第33話

「そんでさ、明後日にはもうここ引き払うことになってさ」

『すげえスピード対応だな』 

 俺はスマホをローテーブルに置き、スピーカーにして杉本と通話をしていた。

 杉本は自分の家。俺はアパートの自分の部屋だ。

 俺の部屋には引っ越し業者のマークが入った、たくさんの畳まれたダンボールが積まれていた。


 実家でお昼ごはんを食べたあと、会社にいる父さんに電話をして俺がマンションに帰ることを話したら、すぐに父さんが大家さんと引っ越し業者に連絡してくれて、しかも引っ越し業者が今すぐ見積もりに伺えますとか言うもんだから、急いで母さんの運転でアパートに戻った。

 そして業者さんと話をして、1番近い日だと明後日が空いてますが、それ以降だと来月に入っちゃいますと言うので、家賃の問題もあるし急だったけどもう明後日でお願いしますと言ってしまったのだ。その日は一学期の終業式の日で、学校がすぐ終わるからちょうど良かったというのもある。

『荷造りとか大丈夫なわけ?』

 スマホごしに杉本の声が訊ねる。

「それがさあ、業者の人が車にダンボール載っけてあるんでってその場で渡してくれてさ。今、俺の部屋すごいことになってる。もう、ダンボール詰め放題」

 俺は3つ目のダンボールを組み立てながら言った。

『お菓子詰め放題みたいに言うなよ』

 苦笑したように杉本の声。

 そして『しかし、武センと上條母ちゃんがつながってたとは驚きだな。とんだ狸親父だぜアイツ』

「ホント、びっくりした…って、あ」

 しまった。杉本は今日1人で武センのところへ行って、多分その報告をするために俺に電話をしてきたのに、俺はさっきから自分のことばかり喋ってしまっていた。

「ごめん、こっちのことばっか喋って。杉本、今日どうだったの?」

『それがさー!』いきなり杉本の声のトーンが上がった。『聞いてくれよ!マジ、神なんだって、武セン!』

 武センが狸からいきなり神に爆上がりした。

 杉本の話によると、何でも武センの大学院生である息子さんがYou Tubeで『タケヨシの中学数学をわかりやすく解説』という動画を配信しているらしく、動画を撮影する機材の一切合切を貸してくれることになったらしい。それで補講や夏期講習の内容を撮影し、杉本は自分の行ける時間に学校へ行ってそれを視聴してノートを提出すればオーケーということにしてくれたらしいのだ。

「マジか。そんなことになったんだ、杉本1人のために」俺が感心した声を出すと、『それが1人じゃないらしいんだよ』と杉本。

「え?どういうこと?」

『なんか結構いるらしいんだよ、学校来れてないやつ。不登校とか?よくわかんないけど。だからそういう生徒のためのフォローも兼ねてってことで武センが上手いこと話、持ってったらしい』

「すげえ…なんか教師のかがみだな」

『だろ?俺、将来教師になろうかなって一瞬思ったもん』

 杉本が教師?想像しようとして…途中で諦めた。無い。ナシよりのナシ。

 俺はビデオ通話になっていないのをいいことに、こっそりと声を出さずに笑った。

 その分、沈黙が出来てしまい、完全に杉本に悟られた俺は、スマホの向こうから『今、俺のことバカにしてるだろ?』と非難を受ける。

「してないよ」慌てて否定するも、つい声に笑いが混ざってしまった。

『それにしても明後日か〜』

 結局、大して気にもしてない様子の杉本が、話をまた俺の引っ越しの話に戻した。

『俺さ、明日姉ちゃんが帰ってくるから手伝いにいけないんだよね』

「あ、そうなんだ。良かったじゃん。こっちは大丈夫だよ、母さんに来てもらうし」

 母さんの方が車も出してもらえるし、電化製品とか売りに出したい物があるから、寧ろそっちの方が都合がいい。とはいえ男手は欲しいからなんなら父さんに午後から有給とってもらって…とか考えていると…

『俺、明後日、手伝いに行くわ』

「えっ?!」

 突然の杉本の提案に俺は思わず大きな声をあげた。

『終業式の日はまだ補講始まってないしさ、午後から時間あるから行くよ』

「え?あ?う、うん」

 昼間に見た母さんの様に、今度は俺が思い切りキョドる。だって、明後日ってことは引っ越し当日ってことで、引っ越しを手伝うってことは俺のマンションに来るってことで…あれ?今日冗談みたいに母さんに言ったことが、いきなり現実になってしまう?うわーいきなり緊張してきた。

『んじゃ、取り敢えず明日また連絡するわ』

 ピロリンと一方的に電話が切られた。俺は大量のダンボールと一緒に、ぽつんと部屋の中に1人取り残された。


「上條〜」

 引っ越し当日の日、もうトラックに半分以上荷物を積み終えたところで杉本はアパートに現れた。

『ちょっと遅れる』そうメールを受けてはいたものの、そんなに荷物も多くない部屋なので、もうちょっと遅かったらトラックが出発してしまうところだった。

 とはいえ不用品の処分や荷造りは昨日家族で全部終わらせてしまったし、トラックへの積み込み作業は業者の人が全部やってくれていて俺と母さんはぼんやりそれを眺めていただけだし、杉本が来たところでやることは何もない。

 杉本は珍しく自転車に乗ってやって来た。自転車はお馴染み、杉本の引っ越しのときも大活躍した赤いママチャリタイプのあれだ。

 呑気にペダルを漕ぎながら近づいてくると、キッとブレーキ音を鳴らして俺と母さんの前に停まる。

 俺は心持ち緊張しながら、隣でもっと緊張している母さんに向かって「杉本」と簡単に杉本を紹介した。

「あっ、こっ、こっ、こんにちは!」

 母さん…心の準備を家に忘れてきたのかい?

「こんにちは」

 杉本が自転車にまたがったまま、真顔でぺこりと頭を下げた。

「珍しいね、自転車」

 お互いまだ固くなっている様なので、取り敢えず間をつなごうと俺はどうでもいいことに触れてみる。

「あ〜うん。だってマンションひと駅向こうなんだろ?じゃあ自転車で着いていこうかなと思って」

「えっ?!自転車で着いてくるつもりだったの?」

「うん」

「いや、無理でしょ?こっち車だよ?」

「……」

 眉をしかめた杉本を見て、俺はチラと母さんの顔を見た。

「……もちろん、いいわよ?」

 母さんが引きつった笑いを浮かべた。持つべきものは、話のわかる母親だ。


 それから杉本は俺と一緒に母さんが運転するワゴンRに乗って、引っ越しのトラックを先導しながらマンションに向かった。

 杉本が乗ってきた自転車は、見積もりには入っていなかったにもかかわらず、引っ越し屋さんのご厚意でトラックに積んで運んでもらった。

 車の中で母さんは「杉本くん、麻也と同じクラスなんですってね!数学得意なんだって?すごいわね!麻也に教えてあげてね!あっ、今日うちでご飯食べてってね!おうちの人に言ってきた?大丈夫?あ、そうそうお夕飯のおかずなんだけど…」と早口で1人喋りまくって、動揺してます私の丸出しだ。母さん、いつものコミュ力の高さはどこ行ったのさ、と俺は目を覆いたくなった。


 マンションに到着し、業者さんが荷物を4階まで運んでいる間、先に上に上がっていった母さんの目が届かなくなったところで杉本が、「ねえ、上條」と俺にこそっと耳打ちしてきた。

 ごめん、気になるよね母さんの態度…と申し訳ない気持ちで杉本に耳を寄せると、杉本が「やっぱり俺、髪黒く染めてきた方が良かったかなあ」と予想外のことを言うので「は?」と固まる。

「今日、俺が持ってる服の中で1番地味なやつ選んできたんだけどさあ」

 そう言って、黒い斜めがけバッグの下でプカプカ揺れている緑と白のしましまのラガーシャツの裾を両手で引っ張ってみせた。

「ぶっ!」

 俺は思い切り吹き出すと、そのままお腹を抱えてくっくっくっと笑い続けた。

 杉本が、なんだよ、と顔をしかめるから、それを見て、また笑えてくる。

 よく見たらピアスも外してあるし。そこじゃねえよ、気にするとこ。おまえ、息子の連れてきた好きな人が男でしたって親の気持ち、考えたことねえだろ。人のことになると色々と鋭いくせに、意外と自分のことになると鈍いんだな。

「なんだよ!」

 鈍い杉本が遂に怒り出しても俺の笑いはなかなか止まらない。


 荷物を全て運び終え、元々俺の部屋になるはずだった部屋にベッドが収められたとき、そこはもうすっかり新たな俺の城になった。

 両親が、俺が以前使っていた勉強机や本箱やなんかを全部残しておいてくれていたおかげで、すぐに元の生活に戻れそうだった。

「いーじゃん」

 もうケロッと機嫌を直した杉本が、言いながら自分のバッグのファスナーを開けると、中から片手に載るほどの大きさの柴犬のぬいぐるみを取り出した。

「何それ?」

 俺が訊ねると、杉本は「俺の分身」と言って一度俺の目の前にそれをぐいっと持ってくると、ベッドに近づき、掛け布団の下に柴犬のぬいぐるみをそっと潜り込ませる。

 珍しくバッグなんか持ってるから何入ってるのかと思ったら…なんだ、自分が犬だって自覚あったんだなと可愛くなって、俺は杉本をぎゅっと抱きしめた。部屋には2人だけだ。

 杉本も俺にぎゅっと抱きついて唇を寄せてくる。俺はその唇に自分の唇を触れさせると、軽くちゅっと吸った。

「ん……」

 ちろっと舌を出してうわ唇をなぞる。はあっ、と杉本から息が漏れる。そして杉本が俺の体に触れようと手をTシャツの裾に滑り込ませたところで、「ダメだよ」その手を優しく掴んだ。いくらドアを閉めているとはいえ、あっちには母さんがいる。さすがにこれ以上は無理だ。

 杉本は、むうっと俺を睨みつけると、さっきベッドに潜り込ませたばかりの柴犬のぬいぐるみをもう一度取り出し、窓の方へ歩いて行ってそれをポイとベランダに放り投げるとバンと窓を閉じ鍵をガチャンと閉めた。

 怒り方、幼児だな…。そこも可愛いけど。


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