。
「うわおおおおおおおおおおんんんんん!!!!」
とうとう彼は人間ですらない、獣のような声でシャウトしはじめた。
人間性すら失ってしまったのだろうか。兎に角その様は哀れで、惨めで、実に滑稽であった。
「―さて、そろそろいいかな」
カロヤンがそろそろ次の
「まさかこんな三文芝居にここまで付き合ってくれるとはな...」
「どういうことだ?」
振り返ってゆっくり立ち上がる青年を見るなり、カロヤンは動揺で口調を荒げた。
「ステイクの袋、中身を確認しておいた方がいいぞ...」
青年の言葉に咄嗟に袋の一つを取り出し、その紐を解いて中を見る。いたって普通の銀貨が詰まっている。なんだ、ハッタリか...
「(―!?)」
が、その一つを手に取った瞬間、信じられないことが起きた。銀貨が、いや銀貨と思われたものが、手に取った瞬間脆く崩れて粉々の砂粒となり、指の間から流れ落ちてしまったのである。
一つ、また一つと他の銀貨も試してみるが、どれも結局崩れて砂になってしまい、元の姿を保たない。更に悪い事には、銀貨が姿を変えた砂粒達は地味な灰色で、銀貨と同等以上の価値があるわけでも全くなかった。
「.........騙したな。まさか偽金の使用が取り締まり対象だと知ってのことではないだろうなぁ!!」
カロヤンが怒気を込めて言い放つ。最早両者の冷静さは、完全に逆転していた。
「お役人方には、もちろん許可はもらったさ。容疑者諸君への潜入捜査に用途を限定した上で、ね」
「「「―!?」」」
その瞬間近くにいた賭場の従業員達の目つきが一斉に変わり、場におびただしい殺気が走った。
「ま、じゃあこういうのはどうだ。お察しの通り俺は憲兵とコネがあるんだが、もう一度賭けを行って、お前が勝ったら諸々を憲兵にチクらないっていうのは...」
青年は急に殺気立った周囲の目線を宥めるように言い、更にこう付け足す。
「今度は、お互いイカサマ抜きでな―」
言い切るなり青年は突然場を区切っていた粗末な板の隙間に向かって、右手でピストルを撃つジェスチャーのような手振りをしてみせる。
すると板の裏側から、バタッと何やら人が倒れる音がした。
青年の銃撃を模した手振りは手振りに過ぎず、実際に弾丸を撃ったわけではないはずである。にもかかわらずそこでは確かに人が倒れ、間を区切っていた板もさっきよりかなり傷みを増しひしゃげている。
青年の得体の知れない一撃は、確実にカロヤンらを強張らせ、戦慄させていた。
「だいたい憲兵にチクるとかほざいてやがるが、具体的に俺たちが何をしたっていうんだ!!説明をしろ説明を!!!」
「ほう、いいのか?それじゃ遠慮なくさせてもらおう...」
青年は不敵に話し出す。
「俺と付き合いのある憲兵からの話だが、どうも今この地下街では博徒の子女を借金のかたや賭博の賭け金として取り立てるのが横行してるらしくてな。まあこれだけでも十分違法だが、ここまではまだ件数が多すぎてキリがないため取り締まりの対象外として、だ。更にこんな噂を聞いた―そのうちのある賭場では、取り立てられた婦女子の行方が軒並み不透明になっている、と」
「大体、こうした場合確保した人身は娼婦や貴族の侍女として売り飛ばすのが普通だ。だから取り立てられた人々の行方も追っていけばすぐにわかる。が、この賭場の場合は違う。連れ去られた人達は揃って闇に葬られてしまう。不自然だ」
「そこでこれを訝しんだ憲兵が、組織のゴタゴタで自ら行けない潜入調査を代わりに俺に依頼したって訳だ。さあて、連れ去られた方々はどうなっているか―密貿易で輸出?地下で調教?否、ここまで目撃情報が乏しいとこれらも不自然だ。俺達の予想では―」
ゴゴゴゴゴ...!!
突如辺りに地震のような轟音が鳴り響き、青年の立っているすぐ脇の床にミシミシと亀裂が入る。亀裂からは屋内であるにも関わらずたちどころに白い霧が立ち上り、青年を取り囲む者達は皆何事かとざわめきだす。
「生贄だ」
ズッゴオオオオオオオオオオンッッッッッ!!!ガラガラガラガラ.........
亀裂の入った箇所より床を突き破って、濃い霧の中から、先ほど連れ去られた銀髪の少女が躍り出た。
「例の証拠はあったか?」
青年の問いに少女はコクリと頷く。その右手には金色の、何やら怪しげな機械の破片のようなものが握られていた。
「あったよ。人命を吸収して魔力に変換する魔道具。奴らこれで攫われた人たちを下の階(地下街のさらに下)で生贄にして力を集めてた!」
「だそうだ。これで物的証拠と証言は―ッッと!」
霧の向こうから物凄い速度で投げナイフが飛んできた。青年はこれを苦も無く躱すが、その軌道、勢いからは投げ手の必死さ・焦燥感が滲み出ていた。
「まあ最後くらいズルいことせずにちゃんと話聞けよ、カロヤン」
青年が霧に慣れてきた視界で小柄な彼をまっすぐ見下ろす。
「あれ、結局イカサマだったの?」
「ああ、ご丁寧に二段構えでな。フラーダで使った石の中に刻印があるものとそうでないものとがあるんだが、実はその両方ともその性質にはほとんど違いがなくてな。じゃあ何故そんな疑われるようなことをするのかといえば、イカサマをするとしたら石の加工だと相手に意識を向けさせるためで、実際には裏でつるんでた賭場のスタッフに隠れて風魔法を使わせて石の軌道を操作してやがった。つまり本当のイカサマを隠すためにイカサマみたいだがイカサマじゃない、ダミーのイカサマを敢えてけしかけたってわけなんだ」
少女に説明する青年に、カロヤンが歯ぎしりする
。
「キサマ何故気付いた......!?詠唱音はほとんど消してた筈......!?」
「まあまさか二段構えでイカサマしてるなんて普通は気付けないよな。じゃあ逆に聞くけどお前、ゲーム中普段は見ない光のようなものを見なかったか?」
カロヤンは投石の際に背後からばんやりと光のようなものが差し込んでいたことを思い出し、はっと目を見張った。思えばあれは吉兆などではなく、破滅のはじまりを告げるものであったのかもしれない。
「あれは俺の張り巡らせた結界の効果で、結果内のあらゆる魔力の流れを光として可視化させたんだ。まあ光といっても漠然としたものだから意識して見ないと気付けないけど」
青年の説明を隣で聞いて、銀髪の少女ははっと合点した。そうだ、だから賭場に入る前この人は「魔力の流れが見えたら」なんて言ってたんだ。私が連れ去られた先の地下室から怪しく強力な魔力の流れが見えたら、私を死ぬ前に回収しに行くつもりだったんだ...
「け、結界だと!?そのような結界なら張る前に相当な詠唱が必要な筈、ハッタリもいい加減にしろ!!」
カロヤンが震える声で吐き散らす。
「詠唱?詠唱なら堂々とさせてもらったはずだが、気が付かなかったか?」
「まさか...!!」
カロヤンは1回目のフラーダの前に、宣誓で青年が噛んで咳払いをしていたことを思い出した。あのとき感じた嫌な予感は正しかったのだ。まさかあのとき咳払いに乗じて結界展開の詠唱をしていたとは…
辺りに立ち込めていた霧が薄まっていき、互いに状況がよくわかってきた。青年と少女を取り囲む賭場の者達は皆殺気だって身構えており、まさに一触即発と言って足る状況だ。
「話をまとめよう。長らくこの賭場ではステイクや借金の質として博徒から子女を巻き上げる事案が多発していて、しかもその連れ去られた者達は揃って行方知れずとなっていた、と。そして流石に不審に感じた憲兵の一部が捜査を試みるも、組織内のいざこざで有力な犯罪証拠が向こうから転がってくるまでは保留とされてしまっていた、と。で、諦めきれなかった憲兵の一派が俺に潜入捜査して証拠を集めてくるよう依頼したって訳だ」
「俺はわざと賭けに負けてたまたま拾った
「
「承知の上だろうな?」
バジュジュゥゥ―――!!
突如周囲一面で朽木が焼け落ちるような音がした。見渡せば、賭場の従業員たちは手から鍵爪を生やし、黒い棘付きの尻尾を備え付け、辺りにごみ溜めのような悪臭を放つおぞましい魔族の姿に変貌していた。
「だったらどうする―?」
青年と真っすぐ向かい合わせに立つカロヤンは、彼自身は人間であるものの、魔族達に洗脳されているらしくその瞳は禍々しい赤褐色に染まっていた。
「どうするの?」
少女が青年に尋ねる。
「俺が依頼されたのは証拠集めまでだ。奴らの顔を立てるためにも、犯人確保は憲兵に任せる。だから俺達は―」
「
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