そしてはじまる自己中抒情詩

三首竜

エピソード1 そしてはじまる二人の話

エピソード1-1 襲撃《であい》

「賭場の調査...?」

 

 既に朝日が昇り切って尚薄暗い憲兵の駐在所に、青年の声が響く。


「ああそうだ」


 彼と机を挟んで向かい側に立つ壮年の憲兵が応える。


「俺はそこがほぼ確実にクロだと思ってるんだが、どうも上官が調査に消極的でな。自分達で調べるのが難しいから、お前のような助っ人民間人を呼んだ。どうだ、引き受けてはくれないか?」


 憲兵は威厳を保ちつつも、どこか申し訳なさをにじませた表情で頼み込む。彼の隣にいる若い憲兵も、「頼むっスよ!」と手を合わせる。


「それで、頼んでいた推薦の件は、引き受けて頂けるんでしょうな?」


 青年は二人の顔を一瞥してから一息入れて問う。彼の髪は紺色で、双眸には金色の瞳を覗かせている。


「ああ勿論だ。頼む、君と私たちの仲だろう?」


 壮年の憲兵が調子を崩さず直答する。


「わかりました。それなら断る理由もないですし、引き受けましょう。貴方方には恩もありますので」


 駐在所の採光窓から僅かに差し込んだ朝日が青年の目元を照らす。


「本当か!? それはよかった...」


 壮年の憲兵は少し安堵して続ける


「ああそれと、この調査だができれば女子供を連れて潜入した方が証拠を集めやすいかもしれぬのだが、アテはいるか?」


 青年は笑って答える。


「まさか。まあでも必要とあらば金で雇うなりしてなんとかしますんで、ご心配なく」


「そうか.........」


 二人の憲兵は少し残念そうな顔をして青年を見やる。


「では、また」


 駐在所を後にする青年の背中を、顔なじみの憲兵二人が静かに見送る。


「アイツもそろそろ女の一人も作らないものか...」


「無理っスよ、あんな自己中野郎に寄ってくる物好きなんているわけないじゃないっスか...」



「(婦女子の協力を仰いだ方がいい、か......。面倒くさいことになった)」


 考えながら青年はモノクロの煉瓦で舗装された大通りを歩く。色白で背丈が高く、空色のジュストコールを纏った彼は、朝日に照らされて中々に存在感を放っている。が、当の本人は思案を巡らせるのに夢中で、周囲の遊びまわる子供達や通り過ぎる獣車(魔獣が引く馬車のような乗り物)は気にも留めない。


「(まあでも期限は厳格に求められてなかったことだし、ひとまず午前中は図書館で勉強でもしてゆっくり考えよう)」


 そう思い直すと、彼は庶民でも自由に資料を閲覧可能な王都の知識庫、王立首都図書館の方へと行き先を定める。



 国王ミロシュ5世の治世7年、ルシティニア王国王都―。



 青年は地方の農村で庶民として生まれ育ったが、今は訳あって故郷にいられなくなり、こうして王都で暮らしている。幸い時の君主ミロシュ5世はなかなかの名君で、見込みがある者は身分を問わず宮廷に招聘するとの噂がある。そこで青年も宮廷に仕官しようと、たまに薬草を売って日銭を稼ぎつつ、役人の仕事を手伝って彼らとのコネを作ったり、図書館で勉強して教養を身に付けたりして努力する日々を送っている。


 ドンッ!!


「あ! すいません!」


不意に周囲で追いかけっこをしていた子供の一人がぶつかってきた。子供は一言青年に謝ると、「おーい、早くしろよ!」と向こうで待つ仲間の子供の方へと足早に駆けていく。


 彼の背中を見送りながら、青年はやっと周囲で子供達が遊んでいたことに気付く。


 

「(俺にもかつては故郷にこういう仲間がいたんだよな...)」


 群れて遊ぶ子供達を尻目に青年は少し思いを馳せる。


 今はいない。失った。失ってしまった。いや、失ったというと語弊がある。“見捨てた”のだ、自分が...。


 そう思うと青年は少しくるものがあり、奥歯を噛みしめて意識を逸らし、歩きながらクラバットを整えて自分を落ち着かせた。


 仕方なかったんだ。自分のことが一番じゃないか、気にしたって仕方がない。今は宮廷に仕官して安定した収入と地位を得る、自分の人生が最優先だ。


 青年は平常心を取り戻すと、少し早歩きで図書館の方へと歩みを進めていく。



 違和感を感じたのは、図書館までの道のりの半分を過ぎた頃だった。青年はまっすぐ図書館の方へ向かうと思われたが、急に曲がって、通りから外れた路地裏に入る。曲がりくねったその先は、図書館ではなく人気のない行き止まりだ。


 彼は決して道を間違えたのではない。路地裏をひたすら進み、行き止まりに行き着くと、彼はそのまま振り返りもせず後ろに声を投げかける。


「出て来いよ、気付いてるぞ」


 すると行き止まりまでの道のりの最後の曲がり角の物陰から、黒いローブを纏った男が一人、躍り出た。右手にはナイフが握られている。


「この、売郷奴がぁ!!」


 投げかけられた刺客の声に青年は握った左手の拳を震わせ少し歯ぎしりをした。


 違う。お前らが先に俺を売ったんだろ......。


 尚も背を向けて立ち尽くす青年に、刺客は猛然と距離を詰める。


 青年は溜息を一つつくと、複雑な感情から静かな怒りを抽出し、これに意識を集中させて感覚を研ぎ澄ます。そして右手だけを後ろに向けて、小声で呟く。


「荒ぶる風の精よ、天則に従ひて我が力に呼応せよ。―」


 その瞬間、刺客はもう1,2歩という距離まで迫り、大きくナイフを振りかぶっていた。


「ヴァーユ!」


 青年が詠唱の最後の一言だけ語気を強めて言い放つと、急に青年の背後で突風が巻き起こり、刺客の男は吹き飛ばされて民家の壁に打ち付けられ、めり込んだ。


 男の容態は定かではない。ただ顔を確認したり、動機を吐かせたりするのはもう困難であろう。


「シュットヴァ―ン7世治世16年の法より、この国では決闘で第三者が被った損害は、敗者側が賠償することになっている」


 青年は刺客の男にそう言い捨てると、静かに目を閉じて胸中を整えてから、また図書館への道に戻っていった。




 ようやく、青年は王立首都図書館に辿り着いた。


 彼は重い入口の扉を開け、荘厳な大広間に入っていく。


 ここ王立首都図書館は先々王メンダウガス1世が王都の知識庫として設置したもので、窃盗防止のため貸し出しこそ行っていないが、先述の通り誰でも資料を閲覧することができる。とはいえまだまだ庶民は文盲が多く、青年のように特別事情があって読み書きを習得できた者以外利用することはあまりない。


 その中核をなす大広間には中央にメンダウガス1世の像があり、それを囲むようによく読まれる日用魔法書、読み書きの教本、英雄譚や諸宗教の聖典を揃えたマガジンラックが並べてある。そしてさらにその周囲に資料閲覧用の長机がいくつか設置されており、四方の壁沿いには錬金術や占星術の専門書や勅令集、遠い外国の文物をまとめた書物等を詰め込んだ書棚が所狭しと立ち並んでいる。


 青年は大広間に入るなり中央のマガジンラックの前へとまっすぐ向かい、腰をかがめて物色する。


 宮廷仕官を目指すにあたっては、詩作や神話の知識といった人文的な教養が不可欠だ。取り合えず民族叙事詩の類を早く一通り読破しておくのが無難であろう。


 そう考えた彼はルシティニアに伝わる叙事詩を纏めた本を一冊手に取り、パラパラと全体を流し読みする。


「(『英雄』か...)」

 

  手に取った本の構成は、大半が英雄譚に割かれていた。


 彼にとってその言葉は、大きい意味を持つ呪いの言葉だった。


 かつて自分がなる予定だったもの、いや、正確にはなることを強いられたものであり、その責を放棄したもの。この世で最も嫌いな単語で、もう耳にも目にも、したくはない―


「(いや、何を考えてるんだ。逃げるな。仕官のためだ、あれはもう関係ない......)」


 自分にそう言い聞かせ、彼が目をそらさず再び叙事詩と向き合おうとしたときだった。


「もし、よろしくて?」


 横から声が聞こえた。




 不意なことであった。


 庶民は前述の通りあまり訪れず、貴族は自邸の書斎で足りてしまうことが多い故、ここの利用者はまばらである。司書も利用者に話しかけることはほとんどないため、この図書館で人と話す機会はほとんどない。


 それ故青年は驚き、反射的に文章から目を逸らして声のした方を向いた。


 声の主は、紅い眼をした銀髪の少女だった。髪は首筋の付け根にかかる程度の長さで外はねしており、肌は色白である種の澄んだ清潔感を感じさせている。装束には縁に赤みがかった白い蝶の羽のような装飾が施されており、双眸の瞳は蛇や竜のように縦に細長い。


「字が読めませんの。代わりに読んでくださりません?」


 気品を崩さず彼女は続ける。些か奇妙に感じるが、実は大した身分ではないのか、連れの者も見当たらない。


「......構わないが」


 青年が訝しみつつもそう答えるなり、少女は「では、こちらに」と壁沿いの大きな本棚の陰へと彼の腕を引く。彼女の腕は細かったが思いのほか力が強く、青年は些か強引ではと感じながら、引きずられるように本棚の陰に入る。





―その時だった―――





 少女の長く伸びた爪が自分の腕に食い込む感覚が突然消え、見れば彼女の姿自体が完全に消失している。周囲には屋内であるにも関わらずいつのまにか深い霧が立ち込め、先ほどまで少女がいたはずの場所には、大きく開かれた蛇のような、鰐のような―今にも人を喰らわんとする、竜の口が覗いていた。


 それはナイフのような牙を無数に持ち、図書館の本棚の間の空間に収まる程ではあったものの、人一人を飲み込むには十分な大きさだった。その大きさからしてどうして竜の胴体が本棚と壁に囲まれた周囲の狭い空間に収まるのか気になったが、生憎霧でぼやけて首から下の胴体はよく視認できない。


―ヒュッ!!


「そういう気はしていた」


 青年はさして慌てることもなく、己に迫りくる竜の顎を咄嗟にしゃがんで下に躱す。


 竜―といっても少し距離を置いて目を凝らして見てみれば、一般にイメージされるような鱗に覆われた爬虫類らしい竜ではない。口の形や全体的な形状フォルムは確かにドラゴンのそれだが、体表は鱗や甲殻ではなく真っ白な毛で覆われており、後頭部には角やエリマキではなく蛾のような触角が二本生えている。そして目はトンボのような赤い複眼が左右にそれぞれ三つずつの計六つあり、いうなれば竜と蛾を足して2で割ったような奇妙な怪物であった。


「(なるほど、そういうことか...)」


 彼はそのまま竜の顎の下からその喉元に向けて飛び込み、右手を振るって一撃を浴びせる―



ゴッ、......



 手応えは、大きくはなかった。

 そこにさっきの怪物はおらず、周囲にも普段の平穏な図書館の風景が広がるばかりで怪物の影も気配もそこにはない。周囲を覆っていた霧も元からなかったかのように消えてしまっている。


 代わりに青年の右手は、さっきまでいた銀髪の少女の喉元を掴んで彼女を力強く壁に押し付けていた。


「人の姿に化けて俺に近づき、隙を見て化け物の姿で俺を喰い殺す。そんな雑なやり方で殺せると思われるとは、舐められたものだな」


 青年は少しも動揺していない。


「大体、殺意を隠し切れていない。身なりも言葉遣いも上品で身分の高かろうと思われる女が、連れの一人も連れず字も読めないとくれば誰だって何か怪しいと感じる。化ける前に化ける人間の設定ぐらいもう少し練っておくんだったな」


 少女は喉を押さえつけられてカチカチと八重歯を打ち鳴らして苦しそうに悶える。が、不思議にも青年の右手を力づくで振り払おうとはせず、その目は不思議にもどこか安堵したような様子を滲ませている。


「答えろ、誰の指図だ...?」


 押さえつける青年の右手に加わる力が強くなる。


 正直この女が単独で自分を狙っていたのならば、さして脅威になり得ない以上もうこれ以上気に留めることもない。ただ背後に共犯がいた場合は少し面倒かもしれない。


「...」


「誰の指図だ!?」


 青年が語気を強めて問い直すと、少女は目尻から涙をこぼしてかすれた声を発する。


「ご...めん...な...さい」


 自分のしたことをひどく後悔している様子だった。それも方法が拙かったことではなく、人を傷つけようとしたこと自体を強く後悔している様子だった。


 彼女はどっと溢れた罪悪感や後ろめたさといったものに打ちのめされ、瞳を曇らせ息を荒くして、はらはらと泣いていた。その場しのぎの噓泣きにしては、先ほどの三文芝居からして演技力が高すぎるという矛盾が残る。


「君を...喰い殺せば、死ねると......思って」


 その声は、涙に震えながら何かを訴えていた。何か複雑な事情がありそうだった。


「つまり、お前自身の意思だけでやったってことでいいんだな?」


 少女の言葉が心のどこかに引っかかるのを感じながら、青年は大人しい声に戻って確認する。


「......はい」


 少女がそう答えると、青年は掴んでいた右手を離し、彼女はそのまま崩れるように床に座り込む。沈んだ表情で、逃げ出そうとする様子は一切なかった。


「(さて、......化け物相手に損害賠償を請求できる気はしないし、憲兵に届けても扱いに困って取り合ってもらえないだろうな...)」


 青年は少女のうつむいた顔を俯瞰する。


 それは意思の領域に於いてはただの鬱陶しい肉塊としか捉えられなかったが、無意識の領域ではどこか同情を誘うものである気がした。


「なあ、憲兵に突き出されるのは、困るよな?」


青年は淡白に問う。


「.........」


「憲兵に突き出す代わりに、協力してもらいたいことがある―」


 青年は調子を崩さずに続けた。

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