エピソード1-2 遊戯《ばかしあい》

 ―王都地下街。元々王都に外敵や叛徒が攻め込んで来た際の王族及び高位廷臣の避難先として用意されたが、現在ではすっかり豪商やならず者でごった返し、無数の酒屋や見世物小屋で溢れた王都地下の巨大空間。


 四つある地上からの出入り口の内王都北西側の出入り口を降って、青年は先刻自分を襲った少女を連れてこの地下街に入っていく。


「ねぇー、あれ買ってー!! 」


「さあ飲め、さあ飲め!景気づけだ!」


「そういやお前の好きだった踊り子、王族とデキたらしいぞ...」


 雑多な声が辺り一面で飛び交っている。


少女はここに来るのは初めてなのか、地下街に入って少し東に進んだところで人混みの中地下街の賑わいにおののいて辺りを見回している。


 が、青年はつれない様子で「お前の観光案内に来たわけじゃないぞ」と言いたげな様子でそのまま目的地を目指して南へ足を進めていく。


「じゃ、話した手筈通りに頼む」


 慌てて自分の背中に追いついた少女に青年は言う。


「ちょっとやそっとじゃ死なないんだよな?まあ強力な魔力の流れが助けに入るが」


「私を心配するつもり? 」


「証人に死なれたら困る、それだけだ」


 青年はただただ乾いた返答を吐き、しばらく南進した後今度は西へと右折する。


「――、ところでさっきの『魔力の流れが見えたら』ってどういう―」


「あったぞ」


 少女の問いかけを遮断し、青年は脚を早める。


くだんの賭場だ」


 そこには異様な建物があった。地下街には四方の柱の上におんぼろな波板で屋根をして側面に簾を垂らしただけのような粗末な建物も多く、それらに比べるとこの建物は遥かに大きい。入り口には人間の目玉や海藻のような歪な形状の装飾が施され、その中からは腐った青魚を焦がした砂糖と煮詰めたような悪臭が這い出ている。しかしわざとらしく側面の壁にツギハギを施して周囲の粗末な建物と融けこませようとしているためか、意外にも少し離れて見ればそれほど存在感があるわけでもない。


「入るぞ」


 おそるおそる賭場の外装を見つめていた少女を急かすように、青年は賭場の扉を開け放つ―



「たぁのもおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」


 中は大勢の博徒で賑わい、石造りのじめじめした床には異国製とみられる絨毯が敷かれていた。天井からは油臭いシャンデリアがいくつかぶら下がってはいるが、照明は不十分で視界に困るほどではないがやや薄暗い。


 が、そんなことより驚くべきは青年の様変わりだった。外にいるまではひたすら冷静な風であったものが、扉を開けた瞬間酒の一滴も入っていないのに顔を赤らめ裏返った声で唸り出している。先刻まで丁寧に整えられていたジュストコールの襟元もいつのまにか乱れまくっている。


「お、威勢がいいのが来たぞw」


「おやおや......」


 二人を出迎える博徒や従業員の目線には、どこか狂気が滲んでいた。


「ああああああああ!酒が足りん!!金だ金!!酒代だぁ!!!荒稼ぎするぞおおお!!!!」


 青年は重い物がずっしり詰まった袋を乱暴に床に置く。


「ちょっと...!」


 血気に盛る青年の腕を、本音半分演技半分で少女が引き留める。


「可愛い連れがいるじゃあねえかあ...畜生」


 繰り出そうとする青年と、必死にそれを止めようとする少女。二人のもみ合いに周囲の野次馬達は好き勝手言っていた。



「ヒィィッッ......!!」



 そこに突如、貧相な風体の青ざめた男が、何歩か後ずさって尻もちを着いて倒れ込んだ。男はその場の注目を青年達から奪うと、震えた声で自分の来た方を指さして叫んだ。


「イカサマだぁ!!こんなの……こんなの絶対おかしい!!!なんで俺がこんなに負けるんだ!返せ!返せ俺の金と女房をよお!!」


 男のあまりの必死さに、周囲の空気が一瞬でしらける。


 すると男の指さした賭場の奥の方から、ゆっくりと足音が聞こえてきた。


「そうやってただの無能程自分が負けた言い訳を相手の不正のせいにするんですよ……。第一あなたが指摘されたイカサマの疑惑は、先ほど晴らしたばかりでしょう?なのになんで合意の上での公正な勝負を、今更否定されるんですかねぇ............」


 足音の主は飄々とした声の小柄な男で、小さめのマントのようなものを羽織っていた。倒れ込んだ貧相な男は、歯をガチガチ鳴らして怯えている。


「おい!そこのお前、なんか強そうじゃねえか.........どうだ、俺と一つ賭けねえか......?お前の得意なヤツでよお......」


 場の注目が二転三転する。今度は青年が後から来た小柄な男に力強く言い放つ。後ろで青年を抑えていた少女は、振り払われて少しよろけた。


「ほほう......」


 小柄な男が、青年と目を合わせる。無駄な肉付きのないシャープな輪郭の顔で、機敏そうな体型も相まってパーティメンバーと共に魔物でも狩ってても不思議でない見た目である。


「止めとけ!!おい止めとけ......そいつ、カロヤンはなぁ......」


 怯えていた貧相な男が必死に訴える。が、青年は聞く耳を持たず様子に似合わぬ冷静な手振りで男を制止する。


「そうですねぇ......では奥で一つ、フラーダでもしましょうか?」


「おっしゃ、決まりだ...」


 青年はジャラジャラと音の鳴る袋を持ち上げて見せ、カロヤンの提案を呑む。



 フラーダとはこの国に伝わる遊戯の一つで、大きな桶に水を張りそこに小さい球を乗せた皿を浮かべ、プレイヤーが順番に桶に石を投げ込んで投げ込んだ際に皿の上の球が水没した者を敗者とする、というルールである。投げ込む石の重さや形状、どこから投げ込むかも厳密ではないが大まかに決まっている。


「では、奥で」


 そう言うと、カロヤンは踵を返して賭場の奥へと向かっていった。


 青年は後ろを振り返り、呆気に取られていた銀髪の少女と目を合わせて頷くと、不敵で厳めしい足取りでカロヤンの後に続いていく。


 青年の表情が頷いたときの一瞬だけ賭場に入る前の冷静なものに戻ったのを見て、少女もハッと我に返り、そそくさと二人の後を追いかける。


 さっきまで言いたい放題だった野次馬達は、揃って目を丸くして慄然としていた。




 カロヤンを追って来た先は粗末な板で雑に区切られた広めのブースで、フラーダに使う水を張った桶と積み上げられた投げ込むための石の山とが設置されていた。


「石は我々がシャッフルさせていただきました」


 脇にいたクループ(賭け事の進行を差配する賭場のスタッフ)の少年がうやうやしくおじぎをする。そして青年とカロヤンが脚を止め試合の準備ができているのを目線で示すと、少年は当事者でない銀髪の少女を一歩下がらせ、

「それでは、公正な試合を願って、宣誓をしていただきますよう―...」

と試合に臨む二人に告げる。



「「宣誓、我々は―」」



 二人は顔を見合わせ、クループの差し出した杖に手をかざして声を発する。


「「賭博の神ヴァガラットの名に於いて―」」


「公明正大なる試合を行うことをここに誓う!!」


「公明正…ゲホッッゲホッッ!〇※△□▲*●!!」


 宣誓の途中で、青年が突如咳き込んで口をどもらさせる。


「............失礼」


 青年の若干申し訳なさげな様子にカロヤンは妙な殺気を感じた。しかしこれから大きな賭けをするのに緊張は付き物である、こうなるのも自然なことと言えばそれまでで、取り立てて気に掛ける方がおかしいというものであろう。


「構いませんよ、もう一度致しましょう」


 カロヤンの余裕を滲ませた返答に安心したのか、今度は青年の声と表情によりハリが出た。


「「公明正大なる試合を行うことをここに誓う!!!!」」



 宣誓を終えるとクループの少年は球を乗せた皿を桶に浮かべ、「でははじめてください」と両者に告げる。火蓋は切って落とされた。


「ステイク(賭け金)はざっと186デュラキア(銀貨の単位)でいいか?」


「ほほう......いきなり大金ですね、まあ別にそれで平気ですが............」


「王都中の酒蔵を空にするには、この10倍必要なんでな。チマチマ賭けてられんのよ」


 青年は強気な表情で片手に握られた袋をジャラジャラと振って見せる。


 銀髪の少女は彼の試合を固唾を飲んで見守っている。


 先に石を投げ込むのは、青年の方だった。


「(着水した際に起きる波は着水の際に押しのける水の量に応じて大きくなる......)」


 青年は積み上げられた山からやや平たい楕円形の石を一つ拾い上げる。フラーダで使われる石は大体この形で決まっている。


 川や池に飛び込むとき、水練に長けた者程手先からまっすぐ、余計な波を立てずに入水する。それに対して心得のない者は水面に腹を打ち、その結果周囲に派手な波しぶきをまき散らす。


 それと同様に考えれば、楕円形の先端部分から少しずつ石が水の中に入るように投げ込むのが一番波を立てない投げ方で、それ即ち皿の上の球が水没しにくいこのゲームの定石だ。


 青年が白い歯を剥き狙いを定めて、投げ込む。


 

 ―......チャポン―



 果たして石はゆっくりと綺麗な円弧を描き、無事楕円の先端から水に入っていった。


 皿は少し揺れたが、球を落としそうにはない。


「(やった、狙い通り‥…ってダメじゃないか何熱中してんだ俺‥‥つい昔散々やらされた投擲武器の練習を思い出したからって本気になり過ぎても―)」



 目まぐるしく動く青年の脳裏をよそに、続いてカロヤンが投げる。


「天上におはす我らが神よ、どうか私目にお力を...」


 彼は石を山から拾うと、思いのほか信心深いのか石を挟んで両手を合わせ、眼を半開きにして祈った。


 そして祈りを終えると、そのまま深呼吸をしてから一瞬右目を見開き、無心で石を桶に放った。



 放たれた石は青年の投げた方とは異なり、慌ただしく回転しながらやや平たい面を下に水面へと近づいて行った。先ほどの定石に従えば、控えめに言っても悪手である。


 が、石はそのまま着水するかと思いきや、奇妙なことに一瞬水面すれすれでぴたりと静止し、勢いを完全に殺してから波風を一切立てずに入水した。



「(まあ運命はいつも私の味方ですからね......)」


 カロヤンは高揚する気持ちを口角を僅かに上げる程度に押しとどめ、表情を崩さない。今日は不思議と背後の仕切り板の隙間から自分に向かって光が差し込んでいるかのように感じられた。きっと吉兆だろう。


「妙な着水だな...」


 石が通常の物理法則に照らせば不自然な着水をしたことを訝り、青年が思わずこぼす。


「まさか。水切りはご存知でしょう、ほら、あの水面に投げた平たい石が跳ねるあれですよ。今の動きもあれの応用ですよ」


 カロヤンがもっともらしい説明を付す。


「(水切り.........?今のは「跳ねる」とも違わないか?)」


 青年の表情に緊張感が戻りつつある。


「(まあでも俺の見間違いかもしれないしな.........取り合えずもう一巡やってみよう)」


 二巡目も展開はほぼ一巡目と変わらなかった。


 カロヤンの投げた方の石は、やはりというか水面上で一瞬静止していた。


「(本当にあれが見間違いじゃないとしたら、何故あんなことが起こるんだ......?)」


 普通に石を投げる分には、こんなことが起こるのはおかしい。水切りと言い張るにも無理がある。


 青年は試合の流れを振り返る。


 青年が綺麗な円弧を描いて投石し、石は先端からゆっくり入水する。わずかに波は立つが球は水没しない。そして今度はカロヤンが手を合わせて神に祈り、それから目を見開いて石を投げ―

 


―目を見開いて?



 またしても綺麗な投石を決めたカロヤンを横目に、青年はあることに気付く。


 顔の前で手を合わせた状態で目を見開くとは、実は手元の何かを確認する動作ではないだろうか。まして投げる石を挟んで両手を合わせているのだから、石に施された細工を確認するといったことをしていたのではないだろうか。


「.........なるほどな」


 青年の表情に余裕が戻る。


「タネはわかったぞ」


「......何のことでしょう?」


 カロヤンは少しも動じず、胡散臭く微笑んで見せた。


 三巡目、青年は拾い上げた石をしげしげとよく観察する。


 おそらく同型・同質である筈の石達の中に細工を施された特殊な石が紛れ込んでて、それを区別する為の印をグルの運営がカロヤンにだけ教えたのであろう。


 青年が石を拾い、よく観察してはこれを戻すという作業を数回繰り返すと、果たして石の中にうっすら×字の刻印がなされたものがあることがわかった。


「(これで推測の真偽を試せる......)」


 カロヤンは丁寧に石を選ぶ青年を少しも気にかけていない。


 青年は刻印のされた石を拾い上げ、桶に向かって投げた。



が、しかし。青年の投げた石は一巡目、二巡目と同様綺麗な円弧を描いて普通に着水し、皿の上の球が水没することこそなかったものの、水面上で静止するといったことは一切なかった。



「そんな、まさか...」


「どうされました?」


 若干動揺する青年の顔を、カロヤンが意地悪な笑みでのぞき込む。


 三巡目も、彼の投げた石は水面上で一瞬止まり、一切波風を立てずに入水していた。



 投げ方にも問題があったのかもしれない。もっと別の刻印の石があったのかもしれない。


 青年は四巡目、五巡目、......と石を投げ続け、思い当たる点を検証し続けた。しかし一向に石が静止する要因は掴めず、できたことといえば桶の底に石を貯めていくことばかりであった。



 数十巡が過ぎ、桶の底に貯まった石達が水かさをかなり押し上げていた。


 一歩離れた位置で二人の試合を見つめていた少女は、尚緊張感に引き込まれつつも若干試合の動かなさに退屈し出していた。


「(一体どうなってるんだこりゃ......もしかして相手は本当に不正なんてしてないのか?)」


 青年が険しい顔で石を手に取る。


「(どうにかならないもんかな......って、しまった!)」

 

 青年の投げた石は手汗で滑ったのかかなり乱暴に虚空を舞った。荒ぶった石はそのまま桶に浮かぶ皿に激突し、その上の小球は高く弾んで派手に水面へと飛び込んだ。



「試合終了です!!敗者は勝者にステイクを引き渡していただきますよう!!」


唖然とする青年の後ろから、ずっと控えていたクループの少年の声が響き渡った。


 カロヤンはクループの少年にチップとして銅貨を一枚放り投げると、ステイクの袋を受け取り、虚ろな表情の敗者の方を向く。


「威勢よく啖呵を切っていた割には随分とお弱いですね、どうです、もう一戦やってもよいですが......?」


 青年はうつむいたまま深呼吸を一つする。


「(.........っと少し役に入り込み過ぎたかもな。まあでもこれはよくできただ。俺でもなきゃそりゃ気付けないよな.........)」


 銀髪の少女は一瞬試合の結果にショックを受けたが、青年のうつむきつつもほんの少し口角を上げている様子から、これがあくまで茶番に過ぎないことを咄嗟に思い出した。


「ああ夜中までやってやるよ!お望み通りにな!!」


 顔を上げた青年の表情は、却ってどこか活き活きとしていた。




 それから青年とカロヤンは2回、3回...と賭けフラーダを繰り返した。いずれの試合も長引いて白熱したが、やはりほとんど波を立てずに石を投げ込めるカロヤンの優位は揺るがない。結局青年はいつもどこかで球を水没させてしまい、気付けば彼の手元にステイク用の袋は一つもなくなっていた。

 


「有り金は......以上でしょうか?」


 得意げな表情で袋を受け取るカロヤンを前に、青年は目を閉じて立ち尽くす。


「些か哀れなものですね...ここまでくると救いの手を差し伸べてあげたくもなりますが......」


 文面の割に慈悲よりも横領さがこもった言葉であった。


「そうです!!こういうのはどうでしょう、次もしあなたが勝てば今日貴方からいただいた額は全額返してさしあげるという条件で、もう一試合するというのは!?」


「ステイクはどうするんだ…こっちからはもう何もだせないぞ」


 青年は吐き捨てるように言いつつ、目線で後ろの少女に一瞬合図を出した。



 スッ—



 静かに、カロヤンが青年の後ろにいる少女を指差す。


「私が勝ったら、彼女を差し出すという条件で、如何です?」


 当の本人は、わかっていたことながら、ごくりと唾を呑んだ。


 すごい…ここまで打ち合わせ通りだ‥‥‥ということはあとは自分が―


「......わかった」


 そんな彼女の方を向いて一瞬頷いてから、青年は誘いに了承した。



「それでは、公正な試合を願って、宣誓をしていただきますよう―」


 クループの決まり文句が流れる。


「「宣誓、我々は賭博の神ヴァガラットの名に於いて公明正大なる試合を行うことをここに誓う!!」」


 最後の試合がはじまった。


「(もう余計なことは考えなくていい.........無心で最善を尽くせ!!)」


 先に石を投げ込むのは、一回目同様青年の方だった。


「(兎に角水に強く打ち付けないように、水に強く打ち付けないように―)」


 胸の高まりを抑えつつ、指先の感覚をその先端まで研ぎ澄まし、イメージトレーニングをする。そして完璧な成功形のイメージを掴み、狙いを定めて......石を投げる―





 ―ドッボオオオオオオンッッッッ!!!!!

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