第34話

「うんまっ!めっちゃうまい!さすが上條の母ちゃん。店で食べるやつよりうまい」

 食卓で、会社から帰った父さんと母さんと俺、そして杉本の4人で夕飯を食べ始めたとき、杉本は母さんの唐揚げをひと口食べるなり大絶賛の声をあげた。

 でた。杉本お得意の褒め殺し。

 母さんはあからさまに顔をぽっとさせると、「杉本くん、肉じゃがもあるんだけど食べる?昨日の残りなんだけど」と冷蔵庫を開けた。

「食べます!やった!…いいなあ、上條、料理上手な母ちゃんで。明るいし綺麗だしサイコーじゃん」

「やだ、杉本くん!もう何も出ないわよ」

 母さんがますます顔を赤らめる。

 いいぞ、杉本。その調子だ。と俺は笑いをかみ殺す。向かいに座っている父さんをチラッと見たら、なんとも言えない複雑な笑顔を浮かべていた。うん、わかるよ、その気持ち。

 一昨日食べたばかりの唐揚げを母さんにリクエストしたのは俺だ。杉本にどうしてもこの味を味わって欲しかったから、というのが1番の理由だけど、その思惑はどうやら良い相乗効果を生んだようだ。夕飯を終え、リビングのソファに移ってみんなでアイスティー(父さんはハイボール)を飲む頃には「杉本くん、可愛いんだからジャニーズ入りなさいよ、ジャニーズ!私が履歴書、送ってあげる!」と母さんはいつもの調子を取り戻し、俺と父さんをドン引きさせていた。

 杉本は「え〜」と頭を掻きながらも満更でもない顔で笑っている。あれ?なんかこの2人気が合いそう?

「でも俺、彼氏いるのに大丈夫かなあ。ジャニーズ的にそういうのって無理っぽくないスか?」

 彼氏?!って、俺のこと?だよな?杉本が何気に言った一言に敏感に反応する俺。

「麻也、顔」

 隣から父さんに肘で小突かれて俺は自分がニヤけていることに気づいた。

 俺は咳払いをして顔を元に戻すと、そういえばこの人は今回のことをどう思っているんだろう、と父さんの方を見た。

 母さんが引っ越したいと言ったときも俺が1人で暮したいと言ったときもやっぱり帰りたいと言い出したときも、何ひとつ反対することなくただ淡々と準備を進めてくれた。それは見守るようでもあり、無責任のようでもあり、でもおかげで俺も母さんもじっくりと自分の問題に向き合うことが出来た。

「父さんは、俺と杉本のことどう思う?」

 俺は、何を考えているのかわからない父さんに、少し揺さぶりをかけてみた。

「え?」父さんは、不意を突かれたといった表情で、ハイボールの氷を揺らしながら「う〜ん…まあ」と少し考え、「そういう時代なんだろうなあ」

 ……時代じゃねえ。別に流行りに乗っかってるとかじゃねえから。ズーンと一気に肩が重くなる。

 やっぱり駄目だ、この2人。完全によくわかってない。先行き不安。でも今は……俺は目の前でまだ何やらキャイキャイはしゃいでいる杉本と母さんの楽しそうな笑顔を見た。でも今は、取り敢えずこれで……。


「あ〜楽しかった。上條の母ちゃん、おもしれえなあ」

 杉本を送ってマンションの下まで来たとき、杉本が、俺に向かって言った。

「なんか、ごめん」

 俺は数々の無礼を詫びるつもりで頭を垂れる。

「なんで?いーじゃん、おまえんち家族仲いいな」

 いつの間にか駅に向かって一緒に歩きだしていた。7月とはいえ、夜8時を過ぎれば外はもう暗く、空には三日月が浮かんでいた。満月だったら良かったのに。そしたら「月が綺麗だな」とかなんとか言えたのに。

「あ!おまえ自転車!」

 暫く歩いたところで気がついた。杉本が乗ってきた自転車が、マンションの駐輪場に置きっぱなしになっている。

「あれは上條にあげようと思って持ってきたの」

 杉本がさらりと言う。

「え?俺に?なんで?」

「だって、俺んちと家がちょっと遠くなっちゃったじゃん。だから、通い妻用にね」

「通い妻って…」

 杉本が、きひひっと笑って俺の背中をポンポンと叩いた。

 俺はちょっと赤くなりながら、杉本の横顔を見つめ、さっき杉本がさらっと言った、でも深くもある言葉に思いを馳せた。……家族仲いいな……。

 俺が杉本の家族に『彼氏』として紹介される日は来るのだろうか。

 ……多分、来ないだろう。

 杉本が愛されていないわけじゃない。きっと杉本自身の気持ちの問題だ。杉本はおそらく『家族』というものを、もう諦めてしまっている。

 だったらいつか、俺が杉本の『家族』に……。

 そこまで考えて、慌てて思っていたことを頭から打ち消した。こんなことを杉本に言ったら、また俺が『暴走列車』になって『自分から巻き込まれに来た』って呆れられそうだ。

 そもそも俺にはまだ杉本のことを家族として守ってあげられるだけの力が無い。それは今回のことで痛いくらい思い知った。だから今は頑張ろう。そして、杉本を守れるだけの力が十分ついたとき、まだ杉本とこうして2人でいられたら、そうなるまでは、この気持ちは自分の中だけに仕舞っておこう。

「あ〜もう着いちゃった」

 駅が見えたところで杉本が残念そうに呟いた。そのとき、ちょうど電車の到着を報せる構内アナウンスが駅の外まで聞こえ、「あ、ちょうど来るわ。じゃあね上條、また連絡する!」と杉本は俺に手を振ると、後ろを振り向くことなく改札の中に走って行ってしまった。

 え…。俺はなんだか急に焦ったような気持ちになって、思わず追いかけてしまいそうになり足を踏み出しかけたが、実際に踏み出す必要なんかないことに気づいて、そのまま杉本が消えていった駅の方向を見つめていた。

 やがて轟音とともにやって来た電車の気配が、轟音とともに走り去って行くまで、俺は駅の外でぼんやりと突っ立ったままでいた。

 また、っていつだよ…。

 俺は今、杉本と2人で歩いてきた道を、逆に向かって1人歩き出しながら思った。

 明日から杉本は補講だ。午前中は寝ているだろうから、学校へ行くのは午後からだろう。そしてもう、帰ってくるのは俺と一緒の家じゃない。補講が終われば夏期講習。俺は朝から行くけど杉本が来るのはきっと俺が終わってから。

 このまま、なかなか会えずに、杉本が俺とのことを、ただの気の迷いだったと思ったらどうしよう。夏休みが終わるまで、なんの連絡もないまま、いつの間にか杉本に彼女ができていたりするかも知れない。

 俺はそんなことを悶々と考えながら、夜道をゆっくりとマンションに向かって歩いた。同じ速度で三日月が着いてくるのを、あっちへ行け、と心のなかで追い払う。

 すっかり陰鬱な気分になってマンションに到着し、オートロックを鍵で開け、エレベーターで4階まで上がり、「ただいま〜」と玄関のドアを開けたところで、ハーフパンツの後ろポケットに入れていたスマホがメールの着信を報せた。

 右手で引き抜きながら画面をタップすると、杉本のトーク画面になっている。


『今、家着いた』


「連絡、はやっ!!」

 思わずツッコんだ。


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